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血縁、地縁、もう一つの「ちえん」
縁、えん、えにし、というものは
なかなかに奥深い言葉ですよね。
生き物である私たちには
「ルーツ」があります。
まずは血のつながり、血縁(けつえん)です。
もちろん、様々な家族の形があります。
「義父」「義母」のように、
血のつながりがなくても「家族」として
生活しているケースもある。
ただ、人間、無から生まれたわけではない。
私たちは誰しもが、
何らかの由来、由縁を持って、
この世に生まれ出てきた。
本記事は色々な「縁」について書きます。
血縁とともに私たちについて回るのが
「地縁」ですよね。
どこで生まれ、どこで育ったか。
今、どこにいるか。将来、どこにいたいか。
地理は、地に足をつけて生きる生き物、
つまり私たち人間にとって
(普段は空気のように「自然」で
なかなか気づかないものですが)
ずっとついて回るものです。
宇宙飛行士にならない限り。
たとえ濃密なつながりはなくても、
人は実は「地」でつながっています。
特に島国では。
そう考えれば、
血縁と地縁は、生まれた時から
私たちに「すでに」ある。
血縁は「けつえん」と読みますが、
これを「ちえん」と読みかえれば、
「二つのちえん」を持っているんです。
最初は、選べない。
「大富豪の家に生まれたかったなあ」
「寒いところではなくハワイが良かった」
そう思っても、変えられない。
あまり「〇〇ガチャ」という言葉は
好きではないのですが、
「血縁ガチャ」「地縁ガチャ」はある。
繰り返しますが、自分のせいではない。
これはもう、受け入れるしかない。
プラスの面を、考えていくしかない。
ただし、血縁も地縁も、
そのうち「選べる」ようになりますよね。
血縁で言えば、
もちろん個人の諸事情や条件はありますが、
子どもを持つのかどうか、
家族を増やすかどうかは、選択できる。
里親制度、などもあります。
地縁もそうです。
どこに住むか、引っ越し、移住。
制限はあるものの
「自分で選択できる」ようになる。
そう考えますと、血縁も地縁も
変えられないものがある反面、
変えることができる面もある。
…この二つの他にも、
縁はまだ無数に考えられます。
例えば「友縁」。
小さいうちは地縁、
つまり隣近所とか幼馴染とか
小学校が一緒とか
そういうものに左右されますけれども、
友は、自分で選べる。
少なくできる。増やすこともできる。
絶縁したり、出会ったりできる。
読者の皆様も「友縁」はいかがでしょうか?
これは本当に千差万別で、
広く浅い人、狭く深い人、色々。
広く深い人、狭く浅い人もいます。
「学縁」も選べますよね。
小学校、中学校、高等学校、大学(院)…。
もちろん小さいうちは地縁や血縁、
近くの学校や親の意向、そういったものが
大きく左右して選べないでしょうが、
成長していくにつれて、
財力や意志がついていくにつれて、
自分で、選ぶことができる。
社会人学校も、あります。
また、無理に学校に行かなくても、
このご時世、オンラインで学習している人も
たくさんいますよね。
(例えば、LinkedInラーニングとか)
そういった縁、つながりは、選択次第。
「社縁」も、そうだ。
会社、あるいはビジネス上のつながり。
会社の雇い主、同僚、取引先との縁。
会社に属してなければ
社縁は少ないかもしれませんが、
取引先の相手が会社に属しているのなら
社縁と言ってもいいでしょう。
社縁はほとんどの場合が
「大人」になってからの縁ですので、
これまた、まさに自分次第です。
…さて、ここまで、色々な縁について
書き散らかしてきました。
いったん、まとめましょう。
◆「血縁」:最初は選べないが、選べる
◆「地縁」:最初は選べないが、選べる
◆「友縁」:選べる
◆「学縁」:選べる
◆「社縁」:選べる
そうなんですよ。
原則、縁は、全部、選べるんです。
「…いやいや、そうはおっしゃいますが
『しがらみ』というか『腐れ縁』というか、
断ち切れない、選べない縁が多いんですが…」
そう考える人も、いると思います。
縁の濃淡、粘着度は、人により異なります。
「自分では選べない」「捨てられない」縁に
取り囲まれている人もいる、と思います。
(このことは、縁にドライな人には
なかなか理解してもらえない感覚です)
例えば、ヤングケアラーとして
介護をしなければいけないとか、
小さい子どもが生まれて、ワンオペ育児とか、
ある事情があって引っ越しができないとか、
親から会社を継いだので
すぐにはやめられないとか、
そういう事情は、あり得る。
いくら人間が「自由に行動できる生き物」
だと言っても、すべての縁を捨て去って
フリーダム、とはなかなかいかない。
…でも、だからこそ。
「新しい縁」を作る自由が、人間には、ある。
そのことを、忘れないようにしたい、と
私は思っています。
(そう言えば 石垣 敦章(nobutaka)さんたちの
「東京ご縁祭り」も、2023年2月4日、
投稿時の今日に開催、ですよね!)
最後にまとめます。
本記事では「縁」について
色々と考えて書いてみました。
縁は、つながり。選択可能。
増やしたり減らしたりできる。
昔のことを考えますと、
例えば江戸時代の日本では、
生まれた家族の「血縁」と
生まれた場所の「地縁」とに囲まれて、
それで何の疑念も持たず
一生を終えた人も多かったと思うんです。
しかし明治時代になると、
「学縁」「社縁」などの
縁を増やす機会が増えていった…。
現代では、さらに多いですよね。
自己選択・自己責任の時代。
例えば、SNSを活用して
「同じ志を持つ人」すなわち
「志縁」を作ることも、簡単にできます。
江戸時代の末、つまり幕末には
各地で「志士」たちが生まれました。
しかし、これは命がけ。
「脱藩」すなわち「地縁」を捨て、
残された家族が罪に問われたりする、
「血縁」をも捨てる覚悟が必要だった。
今は、そうではない。
他の縁を「捨てることなく」
新しい縁を「つくる」ことができます。
私は、その根底にあるのは、
もう一つの「ちえん」だと思うのです。
すなわち、知りたい、と思う心。
「知縁」です。
遅延することなく、
知縁を大事にしていきたい。
読者の皆様は、何を知りたいですか?
どんな縁をつくろう、と思いますか?
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