全肯定と全否定への歯止め
「この人の言うことなら
絶対に間違いはないっ!」
「この人の言うことは
全く信用できないっ!」
人間と相性は各々違いますから、
全肯定したくなる人もいれば
全否定したくなる人もいます。
ただし、とちょっと
考えてみていただきたい。
人間は、生まれてから死ぬまで
ずっと同じですか?
あなたも、生まれてきてから
現在まで、ずっと同じ
性格や行動をしていますか?
…違いますよね。
私は子どもの頃は
ししゃもが苦手だったんですが
今では無理なく食べられます。
何が言いたいのかと言うと
「人間は日々変わりうる」
ということです。
その変わる存在の
人間に対して、
「この人の言うことなら
『絶対に』間違いはないっ!」
「この人の言うことは
『全く』信用できないっ!」
というのは、少し
考えものではないか?
どんなに聖人っぽい人でも
口内炎があったら
イライラするでしょう。
どんなに悪人っぽい人でも
コンビニのレジの脇の募金箱に
募金するかもしれない。
いつでもどんなときでも
100%善とか悪とか
そういうことはないわけです
(そもそも善悪は
ケースバイケースです)。
そう考えると、ある人のことを
全肯定や全否定することの虚しさが
わかる気がします。
ところが…!
どうもこの世の中は
ある人のある一断面だけをとらえて
全肯定・全否定しがちなことが
多いような気がします。
…気持ちはわかります。
この情報爆発の世の中で
自分のことだけで精一杯、
他人を深く掘り下げ
全部理解するなんて無駄&無意味。
ならば一断面だけで
全肯定/全否定するほうが、楽…。
そりゃそうですけど。
それはあまりにも
楽をし過ぎじゃないですかね?
これは私も自戒するところですが、
特に「過去の方」に対しては
そういう傾向が強いように思います。
死人に口なし、ですしね。
例えば織田信長。
革新的な性格で戦国の魔王。
新兵器や新構想で
統一を進めていった英雄。
そういうイメージがつい
思い浮かんでしまうのですが、
信長だって人間でした。
口内炎が痛くて
意味なく不機嫌になった時だって
あると思うんですよね。
人のことは、他人にはわからない。
自分のことだって完全には
わからないのだから。
それを断片的なことで
全部が分かった気になって
全肯定や全否定する。
それこそ、忌避すべきです。
あまり誰かのことを全肯定し過ぎると
お風呂の残り湯まで「聖なる水」と
崇め奉ることにも、なりかねません。
清浄で正常な判断が、できなくなる。
どんなにスゴイ人だと感じても、
時には「反面教師」として、
時には「批判的」に見て、
全肯定までは
振り切りたくないものです。
それは、全否定に対しても
同じことかな、と思います。
全く理解できない人、はいても
全く「誰に対しても」100%悪、という
存在はなかなかいないでしょうから。
読者の皆さんは、
全肯定あるいは全否定したい
人はいますか?
…それに対して、精神的な
歯止めをしていますか?