色々悩んだところで、私は私でしかないよねという気づき

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2023(https://adventar.org/calendars/9087)の16日目の記事です。 

 さっき、実習の課題を出し終えた。残念ながら、これで終わった~とはならず、クリスマスの週からインフルエンザになった分のアディショナル実習が予定されているのだけど。
 まあなんにせよ、課題も一旦落ち着いたところではあるから、つらつらと文字を綴っていこうと思う。

 ここ最近の年単位での私の悩みは「自立と依存について」である。この悩みの元は、そもそもの1人暮らしであったり、忙しさと感染予防からくる人との関わりの希薄化であったり、恋人とラベリングされる人と距離があったり、とにかく寂しさを感じる場面が多いためである。
 ここで書くことによって少しはこの悩みを整理し、軽くしてみようと思う。
 
 私は元々感情の波が大きいタイプであるからか、すぐに人間を大好きになるし、すぐ感情移入する。それに、子どものころの「仲良くしようね」「助け合おうね」「みんな友達」といった、お利口さんな価値観が成人した今でも私の源にある。
 だから、親しんだ人間と一緒にいること、しゃべることが私にとっての楽しみであるし、満足感を感じる行動であるし、リフレッシュでもある。ストレス耐性が全く高くないから、人とのかかわりが絶えるとすぐ寂しくなってしまう。これは私の悪いところでもあるが、自分1人の力で憂鬱な気持ちから回復することが難しい。価値観の軸において他者の存在感が大きすぎる。

 これが悪いのかというと少なくともそうは思っていない。
 医療や福祉に関わっている中で、「自立とは依存先を増やすことである」との言葉が出てきた。デジタル大辞泉によると自立とは「他からの支配や助力を受けずに存在すること」、依存とは「他に頼って存在、生活すること」である。
 人間誰しも1人では生きていけないというのが私の考えであるから、常に誰かの助けを借りながら(依存しながら)生きていくのはそれでよいと思っている。ただ、その誰かがただ一人の個人になってしまうと、その個人と自分の生活を重ね合わせるための努力をしてしまう。そうすると、自分のしたいように行動するというより、相手の存在に支配された行動を選び取っているということになる。

 固い文章も疲れた。予想以上に深刻になってしまった。もっと雑に書く。
 何がいいたいかというと、友達でも何でも1人の人間になついてしまう自分が嫌だ。好きな人たちと楽しく過ごせるだけでいいのに、それを勝手によりどころとして大きくとらえすぎているんだと思う。頭が固くて真面目で、人を大切にしすぎてしまうから、大切な人たちがいるってことが、それ自体私の自信にもなっているから。
 でも、私は、友人がいつまでも私を友人として認識しているか自信が持てない。もう友達じゃなくなっているんじゃないか、名前を忘れられているんじゃないかと怖くなってしまう。これは、保育所で一緒にすごした友達が3年後小学生として再開したときに私のことをすっかり忘れていたことがトラウマになっているんじゃないかな、と思う。人を繫ぎ止めていたくなってしまう癖に人間関係に対する臆病さがどうしても取り除けないから、どこまでも他力本願でどんどん他人に自分を支配されている。人間関係を広げることが怖いから、特定の安心できる人たちに入り込みすぎてしまう。だから、依存体質が起きているんじゃないかなって。

 考えすぎ、悩みすぎ。人といるのが好きだけど、人といるのがこわい。でもその怖さって結局人といることでしか解消されないんじゃないのかな。だって、勇気をもって人と話せれば、少なくともその時、私は笑えるし幸せだって思える。1人反省会は毎回開かれているけど。
 文章が終わりに向かってきた気がする。最後に、私を認識していて、私と一度でも会話したことのある皆さんへ。
 私はみんなが思っている以上にみんなが大切です。大好きです。食堂で見かけられたらハッピーになります。いつもありがとうございます。お互い忙しい日々を過ごすと思いますが、よければこれからも仲良くしたいです。おしゃべりしたいです。話しかけても怖がらないでください、めっちゃ勇気出しているんで。よろしくお願いします。

 たくさん書いてすっきりできた。よかった。


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