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『私の過去世は、ゾウでして:ヒスイの2000字チャレンジ②』


「私の過去世は、ゾウでして」

 その人は、いきなりそう言った。7月の平日、午後1時半。高級ホテルのカフェは、彼の指定した場所だった。
 あたしはこの一年、『お話を聞きます』という個人サービスをしている。誰かの話を、否定も褒めもせずただ聞く、というだけのサービスだ。
 そんなものに需要があるのかと思うだろうけれども、こんな時代だからか意外と仕事はある。あたしのもとには、SNS経由で毎日、依頼がやってくる。
 なかにはセクシャルなサービスだとおもって連絡してくる人もいるけれど、SNSのメッセージで丁寧に、

『公共の場所で、話を聞くだけです。こちらが提供するサービスはふたつです。
1 あなたの話を黙って聞きます
2 話が終わったら、すべて忘れます
1時間、5000円です』 

 これで、ヤバいお客さんは消えていく。後に残るのは本当に、誰かに何かを話したい人だけだ。
 たとえば今、目の前にいる男性みたいに。
 このひとは、たぶん50代半ば。25歳になるあたしの倍くらいの年だ。着ているものは、ほとんど黒に見えるチャコールグレーのスーツに、えんじ色のネクタイ。まともな人に見える。
 そしてあたしは、この仕事を始めてから何を聴いても平気な顔で返事をするようになった。どんなことを聴いても、驚かないようにしている。
 たとえちゃんとしたビジネスマンが過去世について話し始めても、顔色も変えない。あたしは答えた。

「はあ。過去世が、ゾウですか」
 
 男性は、テーブルの向かい側で静かにうなずいた。
 カフェのテーブルには、さっきもらった名刺がおいてある。テレビでCMを流す規模の会社の、肩書きがついているような人。
 男性は金の結婚指輪が光る左手でコーヒーのカップを持って、一口飲んだ。静かに話が続く。

「かつて私は、お城で飼われているゾウでした。実は、そのお城に住む姫のお母さんが早くに亡くなり、そのひとが転生したゾウでした」
「ははあ」
「私は姫に愛情をそそいでいましたが、姫が嫁ぐときには、置いて行かれました。その朝、姫は私の長い鼻をなでながら、こう言ったんです。
”あなたはしょせんゾウだから”って。
――思うんですが」

 男性の指は骨が細く長く、形がきれいだった。大きな手がゆったりと動いて、ヘレンドのコーヒーカップを皿に戻した。

「思うんですが。
人と人とのあいだには、感情の橋が架かっている。こちらが架けたいと思い、あちらが受けたいと思う橋です。
しかしゾウには、言葉がない。あのとき、私がひとだったら、私と姫のあいだには橋がかかったのでしょうか」

 男性は言葉を切り、カフェの大きな一枚ガラスから広い庭を見た。ホテルの庭は手入れが行き届き、どこまでもどこまでも清潔だった。
 ゴミはなく、枯葉も花ガラもなく。大きな池と滝が、夏の空にきらめいていた。
 庭からは、出来あがってしまったものの香りがした。野にひろがる草を、無理やり焼き切った時のような、あどけない強引な香りがした。
 男性は何も言わず、庭を見ていた。きっと過去世で過ごしたお城の庭を思い出しているんだろう、とあたしは思った。

 そこでは、自由な花が咲き。
 片づけられない枯れ枝が積み上がり。
 日光を受けた葉が重みにしなって、さやさやと鳴っていたのだ。
 あたしは、彼と過去世を分け合う。
 ざわり、ざわり、という草の音。かがやくような太陽の匂い。鼻の奥につんとくるスパイスの味わい。
 そして。
 ゾウの愛した姫の香り。甘い、ジンジャーのような香り。
 ゾウの鼻に巻きつき甘え、ゾウに愛する喜びを与えていた、姫の衣ずれの音が、聞こえた気がした。

 ほんとうは、ここは東京で。
 高級ホテルのカフェで。
 手入れの行き届いた庭は、分厚いガラス窓の向こうにしかない。
 それでもあたしと彼は、同じ庭を見ていた。

 テーブルの向こうで、男性の頭がゆらりとゆれる。銀色の髪が混じった頭は、まるで王冠のように陽を受けてほんのちょっぴり、輝いた。

「私は過去世で、ゾウでした。とてもいい、過去世でした」

 とん、と彼はテーブルをたたいた。まるで魔法を断ち切るように。
あたしを見る。

「そろそろ、時間ですな」
「そうですね」

 あたしが答えると、彼はうなずいて笑った。目じりにしわが寄り、まるでこの世の命綱のように、ねじれて見えた。

「ああ。あなたのこえは。亡くなられたお母さんに、そっくりだ」

 そういうと彼は立ち上がり、もういちどだけ、ほわりと笑った。

「ありがとう、桜子」

 あたしは一度も、本名を名乗らなかったのに。
 遠ざかってゆくチャコールグレーのスーツは、みたこともない父親の背中の形をしていた。
 ホテルの床には分厚いカーペットが敷き詰められていて、ゾウの足音さえ吸い取ってしまう。

 このカフェからは。
 遠い昔の庭が見える。
 城の庭にはゾウがいて。
 伝えられなかった言葉を語っている。
 言葉は銀色の橋となり、木々の輝く庭で無数に交錯している。

 彼は言った。
『私の過去世は、ゾウでして』
 1時間遅れで、あたしは答える。
『あたしの過去世は、姫でした』

 そしてホテルの庭は。
 今も静かな銀色の橋で満ちている。

ーーーーーおわりーーーーー   2087字

画像はBishnu SarangiによるPixabayから

今回の「ヒスイチャレンジ 2000字」。元ネタはShiominさんです。

過去世がゾウと聞いた瞬間に。これはもう、ドラマにせねば、と思った次第(笑)ですが。
ゾウがドラマになるまでに、ヒスイが七転八倒いたしました(笑)。

みなさまにも、ほんのちょっぴり不思議な時間を過ごしていただければ、幸いです。

さて、このチャレンジ。来週も続きます(笑)。
あきらめが悪い、という一点だけが、ヒスイのとりえです(笑)。
来週はどうなるか。
どうぞみなさまも、ヒスイとともにはらはらしながら金曜日をお待ちください。

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
ヒスイ。がんばります。
ひとりじゃないから。

#2000字のドラマ

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ヒスイ~強運女子・小粋でポップな恋愛小説家
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