[創作]最高の時
「死にたい」
彼女は僕の隣で突然呟いた。
彼女が何故そう思ったのか、今日の様子だと分からないし、これまで一緒に過ごしてきた3年の中でも思い当たる節がない。
「どうして」
「どうしてとかは無いの。今そう思っただけ」
そう言いながら、彼女は僕の方を見ずにコーヒーを啜った。
「そんなこと言われて、僕はどうしたらいいんだ」
やめてくれよそんな冗談、と僕は苦笑いするしかなかった。
彼女は時々こんな悪い冗談を言うので、今日もまたそんなことだろつと思った。
僕が困ると、彼女はいつも悪戯に笑ってごめんごめん、と言うのだ。
だが、今日の彼女は笑わない。
「別にあなたがどうとか、どうして欲しいとかないの」
カップから口を離し、一息にそう言ってから彼女は小さくため息をついた。
「やりたいことがないって、私よく言うじゃない?」
「そうだね、君はあまり趣味とかないね」
「そう、あなたには色々あるじゃない。仕事もやりたいことをやっていて、好きな場所に住んで。いつもいいなって思うのよ」
「別に特別好きなものがなくても良いじゃないか」
僕がそう言うと、彼女は窓の外を見つめた。
さっきから、というか、ここ最近、彼女は僕と目を合わさない。
「それは、好きなことがある人が言えることなのよ」
彼女の薄くピンクがかった唇が少し震える。
僕はこの唇が好きで、惚れた。
こんな物騒な話をしている時にも、僕はこの唇に見惚れる。
「死にたい、じゃなくて、僕と別れたいんじゃない?」
言いたくはなかったが、死なれるよりはと思って僕はそう言った。
すると彼女は小さく首を振った。
「あなたがいないなんて、考えられないわ」
「じゃあなんで死にたいとか言い出したの?」
そう言いながら、僕の手は少し震えていた。
深刻な僕とは正反対に、彼女はどこか他人事のようだった。
「なんだろう、自分が最高な状態で死にたいとは昔から思ってたの」
彼女はそう話して、またコーヒーを飲んだ。
「もしかしたら、私が唯一やりたいことなのかも知れない」
「そんなの、もっと先にあるかもしれないじゃないか」
「何故それをあなたが分かるの?」
彼女はそう言って不意に僕に体を向けた。
久しぶりに正面から見る彼女の目はとても綺麗だった。
「あなたは私がいつ最高な状態だと思うの?」
「いつも君は最高だよ」
「そんな気味の悪い言葉求めてないわ」
間違えた。僕は回答を間違えたのだ。
彼女は黙る僕をしばらく見つめてから、ふふ、といつもの笑顔になった。
「ごめんね、あなたを困らせるつもりはなかったの」
行こうか、と言って彼女は席を立った。
カフェを出て、僕と彼女は解散した。
「じゃあまたね」
僕がそう言って手を振ると、彼女は言葉を返さずに手を振った。
そして駅の方へ歩き始めた。
僕は何か不安になって、彼女の背中にもう一度呼びかけた。
彼女は立ち止まり、少し振り返った。
長い髪が冬の風に靡く。茶色のコートに真っ黒な彼女の髪が映えて、本当に美しく見えた。
僕はもう一度「またね」と言った。
彼女はにこっと笑って、それでも何も言わなかった。
その姿を見て、僕はそれ以上引き止めることが出来なかった。
小さくなっていく彼女の背中を、ただ見送るしかなかった。
僕は、今日の彼女が、彼女の中で「最高」だと思ってしまった。
--------------------------------------
1日空いてしまいました。
少し怖い夢を見たのですが、そこからこんな物語を思い浮かんでしまいました。
時々こんな感じで読み切りを書いていこうと思います。