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ハルの想いの形/『さくら、もゆ。』考察
無粋ではない良い考察を目指して。
いや、
考察というほど深い考えはなく、
ほぼ妄想なのだが‥‥‥。
完全にネタバレありなので、
最後までプレイしていない方はブラウザバック推奨です。
ハル√におけるハルと、
クロ√におけるハル。
自分のせいで不幸にしてしまったおじさん(大雅)を一途に想い続け、結ばれたいという気持ちと幸せに生きてほしいという気持ちが混ざりつつ。
ハル√において結ばれハッピーエンドは迎えたのですが、クロ√ではただ苦しい目にあって、最後の最後に大雅とクロが幸せになるための手助けをして、ある意味負けヒロインとなった哀れな子に見えなくもないハル。
ただ、それだけで終わるはずがない。
(終わってほしくない。)
私はそう思ったのです。
そこで注目したのが、
クロ√のED曲「花あかりの時」。
クロと大雅のハッピーエンドとして流れる本曲ですが、その歌詞に注目していただきたい。
歌の歌詞と物語とのリンクを気にするのは音楽好きの定め。
これまで歌詞が自分の中でいまいちしっくりきてなかったのですが、ふと
これって実は、ハル視点なんじゃないかと思ったんです。
(私が単純にこれまで気づいてなかっただけ?笑)
曲名の「花あかり」とは、
桜の花が満開で、夜でもあたりがほの明るく感じられること。
おそらくこれは夜の国のことを指しています。
夜の国とはどんな場所か。
命を終えたすべてのイキモノが訪れる場所です。
クロルートにおいてハルは、
大雅の幸せのためにと文字通り命を懸けました。
大雅に撃たれてしまいましたが、
おそらくなんとか生きのびていたのではないかと思います。
その後は一人でつつがなく生を全うしたことでしょう。
そのために大雅との記憶を消してもらっていたことでしょう。
そうして亡くなったハルが夜の国に降り立ったときのこと。
桜の花びらが身体に触れて、大雅たちのことを思い出します。
幼いころ、大雅に助けられたこと。
弱さにも 光くれたね
こんなにも心を 照らしてる
長い時の中 夢に思えた日々
この手の中に 今
大雅を大切に想う気持ち。
果てしない夜空 見上げて
星の中 心を鳴らしてる
絆があるって 信じていられるの
歩いて行ける 今
大雅とクロが幸せになってほしい。
そんな強い想いが、兎蛙姉妹の「さくら、もゆ。」のように夜の国で形となった。
それが「花あかりの時」なのではないでしょうか。
二人の始まりを
いつまでも見守ってる
全部大切に
持っているから
花びらに乗せて送る
希望を届けて・・・
いつかあなたまで
続きますように
ハルは二人の幸せのためだけにと想像した魔法を届けました。
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歌詞がハル視点とすれば納得できるのです。
これに気づいてからはもう、
涙が止まらなくて止まらなくて。
なんて神曲だよ。
最後の最後まで2人の幸せを祈っている。
ハルの崇高な祈りが、
想いが綴られた曲だなと。
いつまでも永遠に。
「花あかりの時」とは、
生を全うしたハルが、夜の国に降り立った(花あかりの)時に大雅とクロのことを思い出し、彼らの幸せを願う想いが形になった歌である。
本作では”歌は想いの形”であり非常に重要な要素でした。
ハルにとっても歌は大切なもの。
文化祭で歌った後、これからも歌い続けると言っていましたね。
智仁が音楽そのものになりたいと言ってそうなったように、ハルの想いが夜の国の力で歌となり、大雅とクロの幸せを祝福したのです。
あくまでも一つの解釈ですが、どうでしょうか。
そんな意図はないのかもしれないですが、
そうとしか私には考えられません。
ハルルートとクロルートは表裏一体。
その結びつきの強さを考えると、説得力はそれなりにあるかなぁと。
あとがき
ハルルートの文化祭の場面で「さくら、もゆ。」の歌唱がなぜハルじゃなくてクロ(というかましろというか夏和子さん)なのか。
そこまでは充分に考察できていませんが、
実は「花あかりの時」を歌うeufoniusさんは「さくら、もゆ。」をセルフカバー(?)しています。
よって完全にこじつけですが(笑)、
本作においては
eufonius=ハル
ということを暗に示していたのかも。