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『津軽三味線 夏空にひらく』ヒスイのかすかなBL恋愛短編・(笑)

 三味線弾きの正装は、着物に袴だ。300人が入るライブハウスのステージ脇で、おれの隣に立つリョウが軽く袴を叩いた。
「よし、行こう、十音(とね)」
 返事をしないでいると、リョウのきれいな顔がこっちを向いた。

「なんだよ、機嫌が悪いな。今朝は、僕が作った朝食さえ食べなかったし」
「浮気男のめしなんか、食えるかよ」
「——浮気男って。あの電話については、昨日ちゃんと説明しただろう」

 リョウが言いかけるのを無視して、足を踏み出す。暗いステージに2脚の椅子が並んでいるのが見えた。
 おれの椅子。
 リョウの椅子。
 津軽三味線は座って演奏するのが王道だ。
 おれが座る。隣でリョウの座る気配がする。椅子は真横にあるから、首をかたむけないと見えない。
 そして今日のおれは、最初の一音を出すまえに、リョウの顔を見たくない。

 おれたちは津軽三味線ユニット、”涼音”を組んでいる。
 そして、恋人どうし——だが昨日の夜、リョウがこっそり女と電話しているのを聞いた。それ以来、むかっ腹が立つ。
 おれは呼吸を整える。
 どうしようもない嫉妬心のまま、300人の客の前に立つわけにいかない。
 大きく息を吸う。吐く。
 なんとしても、津軽の夏空のような、澄みきってのびやかな音を出さねばならない。
 たとえ隣の男をぶち殺したいほどに愛していても、おれの音に、にごりがあってはならないんだ。

 大きな呼吸を、もうふたつ、する。
 目を見開くと、くらい虚空に最初の音が浮かんで見えた。
 おれは、バチを弦に当てて、一気にはじいた。
「せいっ!」


 ビャン、じゃッ。じゃっ、じゃじゃじゃっ。
 カリコロカリコロカリコロ カカッカ。

 津軽三味線の、重くもするどい音がライブハウス中に響きわたった。おれの音のあとを、リョウの三味線が一分のスキもなく、追って来る。

 おれの音よりも、リョウの音のほうが少し軽く聞こえる。そのぶんだけ、リョウの三味線は明るく華やかだ。
 そのままリョウのソロに入る。頭上の照明が消え、闇に沈む。かわりにリョウに光が当たる。
 トテトン、トテトン、トテトン、トテトン。
 カラカラカラカラ。カラカラカラカラ。キラキラトテトン。

 客がどっと沸く。半地下のライブハウスが、数倍に膨れあがるのを感じる。その勢いを先導しているのは、リョウの音だ。
だが、おれの耳はリョウの音にわずかな遅れを聞き取っている。
 昨日の夜、女との電話をおれに聞かれたときも、リョウの声はかすかな遅れを持っていた。

『誰だよ、今電話していた、ユカリって』
 おれが毒づいたとき、リョウの声はあるべきテンポに追いついていなかった。感情の処理にコンマ数秒を取られ、動揺した男の顔があった。

『あ、あすのライブハウスの責任者だよ』
『嘘つけ、あのハコの責任者は50過ぎのおっさんだ。”ユカリ”じゃねえよ』
『おじさん”五十嵐さん”の娘さんが、ユカリっていうの。明日のライブの打ち合わせだよ。十音って、意外と嫉妬深いんだね』
『そんなわけねえだろ。お前が隠しごとみたいにするからだ、アホ』

 乱暴にそう言い放つと、リョウは背筋をまっすぐに伸ばして、おし黙った。黙ったまま寝室から毛布を持ち出し、リビングのソファで横になった。まっすぐに体を伸ばし、長いまつげを閉じる。
 リョウは、都合が悪くなるといつも寝たふりをする。
 それがわかっていながら、おれも何も言わない。ひとりで寝室に行き、ライブ用の曲を頭の中でさらった。
 明日の曲は、おれとリョウが二丁弾きで、超高速パッセージを弾きまくるやつだ。
 だが、頭の中でさらう音は信じられないほど濁っていた。


 トテトン、トテトン、トテトン、とっカラカラカラカラカラ。
 リョウの華やかな音が聞こえて、おれはハッとステージに意識を戻した。隣を見なくてもリョウがパッセージの最後に向けて、気を上げているのがわかる。
 三味線が言う。
『トッテンカラカラ、トッテンカラ。いいかげんに機嫌を直せよ、十音』

