「自信のない子供と荒野の99人」ヒスイの『大切なもの』短編⑫
生まれたときから、自信のない子供だった。
誕生日は、予定日より1週間おくれ。陣痛がこない母は悩んだ末、促進剤を使って私を産んだ。
押し出されるまで、生まれる事さえできない子供だった。
自信のなさは成長しても同じ。
大学生活が終わりに近づき、同級生の多くが内定をもらっているとき私だけがぐずぐずと進路を決められなかった。
自信のなさが決断力を削ぎとり、私を宙ぶらりんにしていたからだ。
ほそいほそい、架空の糸に吊り下げられている不格好な人形。
それが、高野翠(たかのみどり)だった。
大学内の『キャリア支援センター』から呼び出しがあったのは、秋の終わりごろ。
大きなバッグを引きずり、いやいや来た私に年配の女性カウンセラーは怖い顔で言った。
「タカノミドリさん。これまでに一度もセンターを利用していませんね?」
「あ……はい」
「就職する意志はありますか? 卒業後は大学院へ進んだり、留学をする学生もいますから」
「えっと。就職できるか、わかりません。大学院と留学は、なしです」
ぴくっと、カウンセラーのこめかみが動いた。白髪の混じった髪はきれいにセットされていて、真珠の一粒ピアスをつけていた。
「進路は不明ね……なにか、やりたいことはあるんですか?」
ないです!! と叫びたかった。やりたいことがあれば、呼び出されていないよ!
しかし、それは私の問題であってカウンセラーの問題ではない。それにしても、きれいな照りの真珠ピアスだな……。
私は頭のなかで色鉛筆を広げた。
あの照りを描くには、白よりもアイボリーを基調にした方がいい。
ファーバーカステルのアイボリー色にカドミウムイエローレモンの影をつけよう。肌に近い部分には、思いきってゼラニウムレーキを乗せたらどうだろうか……。
ぼうっとしていたら、とんとん、とデスクをたたかれた。
「タカノさん? 聞いています?」
「あ、はい。やっぱり影にはジンクイエローとカドミウムを使おうと思います」
「——は?」
はっとした。あわてて、
「あ、すいません。私、絵が好きなので。あの、コンサル予約を取りなおします、すいません!」
バタバタをかばんを引きずって出ていこうとしたとき、ふいにカウンセラーの声がした。
「絵を描くのね?」
ふりかえると女性カウンセラーがにこりとしていた。肌の色は黄色みの強いクリーム色。口紅は赤ピンクのフクシア。
彼女の口紅を見ながら、おたおたと答えた。
「でも、その。絵では就職できません」
「そうね」
「ちゃんと習ったこともありませんし、我流だし、へたくそだし」
彼女は書類に追加情報を書き加えた。ここからは見えないけれど、たぶん
『未学習・我流・へたくそ』と書いてあるんだろう。
だって、それが私だから。
しかし彼女はこう言った。
「絵で、食べていく覚悟はありますか?」
「かくご?」
「よほどの才能と運がない限り、画家になるのは無理でしょう。
でもイラストレーター、それも小さな会社の従業員ならいけるかも」
「はあ。いやそれも不可能で」
「覚悟があれば、できますよ」
「自信がありません」
すると彼女は背筋を伸ばして私を見た。
「もしもあなたが、本気である仕事に就こうと決めたなら、その瞬間からあなたには働く『資格』があります」
天が、落ちてきたかと思った。おもわず白い天井を見る。もちろんそれは、落ちてこない。
かわりに、私が天に近づいたのだった。
一歩だけだけど。
彼女はつづけた。
「希望する仕事に100人の候補者がいるなら、99人が消えるまでやり続けることです。最後の1人になれば、仕事になります。
今すぐに働く必要がないのなら、何とか方法があるでしょう」
「ないです、ないです。親に頼みます!」
ふう、と彼女はため息をついた。
「はじめから親がかりというのは感心しませんが、まったく道が見えないよりは、ましでしょう……。
小さなデザイン会社を探して、エントリーシートを出してください。
アピール欄に『給料は要りません、インターンで勤務します』と書いてみて。
うまくいけば、採用されるかも」
「はい! はい!!」
年配のカウンセラーは、最後ににこりと笑った。
「どれだけの時間がかかっても、ほかの99人があきらめるまで、あなたはあきらめちゃダメよ。あきらめるっていう贅沢は、いま無くなったのよ。
最後まで立っていてね」
結局。その年の就職面接は、すべて落ちたが。
いま、私は77人があきらめた荒野で生き延びている。
【了】
今日は、なっちゃん⭐️さんの企画「あなたの「大切なもの」を教えてください!」に参加しています。
ヒスイはもう、子供の頃から本当にダメなやつで。
ただ、人の出会いには恵まれてきたと思っています。
だから「大切なもの」は何だろう? と考えた時
「人からもらった言葉」だと、思いました。
このお話ほど、良い感じのカウンセラーさんではなかったですが(笑)
いや、ほんとはかなり怖いオバサマでしたが(笑)
彼女が教えてくれた「覚悟と資格」の言葉は、いまもヒスイを支えてくれています。
そういう出会いって、だれにでも必ずあるんだと思います。
このコンテスト、11/30が締め切りです。
この機会に、大事なものについて考えてみると
こころが柔らかくなるかも。
ともきちさんのゲスト記事も必見です。