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多種多彩、いちごのような栃木県
栃木県は、北関東にあります。
その昔の『下野国』(しもつけ)から成る、
都道府県の一つです。
県庁所在地は「宇都宮」(うつのみや)!
…「栃木」県であり「宇都宮」県では
ないところに、深い事情が垣間見えます。
本記事では、この栃木県の歴史について
書いてみたい、と思います。
便宜上、6つの時期に分けて書いていきます。
◆西暦1年 ~600年頃 ≪約600年≫
「宇都宮」の街の歴史は、とても古い。
出雲神を祀る「二荒山神社」の別名、
「宇都宮大明神」が由来という説が有力です。
できたのは、何と4世紀頃でした。
聖徳太子(厩戸皇子)の時代より前のこと。
下野国のナンバーワン、「一宮」です。
(いちのみや=うつのみや説もある)
祭神は豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)。
第10代天皇の崇神天皇の皇子で、
西の都から派遣され、平定しました。
このあたりには「毛野(けの)」という
一族が住んでいたらしいのですが、これを制圧。
後に「上毛野」「下毛野」に分かれ、
「しもつけの」が「しもつけ」となり
「下野国」になったとのことです(諸説あり)。
ちなみに。この一族の名前の「毛野川」が、
後に「鬼怒川」になります。
日光を源泉として、宇都宮、茨城県を流れ、
やがて利根川へと流れる大きな河川です。
◆600年頃 ~1200年頃≪約600年≫
栃木県と言えば「日光東照宮」!と
思い浮かべる人もいるかもしれません。
宇都宮の西にあります。
「華厳の滝」や「中禅寺湖」もある。
山の奥深くの神社…。
日光東照宮ができる前、
日光の寺社を開いた人は
勝道上人(しょうどうしょうにん)。
784年、湖のほとりに、中禅寺を建てた。
これが「中禅寺湖」の名前の由来です。
奈良時代・平安時代には
神社、寺院、神仏習合がさかんです。
国府は、現在の「栃木市」に置かれる。
国分寺と国分尼寺は
「下野市」に置かれました。
◆1200年頃~1600年頃≪約400年≫
イイクニつくろうの鎌倉幕府ができると、
「宇都宮氏」という武士団が登場します。
鎌倉武士と言えば、那須高原の弓の名手、
「那須与一」が有名ですね。しかし、
宇都宮一族も与一にも劣らぬ武勇の名門!
第3代の宇都宮朝綱(ともつな)は
「坂東一(関東一)の弓取り」として
あの源頼朝に褒められたほどの武士。
第5代の宇都宮頼綱(よりつな)は
『宇都宮歌壇』と呼ばれる
和歌のサロンを作った歌人兼武人。
藤原定家に和歌を選んでもらったことから
「小倉百人一首」が生まれたと言われます。
第8代の宇都宮貞綱(さだつな)は
「元寇の際の総大将」として九州に遠征!
宇都宮氏は、室町時代でも大活躍します。
「関東八屋形」という
「名門」のお墨付きまでもらう。
第9代の宇都宮公綱(きんつな)は
名将の楠木正成から「坂東一の弓取り」と
畏れられた武人でした。
第10代の宇都宮氏綱(うじつな)は
足利尊氏から下野国だけではなく
上野国・越後国の守護まで任された。
(その後、反乱に巻き込まれ剥奪されますが…)
戦国時代にも、スーパースターが生まれました。
第17代の宇都宮成綱(しげつな)です。
まさに「北関東の覇者」!
勢力が落ちていた宇都宮氏を盛り返し、
「中興の祖」「奇蹟の武人」とも呼ばれる。
戦国大名、宇都宮氏!