 ちっ、カラカラカラカラ。

『あれは、そういう電話じゃないよ。わかっているんだろう? 僕が惚れてるのは世界で一人きり、十音だけだ』

 きゅっと、棹(さお)を押さえているリョウの右肩が上がった。
『僕を、信じてよ十音』
 ビャンっ。三味線の胴が、わずかな間を残して鳴った。

 その隙間に、すっは、とおれの音が入り込む。
 とっカラカラカラ、カラカラカラカラ、とっカラカラカラ、とっカラカラ。

『信じられるかよ、アホリョウ』
『信じなきゃ、損するよ。この世でこんなにきみに惚れている男は僕だけだ。あの世にだって、いやしない』

 トッテンからりからりカラカラ。
 宵の名残りのような音を残して、ふいにリョウが音を止めた。

 え、ここはおれのソロじゃないはずだが。
 だが客がいる。ふたりとも音を止めるわけにはいかない。おれは素知らぬ顔で、弾きつづけた。
 となりで、リョウが誰にも聞こえない声でつぶやくのが聞こえる。

「カラカラビャン、ビャン、ととっ」
 おれの三味線が、リョウの口三味線をなぞっていく。カラカラビャン、ビャン、ととっ。

「僕がきみに惚れているんだ。信じないなんて、バカだよ十音、カラカラカラカラ。カラカラカラ、ちっちっ」
 カラカラカラカラ。カラカラカラ、ちっちっ。

「きみが僕を捨てたって、僕はきみのものだ。からりんととと」
 ——そんなこと、わかってるよ、アホリョウ。からりんととと。
 だけどほんとうに惚れているのは、おれのほうだ。
 リョウの顔、リョウの姿、リョウの声、リョウの音に惚れている。

 トッカラカラカラ とカラカラ。

 だけど惚れすぎて負けるって、なんて贅沢な敗北なんだ。
 なあ、リョウ。
 恋なんて惚れているほうが幸せなんだよ。お前がそれを知らなきゃいいと思うね。
 何も考えずに、ただ愛されていろよ。それがお前の役目だよ。
 カラトントントッ。

「十音、いつまで一人で弾いているつもり? 僕、そろそろさびしいんだけど」
「じゃあ、とっとと入ってこい。いつまでソロやらすんだ、アホリョウ」
「了解、きっかけをくれ」

 おれはすうっと息を吸う。
 カラカラカラカラカラ、かっ。じゃんからとっとっ、じゃんからとっ。じゃっじゃ——じゃっ。
「せいっ!」
 最後の一音で、すらっとリョウが入って来た。


 二丁の三味線が打ち上げる音が、ループを描いてらせん状に伸びていく。
 津軽の夏空へ抜ける音がふたつ、天へ昇る。ライブハウスの照明を抜け、天井を突き破り、二本の龍になって駆けあがっていく。
 リョウは端正な姿を崩し、ドスをかくし持つみたいな姿勢になって三味線から音を引き出す。
 二つのバチが縦横無尽に駆けまわり、共鳴しながら音を生み出す。

 リョウとしか、出せない音だ。
 リョウとしか、できない恋だ。
 そこに理由はない。
 ただ、リョウがいるだけだ。

 超音速パッセージがぴたりと重なり、二丁の三味線は一つの音を作り上げた。

 とテトテとテトテ トッカラトントっ、とっからとんっ、とんっ、ととんっ。
じゃじゃじゃじゃッ、ビャンっ。


 最後の音は、ライブハウス中のどよめきで、聞こえなかった。
 となりのリョウが、にやりとするのが見えた。

「——やべえ、十音。惚れなおした。だから機嫌なおせよ、もう」

 どん、とひとつ、夏空に花火が開いたみたいに、リョウが笑っていた。


【了】

『津軽三味線 夏空にひらく』(約3000字)


本日は、三味線がお題でした。
本格的にお三味線をおやりの方には、笑止千万な擬音が多々あったかと思われます。
よろしければ、コメント欄にて、ご指摘いただければ幸いです。


へいちゃんの短編は、こちらです。
時節をうまく取り入れたショートショートですよ!

ではまた、明日、小さなヒスイ日記でお会いしましょう!
うふふ、もう20日なの。
今月は、ヒスイがビリになりそうな予感です(笑)


NNさまの企画58
#ヒスイの鍛錬100本ノック
#お題・三味線


今後のお題
【2】SNS  3】魂 【4】水 
【7】歩道橋 【8】終幕 【9】太陽
【10】マトリョーシカ 【12】落書き
【14】エレベーター 【16】忍者 【18】雨具
【19】労働 【20】歌 【21】危機一髪
24】お茶 【32】昔話 【43】鬼 
【46】枯れ木 【54】蜘蛛 【55】タイムスリップ 
【57】ポーカー 【58】春告げ鳥 【61】舌先三寸 
【66】ポップコーン 【69】★母の日★ 【70】スキャンダル
【73】アナログレコード 【75】★裏切り★  【80】まちぶせ 【81】ゆうびんやさん 【82】★みなとさん3★ 【84】天気予報
【85】湖底 【86】豆電球 【88】ペンギン
【89】★みなとさん4★  【91】体重
【92】ダリア 【94】はらごしらえ 【95】ロングヘア 
【96】遅配  【99】船 【100】カブト

ご参考までに(笑)


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ヒスイ~強運女子・小粋でポップな恋愛小説家
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