日本では伊藤博文。では、英国の初代首相は?
答えは、ロバート・ウォルポールです。
Robert Walpole。1676~1745年。
ええ、いたんですよ。初代首相。
英国は世界に先駆けて議会制度を発達させた。
彼の時代、公式に「首相(総理大臣)」
という役職があったわけではありません。
しかし英国の「初代内閣総理大臣」と言えば、
通常、ウォルポールの名前が挙がります。
なぜなら彼は「責任内閣制」の原則、
前例をつくった人物だから。
議会によって政府(内閣)をつくり、
政府は議会の信任により成り立つ制度。
議会は政府(内閣)をつくる。
政府(内閣)は議会を土台として政治をする。
ゆえに、議会で信任が得られなければ、
政府(内閣)は退場し、交代する…。
ウォルポールは1741年の選挙の結果、
「242対238」の僅差で敗れました。
僅差で負けたので、挽回は可能。
国王も支持していたので、その勢威を背景に
もう一度、政権を握り直すこともできた。
しかし彼は、潔く退任する。
「議会の信任がなければ政治をすべきでない」
その原則を貫いたがゆえに
「初代内閣総理大臣(のような位置)」
だと後世から言われる。
(注:正式な肩書は『第一大蔵卿』でした。
なお、現在の英国首相の肩書は、以下の通り。
Prime Minister, First Lord of the Treasury
and Minister for the Civil Service
of the United Kingdom of Great Britain
and Northern Ireland。
「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
首相 兼 第一大蔵卿 兼 国家公務員担当大臣」)
前置きが、長くなりました。
本記事ではウォルポールについて書きます。
この間の100年くらいのお話は、
日本では今一つ、知名度がない。
17世紀末のイギリスの革命と
18世紀末のフランスの革命は知られています。
清教徒革命に名誉革命。
マリー・アントワネット、バスティーユ要塞、
ギロチン、ナポレオン、ベルばら…!
しかしその間のことは知られていない。
なぜなら日本が「江戸時代」だからです。
19世紀半ばの幕末になれば、
「その頃、イギリスは、フランスは…」
という話になるんですが、
平和だった頃の海外の話は知られない。
この時代、日本はおおむね平和でした。
しかしヨーロッパはその間ずっと
「戦国時代」だったんです。
1689年~1815年。この間、
イギリスとフランスは『第二次百年戦争』で
バチバチに争っていた…。
特定の戦いを指す言葉ではなく
「長い間、争っていた」という呼び名。
この「第二次百年戦争」のきっかけは
1688年に英国で起きた『名誉革命』。
オランダの総督が英国の国王になる!
それまでの国王、ジェームズ2世が退位し、
追い出され、フランスに亡命します。
…この禁じ手、クーデターのような
「名誉革命」に反対する人は多かった。
1689年「権利の章典」が出されます。
『国王より議会が大事』と定めた。
国王と言えども、議会の議決を経ずに
勝手に政治をやっちゃあいけないよ!と。
追い出された国王と支援者は怒ります。
「臣下」であるはずの議会が、
陛下に対し無礼千万、増長が過ぎるぞ!と。
ジェームズ2世は逆襲する。
フランスの「太陽王」ルイ14世の支援を受けて、
フランス軍を率いてアイルランドに上陸!
名誉革命で出来た新政権を倒そうとするんです。
いわゆる「反革命」。
ジェームズのラテン語名「ジャコブス」から、
彼の支援者は「ジャコバイト」と呼ばれました。
このアイルランドでの戦争は、
名誉革命で王位についた
ウィリアム3世の名前を取って
「ウィリアマイト戦争」と呼ばれます。
(革命自体は無血で「名誉」だったのに、
その後はけっこう血生臭い…)
アイルランドはカトリックが多い国。
ジェームズ2世はカトリック。
イングランドはプロテスタント/国教会。
どうなる、イギリス!
…新王ウィリアム3世の圧勝でした。
ジャコバイトは敗れ、フランスに逃げ帰る。
ただその後も反乱が頻発。
ジャコバイトたちの抵抗は続きます。
この名誉革命の後の混乱を鎮めたのが、
ウォルポールでした。
彼は「ホイッグ党」に所属していた。
ライバルは「トーリー党」。
議会にも政党、派閥が出来ていた。
この二つの党は
清教徒革命の後の「王政復古」の時に、
ジェームズ2世の即位を「認めるか」
それとも「認めないか」から誕生しました。
ホイッグは反対派。
Whigとはスコットランド語のwhiggamorで、
「謀反人」「馬泥棒」という意味。
一方、トーリーは賛成派。
Toryとは、アイルランド語で
「ならず者」「盗賊」の意味。
要は、議会で、お互いのことを
誹謗中傷し、罵り合っていた。
ウォルポールはホイッグ党のエースとして、
ブイブイ言わせていましたが、1712年に
汚職容疑でロンドン塔にぶち込まれます。
彼は獄中で立候補し、再選。
しかし議会はこの当選を無効とした。
彼の政敵が、彼の正統性を貶めたから。
ウォルポール、獄中で復讐を誓う。
議会に返り咲いた後、
政敵に「ジャコバイト」つまり
名誉革命の転覆を謀るフランスの手先だ!
というレッテルを貼り、撃滅していきます。
金権政治も行う。買収、接待攻勢も辞さない。
彼は辣腕家、生臭い剛腕政治家でした。
1721年、44歳で第一大蔵卿となった彼は、
1742年まで21年間も権力を握り続ける…。
時の国王、ジョージ1世は
元々ドイツ人で英語が喋れないために
ウォルポールに政治を一任していた。
まさに、ウォルポール一強!
「ウォルポールの平和」と
呼ばれるほどの権力を握った。
しかし、1741年の選挙で
ぎりぎりの差で負けたのは先述した通り。
翌1742年、潔く、表舞台を去った。
この行動がゆえに「責任内閣制の確立」
「英国の初代首相」と呼ばれるのでした。
最後にまとめます。
本記事ではウォルポールについて書きました。
彼が築いた「責任内閣制」の前例は
伝統になっていきます。
第二次百年戦争は英国の勝利に終わる。
後の『大英帝国』は圧倒的に繁栄する。
一方のフランスは、絶対的な王政に
不満が高まって、フランス革命が起こる。
ナポレオンのような独裁者も生まれる…。
さて、読者の皆様の組織では
いかがでしょう?
賛否両論のウォルポールみたいな
「辣腕家」「潔い剛腕」はいませんか?
※英国の名誉革命についてはこちらから↓
『名誉革命 ~穏やかな革命あるいは乗っ取り~』
※17~18世紀に欧州で起こった
「革命」のまとめはこちらが参考になります↓
※「名誉革命」以前の
英国王朝の移り変わりはこちらから↓
『分断の時代のヒント ~英国王朝史~』
※「百年戦争」以前の
大陸と混合・分離を繰り返していた
英国史についてはこちらの記事をぜひ↓
『「イギリス」の中と外 ~大陸との混合と分離~』
※日本史と比較しながら読むと
さらに立体的にイメージがつくと思います↓
『中と外との日本文化史 ~風をどう通すか?~』
合わせてぜひどうぞ!