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LinkedInの気付き ~輪句と印、陽と陰、広がりと深まり~
約4年ほど活用してきた「気付き」をまとめます。
松本 淳 さんの『LinkedIn活用大全』(2022年)を
踏まえての記事となりますので、
ぜひまだお読みでない方は
ご一読いただけますと幸いです!!
◆松本 淳 さんの『LinkedIn活用大全』
本記事では
3つの比喩にて書いてみたい、と思います。
≪輪句と印≫
ただのゴロ合わせで恐縮なのですが、
SNSでの投稿は「輪句」と「印」の
両輪の意味づけがある、ように思います。
「輪句」とは「巡る文章」のことです。
さながら円のように。流動的。
いわゆる「フィード」でたくさんの方の
色々な記事を皆様も目にすると思います。
日々、流れていく。
そしてその内容は「編集」が可能です。
移り変わり、流れていく文章の数々…。
その文章が誰かに影響を与えて、
引用や拡散によって広がっていきます。
これに対して「印」とは
固定的なものです。
印刷。刻印。変わらないし代えられない。
そういったものを
イメージしていただければ、と思います。
『ブランディング』という言葉が
世の中に広がって久しいですよね。
これは、もともとは
家畜に「刻印」を施したことから
来ている言葉だそうです。
「この人はこういうことをやっている、
こんな人なんだ!」
投稿やプロフィールなどによって、
ある個人のイメージが固定されていきます。
開示される情報が多ければ多いほど
それは読者に積み重なっていく…。
LinkedInでは文字通り、
輪句と印、流動的な言葉と固定的な言葉で
イメージが積み重なっていき、
流れながらも固定していく、と思います。
≪陽と陰≫
では、いわゆる「発信・交流し続ける人」と
「読む専・見る専の人」との
違いは何でしょう?
私は、陽と陰、と表現してみました。
「陽キャ」と「陰キャ」という表現があります。
見た目、すっごい交友関係が広くて
仲良く誰かと交流している人と、
見た目では活動がよく分からず、
何をしているのか分からない人…。
…ただし、注意しなければいけないのは、
LinkedInでは一見「陰キャ」に見える
ユーザーであっても、実は
活発に活動している可能性もあること。
何も「目に見える」
「フィードに出てくる」
公開の内容ばかりが
その人のすべてをあらわしている
訳ではないということです。
ご存知の通り、LinkedInでは、
「普通の投稿」(発信)だけではない
様々な機能がありますよね。
「非公開」で1on1、1on多数で
やり取りができる「DM」もあれば、
参加している方だけが読める
「グループにおける発信」もあります。
つまり、目に見えている活動だけが
そのユーザーの活動のすべてを
あらわしているわけではない。
もう少し言いますと、ただ
LinkedIn上で明らかにしていないだけで、
リアルな活動や交流を
重ねているケースだってたくさん
あると思います。知られていないだけで。
例えば『Lin活』という言葉があります。
これはLinkedInで知り合った方が
リアルに面と向かって直接会って
交流することを指す言葉です。
皆様もよく目にしませんか?
「昨日は『Lin活』しました!」
というような投稿を。
…でも考えてみれば、
それはあくまで直接会った
リアルな交流を「第三者に投稿の形で
告知している」に過ぎないのであり、
実は「直接会っているけれども
LinkedInでは第三者に開示していない」
というケースもあり得ますよね?
というか、全部が全部を開示している人は
いないのではないでしょうか?
第三者が知らないだけであって、
おそらく周りが知らないうちに
会う人はとっとと誰かに会っているのです。
それとともに「非公開のDM」も考えれば
投稿で明らかになっている交流など、
氷山の一角、たくさんのつながりと交流の中の
一つに過ぎない。実はこの瞬間にも、
非公開で、LinkedInをきっかけとして、
たくさんの交流がなされているのです。
そう考えていきますと、
一口に外見的な「陽キャ」「陰キャ」、
たくさん交流している人と
活動していない人だ、と決めつけることが
いかに無意味なことかがわかります。
「この人はいつもたくさんの人を集めて
たくさん活動、交流していて凄いなあ」と
もし思ったとしても、
その裏、見えない(見せない)ところでは
「開示していない」たくさんの努力が
あったりするものなのです。
陽と陰は一概には決められない。
両極端を設定したとしても
その間には無数のグラデーションが
存在している。
≪広がりと深まり≫
以上の2点の論点を踏まえて
LinkedInについて気付いたことを
私なりに書いてみます。
例えば『学び合う仲間の文学部』においては、
会長の 砂押 美穂 さん、
部長の 真柄 敏也 さんを
筆頭にして、たくさんの交流が
生まれてきており、この後もたくさんの
交流が生まれてくる、と思います。
LinkedInにおける「グループ」は
無数の広がりとディープな深まりの
中間にある活動だ、と思うのです。
SNSに参加している人は、千差万別です。
それぞれの考え、それぞれの狙いを持ち、
ツールとして使っている。
開示具合も裏での活動も、人それぞれ。
全ての人が全ての人と
感受性も言語力も同じでない以上は、
合う人と合わない人が出てきます。
これもまた当然のことです。
グループはその違いに、一定の
「フィルター」にかけてくれます。
言い換えれば、自分と共通点が
ある人を「ろ過」してくれる…。
例えば『文学部』では
「文学」に何らかのとっかかりを
持つ人が参加していることでしょう。
私が他にも参加している
北村 直樹 さんの『珈琲倶楽部』では
珈琲を愛する人がたくさんいます。
珈琲がフィルターで抽出されていくように、
濃いつながりがそこでは生まれていく。
ただの発信だけでは生まれないような…。
ただ単にフォロワーの数だけを競う
世界観は、そこにはありません。
某SNSとは世界観自体が違うのです。
SNSと一口に言っても千差万別。
ただ漠然とした広がりよりも
共通のものを持った深まり…。
そういったつながりが生まれます。
そういったつながりこそが
ユーザーの世界を広げ、深めてくれる。
以上、本記事では
「輪句と印」「陽と陰」「広がりと深まり」
という3つの比喩を使って、
私の現在の「気付き」を言葉にしてみました。
ぜひ興味の出てきた方は、
松本さんの『LinkedIn活用大全』を
一読(再読)していただければと思います。
具体的にどう「広がりと深まり」を
進めていけばよいのか全て書いてあります。
また、砂押さんや真柄さんが構築してきた
LinkedIn上の
「学び合う仲間の」文学部の交流にも
参加してみてはいかがでしょう?
ただ見る専や読む専だけでは生まれない
「深まり」がそこにはある…と思います。
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