一期一会と再三再四、地理と歴史
地理は、日々変わる。
日本列島も昔は大陸の一部。
その大陸も昔は
パンゲア大陸という一つの塊だった。
私たちの足元は、動いている。
そこまで長いスパンでなくとも、
いつのまにか
ラーメン屋が閉店していたり、
逆に新店が開店していたり、する。
地理は、日々変わるのだ。
その意味で、今いる
私たちの空間は、一期一会だ。
歴史も、日々変わる。
今やっていることは、
片端から歴史に変わっていく。
今日は昨日となり、一昨日になる。
洞窟に住んでいた太古の人類と
スマホを使いこなす私たちは
同じ人間か?
…違う、と思う。
昔はリンクトインに
何を投稿しようかなんて
悩まなかっただろう。
それよりも、日々の食物を
どう集めるかに悩んでいたはず。
その意味で、今いる
私たちの時間も、一期一会なのだ。
…そう言うと、決まって、
『地理や歴史なんて
学ぶ意味なくないっスか?』
という人が出てくる。
『だって、一回こっきりで、
常に変わっていくのなら、
カビの生えた地理や歴史を学ぶよりも
次のことを考えて何かを実行するほうが
よっぽどいいじゃないっスか』
…それは、早計だ。
なぜなら、人間の本能や欲求には、
太古の昔から変わらない部分が
あるからだ。
地理は、繰り返す。
何かの店ができる際には、
みんなが入りやすい土地に
できやすいだろう。
逆に、あなたの街に、
テナントが入っては撤退していく
「魔の建物」はないだろうか?
何らかの法則が、そこにはある。
歴史も、繰り返す。
幕末の日本で、『コレラ』が流行った。
長崎の出島の外国人医師は、こう書いた。
「外国人に対する
日本人の見方は変わってしまった。
彼らは口々に
『こうなったのは外国人に
港を開放したからだ』と言う。
私たちは敵意に満ちたまなざしで
見られるようになってしまった」
コレラは、攘夷運動を燃え上がらせた。
似たような現象が、現在にも起きている。
インバウンドや爆買いを
ウエルカムしていたのが、
コロナ禍で、一転した。
越境制限、入国制限、
五輪やめろ!の声に変わったのだ。
過去と現在には、通ずるところがある。
その意味では、地理も歴史も
再三再四、繰り返すのだ。
まとめよう。
地理と歴史には、
一期一会:「繰り返さない部分」と、
再三再四:「繰り返す部分」が、ある。
特に、人間の本能や欲求に
根ざした部分は、繰り返しやすい。
その『再三再四』の部分を学び、
過去でなく現在や未来に
照らし合わせて、活かす。
同時に、『一期一会』の部分を学び、
なぜそうなったのか
共通点と相違点の理由を探り、活かす。
それが、
実用地歴提案会ヒストジオの
精神だと、私は、思っている。
《補足》
『地理を学ぶ意味』↓
『歴史を学ぶ意味』↓
こちらの記事も、合わせてぜひ。
参考文献は、堺屋太一さんの
『歴史からの発想』です!