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ストーリー(物語)が大事な時代だ
とはよく言われますが、
ストーリー「だけ」では厳しい、と思います。

ストーリーとは出来事の「流れ」です。
全体の流れ、展開、順番ですね。

それと似た言葉に「プロット」という
言葉があります。
「ストーリーの設計図」とも呼ばれ、
「因果関係」を示すものです。
ストーリーは流れなので「前後関係」。

『…? 同じではないのですか?』

よく言われるのですが、違います。

◆ストーリー:「それから」でつながる
◆プロット:「だから」でつながる

こう言っても良いですね。

つまり、
「いなおはカレーを食べた。
それから、マンゴーラッシーを飲んだ」
これだけなら、ただのストーリー。

「いなおはカレーを食べた。
だから、口の中が辛くなった。
だから、マンゴーラッシーを飲んだ」
こうなると、プロットです。

プロットは因果関係、
原因と結果で物事を示すもの。
ストーリーの骨格、まさに設計図です。
「〇〇」という出来事の原因は「△△」。
そのプロットをいかにつなげて、
魅力的なストーリーにしていくか?

脚本家や小説家などは、まず
プロットを考えて、どのように並べれば
効果的なのかを考えた上で、
実際のストーリーを考えることが多い。
「ここで謎のダイイングメッセージを
出しておこう」とか…。
※推理モノなどでは、あえて
順番を逆にして、原因や犯人を先に示してから
その解明過程を書いていくこともあります
(『古畑任三郎』や『刑事コロンボ』などは
このパターンが多いですね)。

もう少し、例を挙げましょうか。

ジブリ映画の名作『天空の城ラピュタ』の
冒頭部分で考えてみましょう
(ネタバレ防止のため、少しだけ…)。

◆シータがムスカたちに捕まっている
◆それから、その船をドーラ一家が襲撃
◆それから、シータ、船から落っこちる
◆それから、飛空石で助かりパズーに出会う

これが冒頭の「ストーリー」なのですが、

◆ムスカたちはラピュタを探している
◆だから、飛空石を探している
◆だから、シータを捕まえた
◆ドーラ一家も飛空石を探している
◆だから、船を襲撃した
◆シータは飛空石を奪われたくない
◆だから、逃げて、船から落ちた
◆だから、パズーに出会った

これが「プロット」です。
プロットは、けっこう理詰め。

でも、プロット「だけ」を示していっても
あまり面白くはない、ですよね。
視聴者は「なぜシータは捕まっているのか?」
「なぜドーラ一家は船を襲ったのか?」
そういうことがわからずに、
ストーリーの「流れ」を追っていきます。
その「理由」「因果関係」が、徐々に
わかっていく過程こそが、面白いのです。

ただし、これが、いきなり最初から
◆飛空石で助かって、パズーに出会う
だけだと、あまりにも
視聴者にとっては謎過ぎになります
(パズーの主観だとそうなのですが…)。
なので、最初にドーラ一家の襲撃シーン、
シータの逃走劇を視聴者に見せておいての、
シータ落下、パズーとの出会い、に
なるわけです。
ストーリーテリングの妙、ですね。

…さて、ここまで
「ストーリー」と「プロット」の
違いのお話を書いてみました。

ドラマやアニメ、漫画や小説などの
創作物、クリエイト作品ですと
「2時間」とか「1巻」など
限られた枠、尺の中で
そのような「展開」を作者は
考えていくわけですけれど、

「人生」という長いスパンでの
「物語」では、いかがでしょうか?

読者の皆様の人生の「ストーリー」には、
「プロット」は、ありますか?
あらかじめ、設計図は作りますか?
「だから」が多いですか? それとも、
「それから」が多いですか?

あくまで私の感覚ですが、
「人生とは筋書きのない物語」
言い換えれば
「プロットのないストーリー」
という場合が、多いです。
リアルタイムにおいては。

しかし、「後から」考えていくと、
実はある因果関係、プロットによって
前後関係、ストーリーが作られていた、
こういうことも、多いです。

いわゆる「後付けプロット」
ストーリーに因果関係を付け加え、
説明したくなるものなのです。
枝葉末節のことをそぎ落とし、
「実はこうだったから、こうなった」と
「批評」「言い訳」をしたくなるもの。

…細かい話なのですが、
ここはけっこう、大事だと思っていて。

「プロットなきストーリー」
「実は行き当たりばったりだったんだけど
後からあたかもプロットがあったかのように
ストーリーを書き換えてしまう」人と、

「事前に作ったプロットに基づきつつ、
偶然や出たとこ勝負の要素も組み入れて
臨機応変にストーリーを作っていく」
「事前に作っていたプロットと、
実際のストーリーがどう違うのか、
きちんと検証して、次のプロットづくりに
活かしていく」人とでは、

人生の積み重ねにおいて
そのストーリーの魅力に、
かなりの差が出てくるように思うのです。

いわゆる「先読み」に活かせるかどうか。

読者の皆様は、時代の先読み、
していますか?
後読みだけ、後付けプロットだけ、批評だけ、
になっていないでしょうか?

行動力のある人は、先読みを好み、
自分でプロットを想定し、
自分なりの魅力的なストーリーを作ります。
一方で、批評家に終わる人は、後読みを好み、
「ああ言わんこっちゃない、だから私は失敗すると
思っていたんだよね…!」と、
後付けプロットで、他人の行動を批判しがち。

…かくいう私も、「歴史」が好きなもので
気を付けていないと、ついつい
「批評家」になりがち。赤面・自戒です。
歴史は過去だけでなく、現在と未来も示すもの。
先読みに使ってこそ、活きていきます。
ストーリーとプロットの宝庫、なのですから。

先が読めない時代、だからこそ、
あえて先を読んで、人生のプロットを考える。
その上で、実際に行動して、
魅力的なストーリーを作っていく。

そんなことが大事だなあ、と思うのです。


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