昭和~平成~令和の野球とチームと組織
2023WBCでの日本チームの優勝、しかし
そのチーム形態は、いわゆる昭和のものとは
かけ離れていたように思います。
もちろん、昭和や平成の日本のプロ野球にも
スター選手はたくさんいました。
例えば「沢村賞」の起源、沢村栄治投手。
ベーブ・ルースやルー・ゲーリックといった
メジャーリーガーをきりきり舞いにして、
全米の監督からメジャー挑戦の打診を受けたほど。
(彼は1944年に戦死しています)
「ON砲」の王貞治さんと長嶋茂雄さんは
「巨人軍V9」の立役者。
監督としても大活躍した野村克也さんは、
彼らに対抗心を燃やした名捕手でした。
昭和に「怪物」と言われたのは、江川卓投手。
「KKコンビ」の清原さんと桑田さんは
PL学園で甲子園のスターになった後、
プロ野球界でも大スターになっていますよね。
平成に入っても、名選手はゴロゴロいます。
野茂英雄投手のトルネード投法!
松井秀喜選手のゴジラの如き打力!
イチロー選手の一級品の走攻守!
「平成の怪物」こと松坂大輔投手も君臨!
彼らはメジャーでも活躍しています。
…ただ、ですね。
仮に、彼らが時空を超えて集結したとしても、
もしかしたら今回の侍ジャパンのような
最高のパフォーマンスまでは
できなかったのかもしれない。
それは彼らの能力が劣っているわけではなく、
むしろ、今の選手より優れていた部分は
たくさんあったとは思うのですが、
「チーム全体」としての力は、
令和の名将、栗山監督に率いられた
今回のチームのほうが上だと勝手に思うのです。
本記事では、昭和・平成・令和の
時代変遷を見つつ、
野球チームや組織の移り変わりを書きました。
昭和と言えば、六十年以上も続いた長い時代。
沢村栄治投手が抜群の投球力を持ちながら、
その剛腕を中国戦線で手榴弾投げ大会に
駆り出されることで右肩を痛めたように、
「戦争」の時代でもありました。
「戦後」と言われるように、
第二次世界大戦が終わっても、
戦争の影はあった。冷戦の時代。
「試合とは、勝つか負けるか、負ければ死」
「選手は、監督=指揮官の指示に従え」
多くの学校の野球部は「軍隊式」でした。
頭は丸刈りが基本、上下関係の厳しい中で、
文字通り、選手たちは「鍛えられて」いきます。
上意下達。
まさに、その言葉がぴったりくる。
そこに「選手の自由意志」は、
あまりなかったのではないか?
もちろん、素晴らしい才能を持った選手ならば、
例えば桑田選手が高1からエースになったように
「下剋上」ができたのかもしれません。
しかし、そんなケースは数えるほど。
プロ野球の舞台でも、相手チームは「敵」同士。
現在のように、自主トレを他チームの選手と
一緒に行う、などはご法度でした。
自軍の技術を敵軍に教える行為は、
「通敵行為」とみなされたからです。
オールスターゲームはありましたが、
仲良しこよしでやっていたわけでは、ない。
これは何も、球界だけの話ではありません。
高度経済成長、安定成長、バブル期、と
基本、経済の調子が良かった昭和時代は、
個人よりも組織が優先されがちだった。
一社専従、終身雇用、年功序列。上意下達。
官公庁だけではなく、民間の企業でも
例外を除き、基本、
このようなカラーが多かったのではないか?
対外的な戦争はなくても、
経済的な戦争は日常茶飯事でした。
「ウチ」の会社と「ヨソ」の会社は、別。
転職は、裏切者・よそ者扱い。
二十四時間タタカエマスカ…。
PCもSNSもChatGPTも無い時代でした。
「情報の分断」は、そのまま
組織間の分断だったのです。
しかし、平成時代にその壁が
少しずつ崩れていきます。
トルネードの野茂投手が、メジャーで活躍。
ゴジラ松井選手も。
イチロー選手は最多安打を成し遂げ、
松坂大輔投手は三振の山「ダイスK」を築く。
冷戦構造崩壊、バブル経済崩壊とともに
情報の壁もまた、崩壊していったのです。
日本球界のトップ選手は、
アメリカのメジャーにも挑戦する。
挑戦することが珍しくなくなった。
経済やビジネスの世界も、そうでした。
長引く不況で、銀行までもが倒産。
「会社とは無くなりうるものだ」という
実は当たり前のことが、常識に戻っていく。
となれば、一つの会社で、ずっと
勤め上げる未来は、描きにくくなっていく。
転職の挑戦が、珍しくなくなります。
起業への情報も、あふれていきます。
副業や複業ですら、容易に志せるようになる。
野球選手たちもデータや情報を
簡単に得ることができるようになりました。
「なぜ、あの選手はあんなに
打てるのか、投げられるのか?」
その秘密が、秘密でなくなっていく。
選手間の情報交換が、進んでいきます。
そうなると自分たちのチームの「常識」が
実は「非常識」だったのでは?という
気付きも生まれていく…。
昭和時代に圧倒的な力を誇った
「PL学園硬式野球部」の休部は、
その象徴だったのかもしれません。
2016年(平成28年)休部。
その背景には、圧倒的な先輩後輩の
上下関係に基づく、度重なる部内での
暴行事件などがあった、とも言われています。
昭和の球界を支配していた雰囲気というか
「暗黙の了解」が、徐々に壊れていきました。
ただし、まだまだフラットとは言えなかった。
圧倒的な「個」は輝くものの、
「個々の活躍」でしかないケースが多かった。
自立、自律は進んだものの、
それを結集し、相互活用、とまでは難しかった。
…それが令和に入り、
いよいよ「個々の力」と「組織の力」が
うまく融合し、掛け合わされるケースが
生まれていったように思うのです。
その象徴が、2023WBC優勝。
栗山監督は、大谷選手と
ダルビッシュ選手を軸としつつ、
その圧倒的な個の力、パフォーマンスを
いかに組織に浸透させ、
他の個々の力をうまく発揮させるかに
心を砕きました。
個々の活躍だけではない。
お互いがカバーし、相乗効果を生み、
素晴らしい「チーム」ができた。
大谷選手は、このチームから離れるのを
「寂しい」と言ったそうですね。
彼にとっては、ただのチームではなく、
心地よい「居場所」、コミュニティだった。
もちろん、期間限定というのは
十分に知っていた上で…。
そのような組織づくり、居場所づくり、
色々な形で「個の力」を活かせる
期間限定のプロジェクトチーム型の結集が、
令和のビジネス界では
主流になっていくのではないでしょうか?
最後に、まとめます。
本記事では、時代背景、野球チームの変遷から
チームや組織の移り変わりを書いてみました。
ただ、今回の侍ジャパンチームの成功は、
裏を返せば、まだそうなっていない
チームや組織をあぶり出していくもの。
さて、読者の皆様の組織は、
チームは、コミュニティは、
いかがでしょうか?
…どの時代のものですか?
(ヌートバー選手の手記も、ぜひ)