昔の話

 霞月が、審神者として就任し、未だ日の浅い頃の話。

 送り出した部隊が不意を突かれ、隊長であった歌仙兼定が皆を逃がす為一振残ったと報告を受けた。

「―だから、歌仙だけいない、と」

 執務室の机の上にふわふわと漂いながら、綿毛姿の霞月は低い声で答えた。

「申し訳ありません…。頃合いを見て救出に戻ろうとしたのですが、濃霧と追っ手に阻まれ、帰り道を見失わないようにするのが精一杯で…。部隊は傷を負っている者が殆どでしたし、まずは歌仙さんが言う通り部隊の再編を行った方が良いかと思い帰城致しました」
「そうだね、そこで戻っていたら歌仙の頑張りが無駄になる可能性もあった、良い判断だよ。歌仙はきっとその内戻ってくるだろうから、前田くんも手入れ部屋に行ってらっしゃい」
「申し訳ありません…ありがたく休みます」
「うん、報告ありがとう。ゆっくり直しておいで」
「はい」

 送り出した部隊が全員で帰還できなかったのはこれが初めてである。いつも感情的且つ気侭に振る舞い周りを振り回す主のことだ、一番付き合いの長い刀剣男士が窮地にあると知れば、自分も戦場に行くと言い出すのではないか―と内心ひやひやしていた蜂須賀虎徹は、落ち着いた様子の綿毛を意外に思いつつも共に報告を受けていた。
 綿毛はその後も取り乱すことなく、むしろいつもより冷静に勤勉に執務をこなしていった。手入れ部屋で休む短刀たちを見舞いつつ、戦場の様子を聞き、歌仙と共に戻れなかったと悄気る面々を明るく励ました。そこには歌仙が戻らないことに気を揉む様子はなかったが、気が付くと外に目を遣っていることが多かった。
 遠征部隊を偵察に送るも、前田藤四郎が言っていた通り霧が深く、伸ばした手の先を見るのがやっとの視界では捜索など儘ならないと言う。それでも綿毛は、その都度部隊を編成し、偵察と捜索、そして救出にと部隊を派遣した。
 そうして陽が沈み、風が心地好く冷えてきた頃、幾度目かに送り出した遠征部隊が戻ってきた。その手に、見慣れた物を携えて。

「これ…歌仙の、外套…」

 遠征部隊が持ち帰ったのは、いつも歌仙が身に着けていた外套。紅の裏地に大柄の牡丹の花をあしらった墨色のそれは、厳粛さを持ちつつも華やかさを忘れず、雅を好む彼らしい一品。
 それが、今、見るも無惨に裂かれ、赤黒い染みが表に裏に滲みていた。外套があった場所には、留め具である牡丹の花飾りも共に落ちていたと言う。霧を吸ってひやりと冷たい外套は、それだけ長い時間置かれていた証明だ。

「そこに、歌仙は」

 綿毛の声は僅かに震えながらも、あくまで淡々と。そして遠征部隊が静かに首を振っても、綿毛はただ〝そう〟とだけ答え、部隊によく休むよう言って下がらせた。部隊が下がり、執務室に蜂須賀とふたりになると、細く深く息を吐き出し、考え込むようにじっと浮かんでいた。
 初めて配下を失うかも知れないこの現状、審神者になりたての、しかも戦のない世で生きてきた弱冠二十歳の娘に、これ程の器量があろうとは―綿毛などと珍妙な姿をしていようとも、主としての資質は備えているということか。
 蜂須賀がそう考えている時、下がらせた部隊の一振が足音荒く再び執務室にやってきた。

「綿毛ー!悪ぃ一つ忘れてた!」
「愛染?どうしたの」
「これ、これも外套と一緒に見付けたんだけど、大事に持ち過ぎて渡し忘れてた!すんません‼」
「あ…」

 愛染国俊が差し出してきたのは、鞘。楽観的な見方をすれば鞘だけ落としてしまったとも考えられるが、この期に及んでそんな考えを持つ者はいない。歌仙は鞘を手持ちではなく腰に差していた。つまり考えられるのは、腰に一撃貰ったか、或いはもう―

「傍に歌仙さんのっぽい戦装備もあったんだけど、粉々に砕かれてて…」
「……」
「綿毛?」
「……」
「綿毛、どうかした――ッ!」

 傷付いた鞘を見てから、その中空で固まってしまった綿毛を訝しんだ愛染と蜂須賀が、揃って首を傾げたその瞬間、執務室に突風が吹いた。愛染も蜂須賀も思わず顔を庇う程の風。であれば当然、いつも風に攫われどこかへ飛んで行ってしまう綿毛などひとたまりもない。
 そう思った蜂須賀が顔を上げると、そこには少女が一人立っていた。巫女のような装いで、『綿』と書かれた布の面で顔を隠し、歌仙の外套と鞘を両手で抱えながら。

