繋いだ手

不意に手を柔く強く握られる。

「お前が…」
「はい」
「お前が死を望んだとして、私は、私が与えた命を簡単に手放しはしない。私が与えた。お前の命は私のものだ。いくらお前が死者に焦がれて逝こうとしても、私はお前を現世に縛る。この手を決して離さない。私を恨んでいい、憎んでいいから」

私の元から勝手に去らないで。
死なないで。
と、呟かれたそれは切実な呪詛で。
俺には何物にも代えられない祝詞であった。

だから俺は、手を握り返して答えた。

「離れませんよ、主。俺にはあなたから授けていただいた使命がある。それを果たすまで死にません」
「…勝手に死んだらあの世までお前を取りに行くからな」
「それは困ります、あなたまであの世に来てしまってはこの本丸が回らない」
「そこは大丈夫だろう。私はしょっちゅう留守にしているし、そこんところ皆逞しいし」
「帰ってくることが解っているのといないのとでは、全く違いますよ。万が一あなたが俺を追ってあの世に行こうものなら、ここの本丸総出であなたを迎えに行くくらいはすると思いますよ」
「それは楽しみだ」
「楽しまないでください」

そんなことを話していると手が解かれた。
ひやりとした外気に晒され、早くも主の手の温かさが恋しい。
それに今解放されても所在に困る。
なので、少々失礼して

「はっ、長谷部?!お前何を…離せ長谷部」
「申し訳ありません。お伺いしてもきっと許してくださらないと思いましたので」
「答えになってない。寒いなら上着を返すから離せ」
「主がお部屋に戻られるのでしたら」
「いやだ私はまだお前といたい」
「っ……主、これは俺の夢でしょうか」
「随分恥ずかしい夢を見るんだな。悪いがこれは現実だ。だから離せ、主命だ」
「申し訳ありません」
「主命なのに!?」

解かれた手を掴んで抱き寄せれば、予想通り主はもがいて抵抗した。体温がみるみる上がって温かい。
ああ、なるほど。もしかして

「主、照れていますか?」
「照れてなんか…!」
「そうですか?それにしては体温が随分高いように感じますが、やはり風邪を」
「引いてない!引いてないから、離し」
「今までの経験上、主が慌てる時は怪しい時です」
「違うっつーのに!ただ誰かに見られたら誤解されそうだと思うと気が気じゃなくてだな…!」
「誰だろうと構わないじゃないですか、主は俺が好きなんですよね?」
「…好きだが」
「………」
「ええい桜を舞わせるな!満面の笑みで頷くな!あと腕の力を強めるんじゃない!」

くそう、だから、と小言を言う主は頭から蒸気をあげそうな程興奮していたが、急に大人しくなると俺を見上げた。
さすがに少し笑い過ぎたかも知れない。もしかして機嫌を損ねてしまっただろうか。

「主?」
「……お前がそれだけ幸せそうな顔をするなら、告白して良かったと思って」
「………」

本当にこの方は…そんな風に微笑まれたら俺は、俺は…

「主…!」
「長谷部!絞まる!絞まる!!」
「あなたは俺をどうしたいんですか、今ただでさえあなたを潰さないように必死なのに」
「これで!?」
「どうすればいいんですか、これ以上は俺どうなるか判りませんよ」
「えっと、ごめん。いろいろごめん」
「謝っても止まりません。というより止まれません」
「いや止まってくれ、ごめん、誤解させていると思ったんだ。お前は好きだが、恋愛感情じゃない。親愛や友愛の類だ」
「勿論。主と俺が恋愛なんて畏れ多いです」
「えっ、じゃあこの抱擁何?!」
「喜びが溢れた故でしょうか」
「湛えるに留めろ!」
「いやですこうしたい」
「馬鹿ー!」

それでもあなたは腕を振り払おうとはしない。
傲慢なところや不遜な態度はいつもと変わらないのに、穏やかな優しさや照れる姿は普段からは想像がつかない。
これが和泉守が言っていた“ぎゃっぷ”というものだろうか。

華奢で柔らかい体はもう少し力を入れるだけで折れてしまいそうな気がした。
だから大切に、大切に抱き締める。
温もりの中、石鹸の清潔な香りが漂いふわふわとした心地がする。
主の温もりで和んでどれくらいそうしていたか、耳元でか細く声がした。

「長谷部…、お願い、本当に恥ずかしいから…」

雷を受けたような衝撃とはこのことかと実感する。
これか、これが和泉守が言っていた“ぎゃっぷ”か!
あの主が震えながら懇願するとは…しかも言葉遣いまで変わっている。
何故か鼓動が大きく速くなり落ち着かない。
今、主はどんな顔をしているのだろう。無性に気になって仕方がない。
体を離し主と目線を合わせると、主はやっと緊張を解いた。

「主」
「なんだ」
「お顔を拝見したいのですが」
「駄目だ無理だ諦めろ」
「何故です」
「これがなければ私は審神者でなくなるからだ」

軽い気持ちで訊いた問いは、予想外の答えで返された。

「審神者の技は、主に宿っているのですよね?」
「そうだ。だから厳密にはこれを外したからと言って審神者として技を揮えなくなるワケではない。だが、私は臆病者の弱虫でな。これで顔を隠さねば指揮など取れんよ。指揮の取れない審神者は、要らない」

だからこれは、私が人型でいる時の防護壁。審神者である為の、唯一の装備。と、答えるあなたが悲しくて

「…長谷部?」

あなたの素顔が気になって、軽い気持ちで訊いたのに。返ってきたのは予想もしない現実だった。
あなたは心の壁の向こうにいる。俺の手を離さないと言ったあなたは、俺の手の届かないところにいる。たった一人で、たった一人で――

俺を置いて行かないで

「審神者としての悩みや重責を、一人で抱え込まないでください」
「………」
「俺もできる限りお手伝い致します、一人で負うよりは楽になれる筈です。だからどうか」
「ありがとう、でも気持ちだけ受け取っておく。…あれ、お前思ったより髪サラサラだな」
「主!」
「優しいなぁお前は。どうしてお前が泣くの。ほら、せっかく綺麗な上着なのに跡が付いちゃうよ」

あなたにどう思われようが構わないと思っていた。
あなたに想われて嬉しいと思った。
あなたの隠れた一面に触れた。
仮の姿でもない、面でもない、あなたの素顔が見たいと思った。
あなたを、支えたいと

俺は、あなたの一番になれませんか

「長谷部」

そんなに優しく、呼ばないでください。

「私はつらくないよ。皆いてくれるし、それにお前は使命を果たしてくれるんだろう?だから大丈夫。泣かないで」

止めようとは思っているんです。
でも撫でられる度に流れてきて、どうすればいいのか判らない。自分で止めようと思っても止められない。

「私より年嵩のクセに、子供みたいだな」

仕方ないな、泣き止むまでだぞ?と言って、主は俺の頭を自分の胸へと抱き寄せた。
随分情けない姿をしていたと思うが、それでも主は変わらず頭を撫でた。
温かさが、沁みていく。主の手に合わせて、ゆっくりと。
理由も解らない涙が後から後から溢れ出て、主の胸を濡らしていった。

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