『そうだ、ミニマリストになろう。-Day 7:なりたかったけど、なれなかった自分に。』
<30日かけて500個近くのモノを処分する30日ミニマリストゲームを実践中>
週末にちょびっと断捨離ぐらいならばそこまではいかないだろうが、真剣にモノと向きあい、ただひたすら処分する日々を繰り返すと、誰もがほぼほぼ経験するのでは?と思うことがある。
それは「なりたかったけど、なれなかった自分を弔う」こと。
「これを買えば変われるんじゃないか、もっと幸せになれるんじゃないか」
ろくに使わなかったモノには、元々そんな思いがあったのじゃないかな?
でも、思い通りにはいかなかった。
なりたい自分にはなれなかった。
あきらめきれていなかった。
それを処分してしまうのは、なれなかった自分をきっぱり認めることだ。
それを認めるのが怖いから、クローゼットや押し入れの奥にモノを押し込んで「そのうちいつか」と、先送りしてきたのだろう。
「そうだ、ミニマリストになろう。」とある日ふと思い立って整理を開始したのは、「子供たちにそれほど手がかからなくなったから」「在宅勤務で家にいる時間が増えたから」と思っていたけれど、「50歳が近づいて、踏ん切りがつきつつある」が正しいのかもしれない。
私がモノの処分をしていて、一番心が痛んだのは、育児関係のものだった。育児本や雑誌、教材など。理想的な母親像に近づくべく、努力をしたり、できなかったり、しなかったり。自分自身は理想から全くもってかけ離れ、子供たちだって完ぺきには程遠い。そしてそれがすべて自分の至らなさのように思えて泣けてくる。
買い物依存でもモノ依存でもなく、溜め込み屋でもなかった自分が、こういう気持ちになるとは全く予想していなかった。
手を伸ばすことなく本棚の奥にずっとあった育児雑誌に、私がこうしていれば、あるは別の落ち着いた家庭であったなら、子供たちはもっとやさしく、賢く、習い事もほんとはものになってたんじゃないか。ティーンネージャーになって不安定な彼らだから尚更悩みがつのる。
だがそれと同時に、忘れてはいたけど、あの時自分がどれだけ頑張っていたかを思い出させるモノもあるのだ。自分のことを後回しにして、必死に子供を育てていた年月が、私にも確かにあった。
至らなかった自分を認めよう。
それと同時に、一生懸命、もがいてあがいた自分も認めよう。
あの時、自分がもっているすべての中で、ベストを尽くしていたはずなのだから。「こうすればよかった」は振り返って思うことであって、何年か前の自分は、まちがいなくこれが一番よい選択肢だと思うものを選んでいた。
これでよかったんだよ。誰も言ってくれないから、もう自分で自分に言ってやる!<キッパリ>
私の場合は育児であったが、人それぞれ違う分野であるのだろう。仕事やら、恋愛やら、みんなそれぞれあがいてもがいて頑張ってきたに違いない。だからこそ、仕事のストレス解消に買い物したり、これで自分はもっとXXになれると信じてモノを買ってきたのだ。
それでいいじゃない?
だって、ずいぶん頑張ってきたよね。
そう思って、なりたかったけどなれなかった自分をモノと一緒に丁寧に弔おう。
モノを処分することは、自分の過去を昇華する儀式だと知る。
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30 day minimalist game
Day 7: bath towel, small bags, magnets
30日ミニマリストゲームとは、
1日目に1個
2日目に2個
・・・
30日目に30個というふうに、モノを処分していくゲームです。無事30日を終了すれば、500個近いモノを処分することになります。
アメリカで有名なミニマリストが運営するサイト
Theminimalists.com
からのアイデアです。
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