「……」

 風が収まると、少女は何も言わず二振の横を抜け、縁側を越えて真っ直ぐに門がある方へと向かって行った。一つに括られた黒髪がひらりと踊る。
 呆気にとられていた二振はその様子を見送り―そして我に返った。

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「なあ蜂須賀さん!あれ誰!?」
「判らないが、状況から察するに綿毛だろう。追うぞ!」
「おう!」

 少女は初めのうちこそ歩いていたが、その足は次第に歩幅を広げ、今は地を蹴るのももどかしいとばかりに駆けていた。執務室から次元を越える門までは遠くない。それでも機動自慢の愛染には敵わず、門の手前で追いつかれた。

「ちょーっと待ったー!!」
「…愛染」
「あっ、声が綿毛と同じ…ってことはやっぱあんた綿毛なのか!えーっと、それなら呼び方改めた方がいい?主さん?」
「どっちでも構わないよ」
「間に合ったか。愛染、引き留めてくれて助かったよ」
「―須賀さん」
「その呼び方、やっぱり主か」

 それにしては声に何も籠もっていない。無感情に空ろな主の声など、聞いたことがない。咄嗟に主と判断したが、この少女は、本当にあの綿毛と同じなんだろうか。

「お願い、通して」

 次に発せられた言葉は無感情、ではなかった。その声には悲痛が滲んでいた。

「何を―」
「歌仙のところに行かせて」

 更に声が滲み、ぐ、と鞘を握る手に力が籠められる。面で顔が見えないが、きっと、泣きそうな顔をしているんだろうと、想像に難くない。

「何言ってんだよ主さん!今向こうは視界が利かねぇし、そうでなくたって危険な場所なんだ!戦えない主さんを行かせられるわけ」

「戦えないなら!!」

 愛染を遮って声は夕闇に鋭く響き、残響は沈黙を連れてきた。木々のざわめきと虫の声が遠くで風と揺れている。音もなく濃さを増す夜が、一人と二振を覆っていく。

「戦えないから駄目だと言うなら、歌仙はどうなるの…。鞘も外套もこっちで、装備は壊されて…傷も負って一振で……!どうやって戦い抜けって言うの…‼」
「…主」

 愛染とさほど変わらない小柄な体で、傷付いた鞘とぼろぼろの外套を抱き締める。その姿は幼く、親と逸れた子を彷彿とさせた。きっとその心も同じで、ただ一つの存在を求めているのだろう。
 ―ずっと堪えていたのか、と蜂須賀はこの時理解した。冷静に見えて、落ち着いているように見えて、その心裡ではずっと、駆け出したい衝動を堪えていたのかと。
 審神者の力があるからと、自分で望んだとは言え平和な時代からいきなり戦乱の渦中に立つことになった。その上〝軍を率いて敵を討て〟だなんて、慣れていない者は勿論、女性には酷な話だろう。そして初めの時から自分に従ってくれている配下が死地に陥っているのに、自分は安全なところで座して待っているなんて、この主にできる筈がない。
 ―それでも。

「行かせるわけにはいかない」
「須賀さん…!」
「君はこの本丸の主であり、俺達を束ねる審神者だ。みすみす戦場へ向かわせることなどできない」
「行かせてよ…通して!」
「主さん駄目だって!落ち着けってば!」

 少女―霞月は二振に阻まれつつも、その腕の向こうにある門へ向かって手を伸ばした。愛染の声は聞こえていないようで、何とか二振を振り解こうと足掻く。

「歌仙…歌仙!!」
「主!君には君の、俺達には俺達の役割と言うものがある!」
「だってこのままじゃ歌仙は…こうしている間にも助けを待っているかも知れないじゃない!」
「だから落ち着けって!歌仙さんはオレたちが連れて帰るから!」
「失いたくないよ…もう誰も…何も!帰ってきて!敵わないなら、私がー!」

 手荒なことはしたくないが、このままでは埒が明かない。二振がそう思い始めた頃、視界の端で影が動いた。そして〝申し訳ありません〟と囁く声が聞こえた直後、霞月が力なく蜂須賀に倒れてきた。
 その霞月の後ろ―愛染と蜂須賀に相対する形で、前田が手刀を構えて立っていた。

「前田、お前どうして…休んでたんじゃなかったか?」
「執務室の方から騒ぎが聞こえたので、手入れを急いでもらったんです。幸いにも終わる間際でしたし。間に合って良かったです」
「ああ助かった。が、まさかお前が主に攻撃するとはな」
「…主君には、生きていてほしいですから。怒られることぐらい、覚悟の上です」

