『Domestic Science』発売記念/takyaディスコグラフィ
▶︎▶︎本項はトラックメイカー・takya(タクヤ)による2024年の最新アルバム『Domestic Science』収録のライナーノーツから、前半のディスコグラフィ部分を再編集してお送りします。
▶︎本作よりアーティスト名表記を”takuya”から改めていますが、本人の遍歴を追っていく便宜上、旧表記で統一しております。
① 199x-2005 / 燐光と混濁
▶︎▶︎藤沢を拠点に活動するtakuyaは学生時代、バンドでベースを担当するも肌に合わず、音楽ツクールやPCに偶然入っていた作曲ツールに触れた事に触発され楽曲制作を始める。YMOやVGMで電子音楽には慣れ親しんでいたものの、クラブミュージックを意識的に聴くようになったのは、スチャダラパーの影響でサンプリングを、KEN ISHIIなどの影響でダンスミュージックの快楽性を知るようになってからだった。
▶︎雑誌『GROOVE』の影響より〈TRANSONIC〉〈不知火〉をはじめとした日本のアンダーグラウンドクラブシーンの存在を知り、当時西新宿にあった特殊レコードショップLOS APSON?にデモテープを持ち込んだ事から店主・山辺圭司の耳に留まり、同店舗が展開していたレーベル〈ze-koo〉より2001年にデビューアルバム『phosphorescence』を発表する。
▶︎2001年といえばAutechreが『Confield』でブレイクし、細野晴臣・高橋幸宏のSketch Show活動開始はその翌年。日本でElectronicaが一般的に知られる直前だ。その流行を横目に見つつか知らずか、『Phosphorescence』は内向的…いや、内面宇宙的というべき音響の上にテンポ遅めに刻まれるアブストラクト・ビート曲が多くを占めており、なんとも掴みどころが無いアルバムとなっていて、アブストラクト/トリップホップから”音響派”を挟んでElectronicaに転向する時代の残り香が確認できる。
▶︎勢いづいたtakuyaは翌年にアルバム『BLUE OPACITY』を完成させるが、デモMDが数人に配られたのみで日の目を見る事は無く、21年後の2023年に当人の実家より発掘、『KONDAK』と改題し本レーベル〈New Masterpiece〉からデータ配信でリリースされた。
▶︎『Phosphorescence』は廃盤で入手困難、サブスクにも存在しないため、今現在takuyaの初期作を聴くなら『KONDAK』が最適だろう。このアルバムは前半こそ前作の延長上にもあるものの、後半にはその後のtakuyaの活動に繋がる新たな要素が頻出する。11曲目「忍者Kの落とし物」のようなハウストラックはこの後、主にurban suburbanite名義で〈360°〉や本レーベルへのコンピ提供曲などにたびたび披露され、この路線は最新作『Domestic Science』に結実する。さらに、とあるアイドルの楽曲をサンプリングした14曲目「Mon Chemin」には後述するWillowy名義へ繋がる片鱗が伺え、後発作の成熟へ至る過程が収められている。
takuya / KONDAK (NewMasterpiece/2002制作・2023発表)
▶︎その後、さらに2作分のアルバム制作(1作は自主制作CDRで発表、もう1作は未発表)やDJユニット・kumomaでの活動を経て、〈TRANSONIC〉の永田一直や〈不知火/360°〉の虹釜太郎、のちに本レーベルの後見人となるWOODMANといった先達と親交を深める。
▶︎2005年には虹釜が〈Commune Disc〉の鈴木康文と共催していた〈CLAY〉より、レーシング・ゲームに捧げられた『Electro Lizard 999 Game No Strikes Back』をリリース。本作は”下世話なエレクトロニック・ミュージック”を標榜したDJエリマキトカゲ名義のアルバムであった。
② 2006-2013 / 成熟と蹉跌
▶︎▶︎それまでの雑多かつラフな印象だったtakuyaの作風が一変するのは永田の新レーベルだった〈ExT Recordings〉より2010年にリリースされた『Via Space』だろう。takuyaは永田が編纂する新たなテクノコンピレーション『Electro Dynamic』にシリーズ全2作ともに参加(Vol.1は2003、Vol.2は2006)。DE DE MOUSEやCherryboy Function、やけのはらといった1990年代テクノ/ヒップホップ影響下の新世代と肩を並べ、巷の注目を集めた。1990年代末より雑多でスカムな地下音楽シーンを徘徊していた(それでこそ今どきのYouTuberのように無軌道な)若者達の足がストイックなダンスフロアに向き始め、一気に花開く時期であった。
