ブルボンとレユニオン
アフリカ大陸の東、マダガスカル島の東の海に
浮かぶ孤島、「レユニオン島」!
フランス共和国の海外県・海外地域圏です。
人口は約86万人ほど。
ほぼ神奈川県と同じ面積の火山島。
世界遺産にも指定されています。
コーヒーがお好きな方ならば
「ブルボン種」(ブルボン・コーヒー)の島、
として知っているかもしれません。
現在、世界で飲まれているコーヒーの
7割を占める代表品種がブルボン種。
そのルーツに限りなく近いものが
「ブルボン・ポワントゥ」と呼ばれるもの。
今でもこのレユニオン島で
栽培されています。
ポワントゥとは「尖った」という意味。
通常のコーヒー豆が丸みを帯びた
形をしているのに対して、
豆の先が尖った形をしています。
(バレエシューズの「ポワント」も
先が尖っていますよね!)
甘味が強く、非常に香り高い。
…要は、このレユニオン島で栽培されていた
コーヒーが、南アメリカ大陸などに移されて、
品種改良をされながらたくさん栽培されていき、
世界中で飲まれるようになっているんです。
しかしなぜ、この島で作られたコーヒーが
「ブルボン」なのか?
本記事ではレユニオン島と
ブルボンという名前について
書いていきましょう。
「ブルボンと言えば、やはり、
お菓子メーカーですよね!
アルフォートとか、ルマンドとか」
ええ、現在の日本では確かに
「お菓子メーカー」の名前のほうが
有名ですけれども、
もともとブルボン株式会社は
「北日本製菓商会」という名前だった。
全くブルボンじゃない。
1924年(大正13年)創業。
本社は新潟県柏崎市です。
柏崎市のお菓子屋「最上屋」の
息子であった吉田吉造さんが
関東大震災(1923年)をきっかけに
「地震でお菓子の供給が止まってしまった。
よし、地方でお菓子をたくさんつくるぞ!」と
商会を立ち上げたのが始まりでした。
「ブルボン」のブランド名は
1961年(昭和36年)に
当時の社長が考案したのが
起源だと言われています。
はじめは「粉末インスタントコーヒー」に
その名前が使われていた。
…なぜ、ブルボンにしたのか?
洋菓子=フランス=ブルボン王朝の発想?
コーヒー=ブルボン種=ブランド名?
色々な説がありますが、
詳細は明らかではありません。
ともあれ、日本の北のほうで生まれた
菓子製造会社が「ブルボン」の名を使い、
その会社のお菓子が全国に広まることで
日本でもブルボンの名が広まった…。
では、そもそも「ブルボン」とは
何でしょう?
これは、フランスの王朝名です。
由緒ある貴族の家の名前だったんですね。
ブルボン王朝の創始者と言われる王様が
「アンリ4世」と呼ばれる人。
1553年~1610年。
日本の徳川家康が1543年~1616年なので、
ほぼ同じ時期の人と思ってください。
このアンリ4世、
徳川家康が江戸幕府をひらいたように、
「ブルボン王朝」をひらく。
1789年の「フランス革命」で倒されるまで、
アンリ4世の子孫が国王になっていたんです。
しかも、革命が起こった後も、
ナポレオンが倒れたら
「王政復古」でブルボン王朝が
(一時的に)復活している。
◆ルイ13世(「三銃士」の頃の王様)
◆ルイ14世(人呼んで「太陽王」)
◆ルイ16世(フランス革命で処刑)
みんなブルボン王朝の国王。
そんな華やかな歴史もあって、
フランスでは「ブルボン」は
非常に知られた名前でもあるんですね。
「ふうん、すごい王様たちを
生んだ一族なんですね!
では、ブルボン家のアンリ四世も
パリ生まれの生粋のフランス貴族だった…?」
いえ、違います。
アンリ四世は1553年、
ベアルン地方のポーという所で生まれる。
フランスの南西部、ピレネー山脈に近く、
スペインの国境に近い地域です。
花の都パリからは、かなり遠い。
母親はナバラ王国という国の女王。
ゆえにアンリ四世も元は
ナバラ国王だったんですが、
その前の「ヴァロワ王朝」の国王である
アンリ三世が亡くなった後、
フランス国王の王位を継承して
「アンリ四世」となるんです。
このアンリ四世、
プロテスタントでありながら
カトリックに改宗して、
国内の宗教戦争を収めています。
1598年(関ヶ原の戦いの2年前ですね)に
「ナントの勅令」を発布。
カトリックとプロテスタントの争いを
収めた、非常に政治的に優れた王様でした。
(注:後に「太陽王」ルイ14世が
1685年にナントの勅令を廃止してしまい
革命の遠因になってしまいます)
…つまり、太陽王とか、
「ヴェルサイユ宮殿」とか、
華やかなブルボン王朝も元をたどれば
辺境の地方の貴族、一王家に過ぎなかった。
では、レユニオン島の話に戻しましょう。
1640年、この島に
フランス人が上陸して
「フランスの領土だ」と宣言します。
当時の国王はルイ13世でした。
ブルボン王朝の国王です。
ゆえに彼はこの島を
「ブルボン島」と名付けます。
ところが1789年、フランス革命が起きる。
国王は処刑される。ブルボン王朝、倒される。
ゆえにこの島の名前は
「レユニオン島」と改名されるんです。
レユニオン、とは「革命」や
上下の隔たりのない「団結、同盟」という
意味合いがあります。
つまり、身分や上下のある
ブルボン王朝の島ではなく、
みんな平等、団結している島、となる。
ところが、フランス革命の後、
「皇帝」ナポレオンが出現します。
その時に、この島も
「ボナパルト島」と改称されるんです。
皇帝に媚びを売ろうとしたんでしょう。
しかし、そのナポレオンも没落する。
王政復古。
ブルボン王朝が(一時)復活したので
この島は「ブルボン島」に戻りました。
しかししかし、王政復古したフランスも、
1848年の「二月革命」で
再び王朝が倒されます。
またもや島の名前が変わる…。
「レユニオン島」に戻りました。
「…ちょっと変わり過ぎじゃないですか?」
ええ、私もそう思います。
◆1640年:フランス領
◆1642年:ブルボン島
◆1789年:革命でレユニオン島
◆1806年:皇帝でボナパルト島
◆1814年:王政復古でブルボン島
◆1848年:二月革命でレユニオン島
このように、フランス本国で
政変が起こるたびに名前が変わった島…。
それがレユニオン島なのです。
最後にまとめます。
本記事ではレユニオン島と
ブルボンという名前について
書いていきました。
フランスとスペインの国境近く、
辺境の山岳地帯から
ブルボン王朝が生まれ、
中央のパリやヴェルサイユで
華やかな文化が生まれる…。
その王朝を起源とする名前、
「ブルボン島」時代の孤島から
コーヒーが栽培され、
それが世界中に広まる…。
そのコーヒー種の名前を元に
新潟の小さなお菓子屋さんから
お菓子の「ブルボン」が生まれて
それが日本中に広まる…。
辺境と中央。大陸と孤島。
ブルボンとレユニオンは、
歴史と地理が織り成すタペストリーを
象徴するような名前なのです。
※『ブルボンドラフト会議』↓
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