 歌仙に次いで霞月が技を揮ったのが前田であると、二振は聞いている。その忠誠と、内に秘めるものは言わずもがな。霞月を喪わない為の一撃を、責められる筈がない。
 その後は気を失った霞月を蜂須賀が抱え、愛染が鞘と外套を持ち、二振に並ぶようにして前田が歩いた。星と蛍と灯籠が照らす中を、まっすぐに。
 蜂須賀の腕の中で、霞月は穏やかな呼吸を繰り返していた。その度に面が僅かに上下するが、額部分の両端から伸びる紐を後頭部で結んで固定しているのか、ズレはしない。それを見た愛染が面に手を伸ばす。

「愛染、主君の面は取らない方がいいですよ」
「何でだ?このままじゃ息しづらいだろ?」
「そんなことはないんだそうです。以前僕も気になったので訊いてみたのですが、面を着けていても視界良好、呼吸がしづらいなどということもなく、素顔で過ごすのと何ら変わりないそうです」
「へー、すっげぇな!」
「食事の時だけちょっと厄介、と言って笑っていました。そうそう、その時に〝許可なく面を取ったら怒るからね〟とも言っていましたね。同じように笑顔で」
「それ絶対恐い方の笑顔だろ」
「そういうことなので、主君の面は取らない方がいいですよ」
「主が望まないことを、俺達がする筈もないな。なぁ愛染?」
「うぅ、わーかったよ!主さんの顔、気になるけど取らねぇ!いつか歌仙さんみたいに素顔で接してもらえるように……」
「愛染?どうした」
「……歌仙さん、帰ってくるよな?」

 それは、皆が胸にしまっていた疑問。言えば不安が形になってしまいそうで、思っていても言えなかった。
 素直で真っ直ぐな愛染だからこそ口にできたのだろう。

「当然です、帰ってきますよ。と言うよりも、そもそも愛染が言っていたじゃありませんか」
「オレが?」
「オレたちが連れて帰るから、と。主君に嘘をついてはいけませんよ」
「そう…だったな。うん」
「僕も、〝オレたち〟の中の一振ですからね。―あの時、僕たちを逃がす為とは言え、歌仙さんを一振にさせてしまった不甲斐無さを、無力さを、僕は…」

 そこまで言って、前田は言葉を切った。その握り締めた拳は固く、先を見据える光は強く。背に気迫を負って、進める歩みは迷うことなく、前へ。

「必ず、皆で帰りますよ、愛染」
「おう!」

 短刀二振が気力に満ちていく様を、蜂須賀は静かに見守っていた。これは戦、必ず望んだ結果が手に入るわけではないことは、二振にも解っているだろう。であれば、今そのやる気に水を差すようなことを言うべきではないのかも知れない。
 それでも、これも一つの、必要な〝覚悟〟だからと、そう思って。

「―皆で帰ることが敵わなかった時の心構えも、忘れるなよ」
「蜂須賀さん…」

 あえて冷たく言い放てば、案の定二振は驚きに目を見開いた。が、直後に二振は笑い、その様子に蜂須賀の方が目を丸くした。笑顔で、二振は自分たちの〝覚悟〟を告げる。

「だいじょーぶだぜ蜂須賀さん!そんな未来、オレたちは持って帰らない!」
「はい。僕たちは、必ず皆で帰城します」
「だから…」
「それに蜂須賀さん、恨まれ役なんて似合わねぇよ」
「なに?」
「蜂須賀さん、僕たちは考えていないわけではありません。歌仙さんが破壊されていたらと、その報告を受ける主君の悲しみを、そうなる可能性を想像していないわけではないんです」
「でもそれを今考えてたって仕方ないからな!そんなこと考えるより、今は歌仙さん捜す方が重要!だろ⁉」
「二振共…」

 口にせずとも、解っている。主が望まない未来が存在する可能性を。でもその覚悟が必要なのは今じゃない。今、必要なのは―
 それとは逆の可能性を、歌仙兼定を連れて帰ること。
 二振にそう言われ、蜂須賀は自嘲した。そして、頼もしい短刀だと小さく呟くと二振に指示を飛ばした。沈みかけた空気を自分で振り払うように。

「愛染、今後の遠征部隊を組むから、動ける者は執務室に集まるよう皆に伝えてきてくれ」
「おう!」
「前田、手入れ部屋は空いているか?」
「そろそろ空く頃です。床の準備ですか?」
「ああ。歌仙以外、主の私室に入れないからな。目覚めるまで執務室に寝かせておくわけにもいかないだろう」
「解りました、調えて参ります」

