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公務員が自らの財源を稼ぐ?! ~茂木町とSUM~
「地域商社」として町の資源に価値を生み、
町の財源を「生み出す」!
役場の職員が、税金を「使う」だけでなく、
「自ら財源を稼ぐ」ことにも挑戦する…!
そんな取り組みをしている町があります。
栃木県にある茂木町(もてぎまち)です。
本記事にて、その取り組みを紹介します。
まずは茂木町の歴史と地理を
確認していきましょう。
人口は約一万人強。小さな山間の町です。
川では鮎が採れます。
場所は、茨城県の水戸市と
栃木県の宇都宮市の中間地点のあたり。
栃木県南東部、茨城県との県境のある町!
江戸時代には「谷田部藩/茂木藩」として、
茨城県つくば市の谷田部とともに
「飛び地」として細川氏が治めていた。
廃藩置県で茂木県となり、
後に栃木県へと編入されます。
…この町の経済を長く支えてきたのは
「葉たばこ」でした。
山の中です。広い農地がない。そのため、
限られた土地で集中して葉たばこを生産。
江戸時代の末には「煙草刻機械」を導入し、
葉たばこをつくる人が
自力で製品を作れるようになりました。
「茂木煙草」の名は、明治時代に
一大生産地として知られるようになります。
…しかし明治37年(1904年)、
明治政府は「たばこの専売」へと踏み切る。
背景には「日露戦争」の戦費調達、
外国資本によるたばこ産業独占の恐れ、
などがあったと言われています。
民間に任せては海外資本にやられる、と。
これによって、民間から発展してきた
茂木のたばこ産業は打撃を受ける。
ただ「日本専売公社茂木工場」ができ、
葉たばこは買い上げられることになった。
長くこの地域の経済を支えていきました。
(町内には「たばこ神社」もあります)
…しかし、昭和52年(1977年)、
茂木工場は閉鎖される。
「たばこ産業」はご存知の通り、
税金で高くなったり、禁煙が広まったり、
健康志向が高まったりして
衰退していきます。今や、風前の灯。
日本全国の「葉たばこ農家」の数の推移は…。
◆昭和35年(1960年):約33万人
◆令和元年(2019年):約5千人
柱だった産業が衰退していき、
茂木町は過疎の道を進んでいく…。
(もちろん、茂木だけでなく、
全国の山間の町がたどってきた道ですが)
しかし茂木町、あきらめない!
「このままでは活力がなくなって
町がだめになってしまう…。
よし、葉たばこに変わる
新しい産物をつくろう!」
昭和59年(1984年)に、ある男性が
「ゆず栽培」を始めていったそうです。
荒れた農地を整備してゆずを栽培。
実ればイベントを開催、人を呼び込む。
それだけでなく都市の住民にも呼びかけて
「ゆずの木のオーナー」になってもらう…!
『自分の木』があれば、
「茂木に行ってみよう」となりますよね。
お土産も買って帰る。
いわゆる「都市農村交流」の土台が、
少しずつ育まれていくのです。
その事例を見た町内の他の地区でも
「オーナー制度」を導入。
しいたけ、棚田米、梅、蕎麦…。
蕎麦のオーナー制度を採った地区では
「農村レストラン」ができ、
リピーターも増えていったそうです。
そういう土台を持つ町、なのです。
「地方創生」が声高に叫ばれ出す前から、
葉たばこ産業衰退による
過疎化対策に取り組み、試行錯誤してきた町…。
さて、ここで視点を変えましょう。
この茂木には、交通に関する
「観光資源」がいくつかあります。
平成9年(1997年)に開業した
「ツインリンクもてぎ」は
ホンダが鈴鹿サーキットに次いで建設した
2つ目のサーキット場です。
ライダー界隈では知らない者はいない
超有名なサーキット場!
(注:令和4年(2022年)に
『モビリティリゾートもてぎ』という
名前に改称しています)
…となれば、バイクに乗った皆さんが
「ツーリング」でよくやってきますよね。
都会からの日帰り旅行として
ほどよい距離にあるのもいい。
「道の駅もてぎ」の駐車場には
バイクがよく停まっている。
かつ、個別の乗り物ではなく、
公共交通機関にも見どころがある。
それが「真岡鐡道真岡線」です。
茨城県筑西市の下館駅からの、
「コットン・ウェイ」と呼ばれる路線。
茂木駅はその終点なのです。
土日祝中心に「SL」が走っています。
「鉄ちゃん」には垂涎の的!
…ここまでを、簡単にまとめましょう。
◆葉タバコ衰退→ゆずなどオーナー制度導入
◆ツインリンクもてぎ・SLなど交通観光資源
◆でも町は過疎化、何とかしなければ…
はい、こういう背景を踏まえての、
「地方公務員一般社団法人設立」なんです。
令和2年(2020年)4月1日に発足。
メンバーは茂木町職員有志。
令和5年(2023年)には「一般社団法人SUM」
(Social Up Motegi)に名称変更しました。
なぜ立ち上げたか、その理由を引用します。
(ここから引用)
『平成31年1月1日現在の調査結果では、
茂木町は栃木県内市町村において
最も高い高齢化率となっています。
近年の人口減少を考慮し、
私たちは町づくりの主役は
郷土愛を持った20年後の子ども達である
と考えました。
未来の主役達のため、町の資源を活かし、
収益を生み、町の財源に還元することを
目的に法人を立ち上げました。』
(引用終わり)
主役は「20年後の子どもたち」。
…ただ、一つ、疑問があります。
公務員ですよね? 副業禁止では?
(ここから引用)
『非営利一般社団法人で
無報酬の理事なら可能!
一般社団法人の定款中に
余剰金の分配の禁止事項を定めることで
非営利型の一般社団法人となります。
当法人の定款中の第25条で
「当法人は余剰金を分配することはできない」
と定めています。
また公務員の副業に対応するために、
第24条において
「理事は無報酬とする」と定めています。』
(引用終わり)
「地域振興課」や「商工課」の仕事は
「公平に商工業者を支援する」こと。
ゆえに市町村自身が「主体的に」
商いを行うことはできないのです。
だからこそ一般社団法人の設立!
まだまだこれからだとは思いますが、
「茂木町産檜」でできた「積み木」や、
木材でできた「ログトーチ」、
「和牛ブランド化」等に取り組んでいます。
民間企業からのブランディング案件も受注し、
積極的に進めているそうです。
最後に、まとめましょう。
本記事では、歴史と地理を踏まえて、
「一般社団法人を設立して『稼ぐ』」という
茂木町の試みを紹介してみました。
もちろん、そのすべてが大成功!と
いうわけにはいかないでしょうけれど、
「座して消滅を待つ」
「煙のように消えていく」よりも
断然いい、と、私は思うのです。
民から官へ。官から民へ。
官民協同。使い分け…。
『住民が主役となって計画し、
行政がそれを支援して
村づくりを行うというのが茂木スタイル』。
それに加えて、この一般社団法人。
読者の皆様は、どう思われましたか?
皆様の街では、どんな取り組みがありますか?
※本記事は以前に書いた記事のリライトです↓
『地方公務員が一般社団法人を設立し「稼ぐ」』
※「茂木藩/谷田部藩」の歴史はこちら。
二宮尊徳(金次郎)さんも出てきます↓
合わせてぜひどうぞ!!
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