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アムンゼンとスコットの「南極到達競争」のお話。

ノルウェー出身、アムンゼン
(ロアール・アムンゼン、アムンセンとも)。
1911年に人類史上初めて南極に到達。
ノルウェーの国民的英雄となりました。

一方、イギリス出身、スコット
(ロバート・ファルコン・スコット)。
1912年に南極到達を果たすも
アムンゼンに先を越されてしまい、
その帰り道で遭難して死去しました。

南極に到達した時、
スコットはそこにノルウェーの旗を発見します。
「先を越された…!」と屈辱にまみれる
スコットの心中、いかばかりか…。

本記事では、二人の南極到達競争について。

『We shall stick it out to the end,
but we are getting weaker,
of course, and the end cannot be far.
'It seems a pity,
but I do not think I can write more.
'R. SCOTT. '
Last entry For God's sake
look after our people.』

1912年3月、スコットは帰路で猛吹雪に囲まれ、
震える手でテントの中で日記にこう書き残した、
と言われています。

和訳するとこうでしょうか。

『我々の体は衰弱しつつある。
最期は遠くないだろう。
残念だがこれ以上は書けそうにない。
どうか我々の家族の面倒を
見てやって下さい…』

スコット探検隊は全員が死亡したわけではなく、
実は何人かは先に帰還していました。
のちに、帰還した彼らが戻ってきて
スコットの遺体を発見した時に、
この「日記」を持ち帰ったと言われています。

その際には「アムンゼン隊からの手紙」
スコットたちは持っていた、と言われています。
これは、アムンゼンが帰路で遭難することに
備えて南極点に置いておいたもので、
「二番目に到着した人」に宛てて
「一番目に到着したのはアムンゼン隊だよ」と
証明するため、持って帰るように依頼した文書。

そう、スコットは、律儀にもこの
(自分にとっては屈辱的な)手紙を
ちゃんと持ち帰っていたのです。
その上で遭難して、死亡した。
「自分が負けた証明を持ち帰ろうとした」
彼の名声は高まった、と言われています。

なお、スコットは日記とは別に、
「遺書」も書いていました。

イギリスの名誉に対する隊員の働きを称える。
遺族への保護を訴える。
妻に対しては、相応しい男性と出会えば
再婚をしたほうがいい、と勧める内容…。
最後まで隊員や家族のことを案じた遺書からは、
彼の高潔な性格が見て取れます。

…この競争の背景を整理しましょうか。

1901年、20世紀に入りますと、
地球上で人類が到達していない場所は
残り少なくなりました。
そのうちの一つが、南極。

その極地に初めて到達することは、
達成者と出身国に、大きな名誉を与えます。

1909年、ピアリーが「北極点」に到達。
残すは南極点!

北極点を目指していた探検家アムンゼンは、
この知らせを出航の準備中に知りました。
そこで彼はひそかに南極に目標を変更。
しかし出資者たちや船員には秘密にして、
「北極に行く」ため、1910年8月に出航します。

そう、アムンゼンは最初から南極を
目指していたのではなく、
「急に」目標を変えたのです。

「これに反対する者は直ちに
下船して去ってもかまわないよ」

アムンゼンはそう言ったのですが、
船員の意欲は高く、特に反対もなく、
計画は変更された、と言います。

一方のスコット。
彼は1910年6月に出航しています。
こちらは最初から「南極を目指す」と明言。
約8,000人の志願者の中から
33人を厳選した精鋭部隊!

アムンゼンはスコット隊に向けて
電報を打ちます。

「私も南極に向かいます」

スコットは、動揺しました。
まさかの競争者、突然のライバルの出現!
イギリス側は、この動揺が
二番手に甘んじた敗因だったのだ、
と受け止めたと言います。

しかしアムンゼン側から言わせれば
「礼儀として電報を打っただけだ。
いきなり南極で出会う方が
よっぽど無礼だろう?」
と意に介しません。
(本当の狙いはどうあれ)

かたやイギリス、大英帝国の威信をかけた
堂々たる出航のスコット隊!
かたや新興国ノルウェー、
半ば「奇襲」をしかけたアムンゼン隊!

さあ、先に南極点に着くのはどっち!と
この競争は注目の的となりましたが、
先述した通り、アムンゼン隊が先に到着し、
あえなくスコットは帰路で死去するのでした。

…この二隊の明暗を分けたのは
いったいどこだったのか?

色んな分析や批評がありますが、
代表的なものをまとめると、次の三つ。

◆「移動手段」の差
スコット隊:雪上車と馬が主体
アムンゼン隊:犬ぞりとスキーが主体
→スコット隊の馬が次々と死に、
 人力で荷物を運んだため体力を消耗した。

◆「目標」の差
スコット隊:学術調査も兼ねる
アムンゼン隊:とにかく南極到達第一!
→目標が明確なアムンゼンは南極一直線、
 スコット隊を追い抜いた。

◆「失敗した時に失うもの」の差
スコット隊:国家の威信
アムンゼン隊:個人的な探検家としての面目
→スコット隊は「国家事業」だったため
 無理でも引き返せず破滅に向かって突き進んだ。

…読者の皆様は、どう思われますか?
私の感想を書いてまとめたいと思います。

私はこの三つの中で一番大きかったのは、
特に三つ目、心の問題、だと思うんですよ。

スコット隊は「国家」「大英帝国」を
背負っていました。
もちろん、その誇りはプラスに作用することも
あったでしょうが、
極限の南極では、マイナスに作用した。

「自分がやらなきゃ! 逃げちゃだめだ!」
そういう無意識の「やらされ感」が
スコット隊に緊張感の負荷として
覆いかぶさったのではないか?

一方のアムンゼン、
そんなものは背負っていません。
そもそも出発から、北極に行くよ!と
ある意味、だましてからの出発なんです。
その動機は「自分のため」。

「個人的に」南極を狙った。

だから、ひたすら南極点に向かえたのです。
危なかったら引き返すこともできる。
自分のために来ているのですから。

この心の余裕の差が出たのではないか?

◆「もう行くしかない、逃げられない!」
◆「危なかったら退却しよう」

悲壮感も柔軟性も段違い、ですよね。
この心持ちの差が、アムンゼン隊の初到達、
スコット隊の帰路の悲劇を生んだのでは…。
そう、思うのです。

この二隊の競争、という「歴史」からは、
たくさんの教訓を得られます。


読者の皆様は、いかがでしょう?

「もうこれしかない!」と無意識のうちに
心に負荷をかけていませんか?
「計画変更する勇気」を、捨てていませんか?

誇りを持って突き進むのは大事。
しかし、死んでは元も子もない。
臨機応変、捲土重来を期す。
そういう柔軟性も必要なのでは?

アムンゼンとスコットの二人が、
そう教えてくれているように思うのです。

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