▶この時期よりデトロイティッシュなテクノ路線はtakuya本名義に、ブレイクビーツ/ヒップホップ路線はWillowy名義と、各路線の影響をそれぞれストレートに表すべく、ある種正統的なトラックメイキングをストイックに追求していき、その結実が『Via Space』とWillowyの『Beats,Breaths and Life』の2作となった。
▶2作ともに当時の彼の最高傑作に仕上がっていたが、『Via Space』はDE DE MOUSEやCherryboy Functionに続く後釜として大きな期待を受けるも、セールス的には不発に終わってしまう。一方とあるビートものレーベルから発表予定だった『Beats,Breaths and Life』も、レーベル側の都合でリリースを後回しにされ続けた挙句、お蔵入りとなってしまっていたところを新興レーベル〈G.L.E.〉から声がかかり、2013年に日の目を見た。が、それもたび重なるトラブルに見舞われた挙句、ほとんど話題にならなかった。
▶︎以後takuyaは各種コンピやリミックスなど楽曲制作依頼には応じるも、単独作品の制作/発表には消極的になっていく。
③ 2014-2019 / 模索と発展
▶︎▶︎とはいえ、2010年代のtakuyaが音楽から離れる事は無く、むしろ現場での活動は活発だった。まず代表的な活動としては、行きつけだった新宿のクラブ・BE-WAVEで坂田律子、谷内栄樹らと『歌舞伎町takuyaラウンジ』をレギュラーパーティーとして定期的に開催。
▶︎その一方でボルダリングにも興味を増やし、暇が出来ると山に向かいロッククライミングに勤しむ。偶然にもその時期“チベット山岳地帯のダンスミュージック”という「設定」の電子音楽“ゴルジェ”のムーブメントがインターネット上に発生、彼もそれに呼応し、BeaverTozan名義で〈CommuneDisc〉のEPをはじめ、〈GORGE.IN〉〈Terminal Explosion〉などのコンピやリミックスなどにいくつか残した。併せてボルダリングジムにサウンドシステムを持ち込み早朝ゴルジェイベント「CAFE de CLIFF」を企画、3回ほど開催している。
▶︎さらにフィールド・レコーディング(現地録音)にも強い関心を示しており、田んぼにICレコーダーを持ち寄りその場の虫や蛙の声、風などの自然音を録りため、2011年に『Sounds of Rice fields』としてCDR2枚組で編纂し自主制作で発表、ロスアプソンや高円寺の円盤/黒猫にて現在まで地道に長く売れ続ける。
▶︎また、2014年には本レーベルからもフィーレコオンリーMixをデータ配信でリリースする。前半は『Sounds of Rice fields』と同じく静かな田んぼの音なのだが、放心していると30分あたりから突如重機のようなけたたましい機械音が鳴りはじめ、SL、海やバッティングセンターなど様々な場所にワープし続ける鬼気迫る内容で、KLF『CHILL OUT』をも彷彿とさせるが、本人はKLFの影響を受けていない。
takuya / Voice, Drops and Life (NewMasterpiece/2014)
▶︎転じてフィーレコオンリーDJイベント「Field of Dining Sounds」もBE-WAVEにて定期的に開催。フロアにテーブルを設置しフリーでご飯を振る舞い、数種類ある”飯の友”をワンコインで提供するという異例の催事となった。
▶︎いずれにしても、別の趣味を持ちながらその興味を音楽に回帰させる事は忘れなかった。
▶︎▶︎というわけで、ディスコグラフィーとともにtakuyaの遍歴を追ってみた。この後はここを読んでいるあなたもご存知の通りコロナ禍が発生、BE-WAVEをはじめ数多くのクラブが閉店に追い込まれ、多くのミュージシャンやDJが活動の制限を余儀なくされるわけだが、その中でtakuyaはようやく重い腰を上げ、新たなテクノアルバムの完成を目標に足掛け4年にも渡る制作期間を過ごすわけだ。さて、コロナ禍とはいえ何故そのように長い年月をかける必要があったのか? その制作過程については是非是非CD『Domestic Science』を手にしていただき、ライナー後半部をご一読ください。