ワークライフジグソーの変遷(いなお編)
いかにワークとライフのジグソー(パズル)を
組み立ててきたのか、振り返ってみます。
私の簡単な自己紹介も、兼ねています。
①学生期
地理と歴史のピースをやたらと集めていました。
単純に、好きだったからです。
それ以外の理由は、ありませんでした。
「教員免許」というピースも、取りました。
それは『世間』という凸凹に『地歴』は、
「教員」「授業」というピースでないと
組み合わない、認められないと、
(当時は勝手に)思い込んでいたからです。
②新卒期
いわゆる「学校」ではありませんでしたが
(氷河期なので教採は天文学的な倍率でした…)
教育産業の会社で、働き始めました。
ただし「教育産業(主に小中対象)」
という凸凹に、地歴というピースは、
ぴったりではありませんでした。
ハマる部分もありましたが、需要的には、
算数・数学や英語のピースの方が
断然ハマりやすい、ということを知りました。
そりゃ、そうですよね(気付くのが遅い)。
毎日の継続と教育産業の助けが
最も必要なのが、数・英なのですから…
(公文や英会話教室を思い浮かべて下さい)。
会社の方針に従い、
頑張って「英語」のピースも集めるうち、
「英語の合間にちょこっと
地歴を教えるだけで満足なのか?」と
自問自答し、暗中模索・五里霧中になりました。
まず、霧を晴らそう。
私は会社を辞めて、地歴を専門に学習できる
大学院に、入り直しました。
③再び学生期
ひたすら考え、ひたすら書き出しました。
自分で稼いだ貯金で、自分の好きな学習を、
とことん追求していく二年間でした。
ただしこの凸凹の鋭い、クセのある、
「地歴」というピースを、いかに世間の
凸凹にはめていくべきか、かなり悩みました。
…縁あって、出版系の会社に(第二新卒的に)
就職することができました。
④カイシャ期
それまで「教育でお金をいただく」
ことしかやってこなかったので、
いわゆる「カイシャ」という凸凹の中に
自分を当てはめたのが、とても新鮮でした。
椅子に座った仕事でお給料をもらうことに、
最初はとまどったことを覚えています。
ただ、その会社の事業と方向性的に、
集めた地歴のピースを活かせることは
ほとんどありませんでした。
…いかに自分が偏ったピースを
集め過ぎていたかを、思い知りました。
「自分の凸凹を、カイシャの凸凹に、
無理に当てはめていく」のが
次第に苦痛になっていきました。
私は悩んだ挙句、その会社を辞めました。
⑤家庭構築期
ここまでは「ワークライフイコール」、
すなわち「仕事」に、ほとんどの時間と労力を
費やしてきた感じです
(学生期は、スタディライフイコール)。
しかも、自分が主体的にジグソーを
「組み立てる」のではなく、自分が持っている
凸凹ピースを「当てはめる」ことが多かった。
…ちょっと、反省しました。
それ以外の人生の幅、ライフの部分にも
目を向けるようになりました。
その根底には「人間の幅の極端に狭い者が
人様に何かを伝えることはできないのでは…」
という、今思えば、強迫観念のようなものが
あったように思います。
結婚し、転居し、家庭を持ちました。
「ライフ」のピースを、増やしました。
その一方で、「ワーク」のピースを
とっかえひっかえし、転職を重ねました。
営業の仕事も、30代で初めて経験しました。
履歴書の行数が、どんどん増えていきました。
⑥複業クリエイター期
紆余曲折ありましたが、家庭も落ち着き、
地歴とはあまり関係のない職について、
40代で、SNSを始めました。
SNS上では、これまで触れてこなかった
様々な凸凹に、触れることができました
(読者の皆様も、そのうちのお一人です)。
「そういえば、地歴が好きだった」
ワークライフジグソーを組み立てることに
必死になっていったあまり、いつしか
私は「地歴」のピースを忘れていました。
そのピースを当てはめるのを、
無意識のうちに諦めていたのです。
「…地歴関連でクリエイトしてみるか!」
私は『中年世代の複業クリエイター』を名乗り、
「実用地歴提案会ヒストジオ」を
立ち上げて、SNSでの発信を始めました。
2019年のお正月、約三年前のことです。
①学生期
②新卒期
③再び学生期
④カイシャ期
⑤家庭構築期
⑥複業クリエイター期
…以上が、私の簡単な(かなりはしょった)
ワークライフジグソーの変遷になります。
さて、読者の皆様は、いかがでしょうか?
どのようなピースを集めて、
どのように組み合わせて、
どんな自分なりのジグソー(パズル)を
組み立ててきましたか?
また、これからはどんなピースを
組み合わせていきますか?