
千の波の湖 ~偕楽園のすぐ近く~
水戸の偕楽園の近くには「千波湖」があります。
せんなみこ、じゃありません。
せんばこ、と読みます。
偕楽園は高台にありますので、
千波湖が眼下によく見える。
特に偕楽園の中の「好文亭」の上から
千波湖を見下ろすと、誠に眺めがいい…。

市街地のど真ん中にある湖です。
ゆえにランナーやウォーカーが
毎日たくさん訪れます。
皆さん、思い思いのスピードで動いている。
本記事ではこの千波湖について
書いてみたい、と思います。
まず「水戸」という
街の名前の由来から書いていきましょう。
水の戸、つまり、水の入口と書きますから、
「水が近くにあった街」だと推測されます。
…「江戸」と似ていますよね。
名前の由来から言えば、
水戸と江戸はかなり似ている。
どちらも海に近い。川もある。
今でこそ、千波湖は
東西が約1.2キロほどで、
一周の湖岸の長さ(周囲)が
約3キロほどの大きさの湖なのですが、
昔はもっと大きかったと言われています。
約六千年前には海面の上昇によって、
千波湖のあたりまで海が来ていたそうです。
ゆえに、千波湖の南東岸のあたりには
「貝塚」が残っています。
海があったので「貝」が採れていたんですね!
ただ、徐々に海面が低下していく。
海がだんだん無くなっていきます。
陸地が増えていく。
川が運んできた堆積物が
もう一方の川を堰き止めていき、
水の溜まる場所ができていった…。
これが「古千波湖」と呼ばれるものです。
ただしこれは、現在の千波湖よりも
相当大きなものだった、と言われている。
戦国時代が終わり、江戸時代になると
水戸藩が千波湖の改修に乗り出します。
古千波湖の近く、
湿地帯だったところが埋め立てられて
「田町」と呼ばれる下町になっていきます。
それでもまだこの湖は、現在の千波湖の
約二倍ほどの大きさを誇っていた。
水戸駅の南のあたりは
そのほとんどが湖だったそうです。
偕楽園の崖下のすぐ近くにまで湖があって、
当時は千波湖から舟に乗って直接、
偕楽園に入ることもできた。
1842年、この千波湖を見下ろす地に
『偕楽園』を造った「烈公」こと
徳川斉昭、第九代水戸藩主は、
この場所に偕楽園を造った理由を
以下のように書いています。
『余嘗て吾が藩に就き、
山川を跋渉し、原野を周視するに、
城西に直りて闓豁の地有り、
西は筑峰を望み、南は仙湖に臨む。
凡そ城南の勝景、皆一瞬の間に集まる』
超訳すると、こんな感じでしょうか?
『私は領内を全部回ってみたけれど、
水戸城の西には広々とした
とてもいい山や谷があるじゃないか!
西には筑波山。南には千波湖。
城の南の良い風景が全部集まっている。
うん、ここがいい。ここにしよう!』
こうして、現在も観光地として名高い
「偕楽園」が千波湖畔に造られたのです。
…しかし、時代は変わっていきます。
江戸時代から明治時代へ。
廃藩置県で水戸藩が無くなる。
言わば、責任を持って湖を管理していた
「お上」の「管理団体」が無くなった。
周辺の住民が頑張って管理していましたが
やはり限界があります。
湖畔には雑草が増え、蚊が増えて、
マラリアが流行するようになってしまった。
「このままじゃ、いけない」
…さて、どうしたものか。
そもそも千波湖が広すぎるから
管理が難しいんじゃないか?
根本的な対策が採られます。
千波湖を「半分に減らす」。
すなわち湖の東半分を「埋め立てる」のです。
1921年・22年頃から改修事業が始まり、
1932年には終了した。
この「東半分の埋め立て」によって、
千波湖はほぼ現在の大きさに
ダウンサイズしたのでした。
その後、貸ボート屋さんが乱立したり、
鯉の養殖が始まったものの
住民の反対で取りやめになったり、
西岸に「偕楽園レイクランド」が
開園したものの
約16年で閉園になったり…。
「すったもんだ」がありながらも
市民の憩いの場として
おおいに活用されていったのです。
夏には「水戸黄門まつり」の一環として
花火大会が行われたりもしています。
(湖畔には大きな水戸黄門様の像もある)
最後に、まとめましょう。
本記事では偕楽園の眼下に広がる
「千波湖」について書きました。
現在ではハクチョウや
たくさんの鳥が優雅に泳いでいます。
貸ボートだけでなく、リアルなハクチョウも。
ランナーやウォーカーのみならず、
バードウォッチャー、鳥好きの皆様にも
愛好される湖になっている…。
なお「ポケモンGO」全盛期の頃には、
ポケモンをゲットしに来る人も
たくさんいたそうです。
ちなみに、このハクチョウは戦後に
滋賀県の彦根市から寄贈されたもの。
1860年に大老の井伊直弼が
『桜田門外の変』で討たれて以来、
彦根と水戸の間には遺恨があったのですが、
明治維新から百年経った、ということで
「仲直りの証」として贈られた。
そう言えば偕楽園を開いた斉昭の腹心、
「藤田東湖」も
この千波湖から号名を取っていました。
彼の本名は「彪(たけき)」なのですが、
生家が千波湖を東に望む、ということで
「東湖」と号したんですね。
偕楽園からは、千波湖がよく見えます。
ぜひ読者の皆様も、偕楽園を訪れた際には
千波湖の眺めを楽しみ、
その歴史と地理を味わいながら
実際に湖畔を歩いてみてはいかがでしょう?
※本記事の画像は違う年のものです。
本年、2025年は、梅の花は
まだほとんど咲いていないようですが、
2月11日(火祝)から
偕楽園で「梅まつり」が開催されます。
詳細は下部のリンクより、ぜひ。
◆2025年の水戸の偕楽園の
「梅まつり」についてはこちらから。
2月11日には「黄門様御一行・
水戸の梅大使・みとちゃんによる
お出迎えイベント」があるそうです。
他の日には「納豆早食い世界大会」
「梅酒まつり」「梅酒カクテルコンテスト」
なども開催されるようですよ!↓
◆2025年の「早咲きの梅」はこちらから↓
◆烈公斉昭、偕楽園をつくる↓
◆偕楽園へ表門から↓
合わせてぜひどうぞ!
いいなと思ったら応援しよう!
