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FIFAランク第二位の強豪ベルギーと、
ドイツの国旗は似過ぎだと思いませんか

どちらも「黒と赤と黄」。色は同じ。
(厳密に言えばドイツは金ですが…)
しかし、配置は違います。
タテがベルギー、ヨコはドイツ。

…私は、便宜的にこう覚えています。

「ベネルクス三国」と言われて
「タテ」に三つ並んでいるうちの一つが
今のベルギー。だからベルギーはタテ

「東西ドイツ統一」で、
「ヨコ」に二つ並んだドイツが統一したのが
今のドイツ。だからドイツはヨコ

…ただ、もう少し調べてみますと、
ベルギーの国の歩みは誠に複雑。
本記事では、ベルギーのタテとヨコ、
歴史と地理について。

まず、場所の確認。
西ヨーロッパの大陸の北のあたり。
北はオランダ、南はフランス、東はドイツ、
ルクセンブルクという小さな国もある。

このような位置にあるがゆえに
ベルギーは主に「三つの言語」が
入り混じっています。

オランダ語、フランス語、ドイツ語…。

なお、このあたりは、
ベルギー、ネーデルラント(オランダ)
ルクセンブルクのそれぞれ文字を取り
「ベネルクス三国」と呼ばれたりもする。
EU(欧州連合)の起源。
ベルギーの首都「ブリュッセル」は
『EUの首都』とも呼ばれているのです。

「…では、この三つ並んだ国は
昔から仲が良かったんですか?」

いや、それがそうでもない。
時には一緒、時にはケンカ、
愛憎半ばする複雑な関係。


でもだからこそ「バラバラだけど
国は違うままで結束しよう」というEUの
中心地になったとも言えるのです。

さてここで、読者の皆様に質問。
ベルギーと言ったら、何?

◆チョコレート!
◆ワッフル!
◆ビール!

私はすぐそう思ってしまうんですが…。

「そうか。謎は全て解けた!
左の『黒』はチョコレート。
中の『黄』はワッフル。
右の『赤』はビール(酔って赤くなる)。
それぞれを、あらわしている!?」

違います。

この三色は「ブラバント公爵」の紋章。
「黒地に、赤い爪や舌を出している、
黄色いライオン」という
紋章から来ている
のです。

「そ、そうですか…。
では、ドイツの国旗は?」

こちらは一説によると
「ブルシェンシャフト」という学生団体、
ここの旗や制服の色に起因。
軍服の色に起因、という説もある。
黄色は実は、金ボタンの「金」だとか。

このように食べ物や飲み物とは
全く関係がない。
ベルギーとドイツの国旗は、
まさに偶然の相似なのです。


ただし、ベルギーの国旗のデザインが
「タテ」になったのは理由があります。
「タテ」のフランス三色旗が、元。

…そこには、独立の際の事情があります。

ベルギーはよく
「オランダから独立した」と言われます。
1830年に独立革命・独立宣言。
1831年にはドイツ連邦君主の一人、
レオポルドを初代国王にする。

ただし、最初から
オランダだったわけではない。

16~17世紀に(スペインから)オランダ独立。
北のほうは「オランダ」として独立しますが、
南のほうは「スペインの領土」として留まる。
この留まった南のほうが、今のベルギー。
「スペイン領南ネーデルラント」

独立したオランダのほうは、
「プロテスタント」が多かった。
一方、スペイン領南ネーデルラントには
「カトリック」のほうが多い。

キリスト教の主な宗派が違ったんです。

さて、18世紀に入りますと、
スペイン領南ネーデルラントは
「スペイン継承戦争」の結果、
「オーストリア領ネーデルラント」に変更。
持ち主がスペインからオーストリアに。

1789年、フランス革命と同じ年に
「ブラバント革命」が起き
「ベルギー合衆国」ができるんですが、
1790年の一年間だけしかもたなかった。
オーストリア帝国に戻りました。

この混乱に乗じたのがフランス革命政府。
英雄ナポレオン。
1795年にはフランスに併合されます。
ただ、ナポレオンはじきに没落していく。

「ナポレオン戦争」後の1815年の
ウィーン会議の結果、
「北のオランダと一緒になっちゃいな」
と言われて、オランダとともに
「ネーデルラント連合国」になった…。


しかし、元々は違う国ですよね。
宗派も違う。
なのに、北側は高圧的に支配してくる。

ということで、
1830年に独立革命を起こして
独立宣言を出すのです。これがベルギー。


簡単にまとめてみます。

◆もともとはスペインの領土
◆オランダ独立の際、スペイン領に留まる
◆オーストリア領に変わる
◆1年だけ「ベルギー合衆国」
◆フランスに併合される
◆オランダとまとめてネーデルラント連合国
◆1830年にオランダからベルギーとして独立

…全く簡単ではない。

この最中に、小国「ルクセンブルク」
分離独立して違う国になったりするので
さらにややこしい。

ただ、逆に言えば、このような
タテとヨコとが入り乱れる
「わけあり」の国・地域だからこそ、
ブリュッセルがEUの中心になっている。


…そろそろ、ベルギーの国旗が
「タテ」の理由がわかりましたか?

そう、1830年の独立の経緯を考えると
「北のオランダからの南の独立」。
「北のオランダとは違うんです!」
そう表現するため、
あえて南隣のフランス三色旗の
「タテ」を採用した
、と思われます。

最後にまとめましょう。

こうしてできた「ベルギー王国」は
その後も波乱万丈です。

◆イギリス産業革命の影響を受けて
1820~1840年頃に、鉄道整備・工業化。

◆19世紀後半、アフリカの
「コンゴ」を植民地化、国王の私有地に。

◆象牙やゴムの採集を強要、
ノルマに達しないと手足を切断するという
圧政が行われて、国際的に非難される。
1908年、国王の私有地から政府管轄に移行。

◆20世紀半ば、ナチスドイツに占領される。
国王は亡命政府を無視して無条件降伏。

◆戦後、勝手に降伏した行為を問題視され、
君主制を続けるかどうか国民投票実施。
存続するも国王は退位、新国王に。

◆1960年(アフリカの年)から、
コンゴの独立の「コンゴ動乱」勃発。

◆2010年、選挙が行われたものの、
北のオランダ語圏(フランデレン)と
南のフランス語圏(ワロン)との
対立が激化、「541日」約一年半ほども
政権が決まらない異常事態。

…色々と苦労が絶えない。

2020年10月には
アレクサンダー・デ・クローという人が
首相に就任しましたが、
彼もまた「苦労」していることでしょう。

日本と違い、各国と「直接」隣り合う
大陸国のベルギー。

言葉も宗教も、ばらばら…。
ワッフルの模様のように、
タテとヨコとが複雑に絡み合う場所…。
縦横無尽に駆け抜ける
ベルギーのハイレベルなサッカー…。

しかし、だからこそ、
その歴史と地理を知り、比較することで、
日本の特徴や他国の特徴があぶり出され、
重層的に理解できるのではないか?


私は、そう思っています。

読者の皆様は、いかがでしょう。

チョコ、ワッフル、ビール。
それ以外に、ベルギーと言えば、
何を思い浮かべますか?

◆本記事は以前に書いた記事を
リライトしたものです↓
『ベルギーという国、そのタテとヨコの歩み』

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