…ただ、関東地方には「後北条氏」という
強い戦国大名がいました。
宇都宮氏は、東の常陸の佐竹氏と組んで、
北条に対抗します。
そこに出てくるのが、ご存知、豊臣秀吉。
後北条氏が滅ぼされ、宇都宮氏は所領安堵。
これで安心、と思いきや、
何と秀吉、1597年に突然、第22代の
宇都宮国綱(くにつな)を改易してしまう。
これによって、名門の宇都宮氏は
歴史の表舞台から消える。
※ちなみに「日本最古の学校」と言われる
『足利学校』は、上杉憲実(のりざね)という
室町時代の関東管領が復興させました。
現在の足利市、栃木県の南西部にあります。
◆1600年頃~1850年頃≪約250年≫
江戸時代、徳川家康は死後「神」として
「日光東照宮」に祀られます。
江戸から見て北、北極星の位置です。
「不動の位置」から徳川の守り神になった。
街道が整備されて「日光街道」と呼ばれる。
…ただですね。江戸幕府にとって
そんな超重要な場所に、強い大名を
置くわけにはいかないですよね。
もし、東照宮を占領されたらどうする?
弱い大名を配置しておくに限る…。
武家の名門、宇都宮氏はすでにいません。
宇都宮藩の当主の移り変わりを見ましょう。
奥平家、本多家、奥平家、松平家、本多家、
奥平家、阿部家、戸田家、松平家、戸田家。
…ちょっと変わり過ぎではないでしょうか?
宇都宮藩以外の藩も乱立していました。
旗本、寺社の支配地も多い。
幕末期の下野国は、大名領がわずかに五割!
旗本領、直轄領、寺社領、飛び地が多かった。
そう、江戸時代の下野国は
「分割支配」されていたんです。
幕府内で要職に就く大名のための領地として、
下野国が「利用」されたとも言われます。
幕府によって「バラバラ」にされていた。
◆1850年頃~1945年頃≪約100年≫
ですから、いざ「廃藩置県」を行う際には、
日光県、吹上県、黒羽県、茂木県、壬生県、
佐野県、足利県、大田原県、烏山県、
そして宇都宮県、加えて飛び地、
「20以上の県」が乱立しました。
四か月後、旧下野国は「栃木県」と
「宇都宮県」の二つに整理されます。
1873年、宇都宮県が廃止されて栃木県に編入。
こうして現在の形に近い
「栃木県」が生まれたのです。
県庁は「県域の中央」栃木町に置かれた。
…これには理由があり、県域に南西部の
「東毛3郡」も含まれていたんです。
だから栃木町が中央の位置にあった。
ところが1876年、この3郡が
群馬県に編入されます。
宇都宮市に県庁を移転すべきだ、と
議論が起こる。
すったもんだの招聘合戦の末、
1884年に県庁が宇都宮市に移動されます。
しかし県名は「栃木県」のままにする。
苦心の「妥結」の跡が見えます。
新県庁で地鎮祭が行われた時に、
「これは県民の総意じゃないぞ!」と
罵声を浴びせた県会議員もいた。
後に有名になる「田中正造」でした。
◆1945年頃~2023年時≪約75年≫
このような歴史があったために、
栃木県の県民性は
「統一感に欠ける」とも言われます。
しかし裏を返せば、多種多彩な
各地に魅力を持つ県、とも言えましょう。
まるでたくさんの種類がある
「いちご」のような魅力的な県…。
日光東照宮、鬼怒川温泉、那須高原、
足利市には足利学校とフラワーパーク、
佐野厄よけ太師と佐野ラーメン、益子焼。
宇都宮と言えば「餃子」と「カクテル」!
最後に、まとめます。
本記事では、栃木県の歴史と地理から
その本拠地の変遷を探っていきました。
宇都宮、日光を中心としつつ、
それぞれ個性的な魅力の街を持つ栃木県!
一度訪れてみてはいかがでしょう?
その際には、美味しいいちごをぜひどうぞ。
※本記事は以前に書いた記事のリライトです↓
『栃木県の本拠地の変遷』
合わせてぜひどうぞ!
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