 疾駆する二振を見送って、蜂須賀は空を仰いだ。
 藍色の中にちりばめられた白が細かな光を地上に落としている。視線を戻せば周りは蛍が緩やかに飛んでいて、池には空の光の粒と地上の光の玉とが映し出されていた。城までの道は足元が見える程度に灯籠で照らされ、ぼんやりとした闇はどこか眠気を誘う。
 風は夜気に冷やされ、髪を靡かせ戦いでいった。遅れて木々がさざめき、鳴いていた虫や蛙の声が一瞬止む。そして風が遠くなれば、再び鳴き出す。
 夏の夜の中を歩きながら思う。今日のような夜は、歌仙の方が好きそうだなと。風流を好むのであれば猶更、帰ってこなければ損だろうと。
 腕の中で目を覚ます気配のない主は人の姿をしていても軽い。面をしてはいるが、聞いていた年齢よりも幼く見える。
 彼女と出会って未だ一ヶ月にも満たないが、その人となりは大凡理解できていたつもりだった。だが今日のことがなければ、彼女が自分の裡に思いを抱え込む性質だとは思わなかっただろう。だからこそ思う。
 彼女が喪失を経験するのは早過ぎる。
 主として、戦端を預かる者として、何れ選択をしなければならない時が来る。その時何かを失ったとしても、彼女は自分の選択を自分で負えるだろう。だが今回のような出来事で何かを、誰かを失うのはきっと耐えられない。自責し、ゆっくりと裡から壊れていくだろう。失うことに慣れる日など来ないかも知れない。だとしても、その時までは俺達が支えてやるべきだ。失わない戦など無いのだから。
 それに、と蜂須賀は呟いた。未だ何処を彷徨っているとも知れない歌仙へ向けて。
 主と言えど女の子を泣かせるような奴に雅を語る資格はないよ、と。


 「―…ん」

 夕日に染まった部屋の中で霞月は目を覚ました。見慣れない天井をぼんやりと見上げて、ここはどこだろうと考える。
 上体を起こしてゆるく見回すと、医療器具が部屋の隅に置かれているのが見えた。一人で眠るには少し広い部屋、見憶えのある布団、医療器具。暫し黙考し、ここは手入れ部屋だと確信する。天井に憶えがないのは、この部屋で見上げるという行為をしたことがないからだ。
 それにしても何故自分はここで寝ているのだろう、眠る前は何をしていたのか――と思い返す内、絶望的な記憶が奥底から蘇ってきた。血塗れの裂かれた外套、傷付いた鞘、門前での諍い。途切れた意識。
 歌仙は、あれからどのくらい経った、何で私はこんなところで寝ている!
 霞月がふらつく頭を押さえながら立ち上がろうとすると、襖が開き、諫める声が降ってきた。

「目が覚めたんだね主。でも無理をするのは感心しないな」

 彼はそのまま布団の傍に膝をつくと、持ってきた湯呑に薬湯を注いだ。爽やかな香りが蒸気と共に立ち上る。
 一方霞月は働かない頭で目の前の人物を見つめつつ、されるがままに座らされ、額に手を当てられ、差し出された薬湯を受け取っていた。そして薬湯の香りでぎこちなく回りだした頭で、蒸気の向こうの彼の名を呼んだ。

「――歌仙?」
「何だい?ああそれ、温かい内に飲まないと薬効が薄れ―」
「っ」

 霞月は歌仙の手を掴み、勢いよく引き寄せた。バランスを崩した歌仙はそのまま霞月に倒れこみそうになり、掴まれていない方の手を布団の上につくことでそれを防いだ。が、それ以上は動けなかった。
 その胸の上で、存在を確かめるようにしっかりと抱きしめられていたから。

「あ、主、何を」
「…歌仙」
「何だい」
「ああ歌仙だ…夢じゃない…!」
「主…」
「おかえりなさい、歌仙。おかえり…!」

 ぎゅう、とより強く頭を抱えこまれ多少息がしづらくなったが、それでもその抱擁から逃れることはしなかった。代わりに、解放された手で彼女の背中をぽんぽんと撫でる。

「ただいま、主。戻るのが遅くなってすまなかったね」
「本当だよ、遅い…。心配したんだから、失ってしまったのかと思ったんだから…!」
「すまなかった」
「でも良かった…歌仙」

 暮れ泥んでいた空が次第に星を現し、部屋の中も徐々に暗くなっていく。それにも構わず、霞月は歌仙を抱きしめていた。面の下でその特徴的な藤色の髪がふわりと揺れるのを感じながら、静かに涙を流していた。
 廊下から足音が近付いているのも気にしないまま。

「歌仙さん、主君の様子は如何でしょうか?未だ目覚―」
「……」
「……」
「………」

 薄暗い部屋。布団の上。抱き合うふたり。誤解しない方が難しいこの状況に、前田は―

「失礼致しました」

 と、上品な笑みを浮かべて去っていった。

「前田!待ってくれ君は誤解をしている‼」
「っふふ」
「主笑っている場合じゃないだろう!離してくれ、前田の誤解を解かないと…」
「誤解なんて、生きていればいつでも解けるよ」

 最後に落とされた声は小さく。それでももう一度だけ歌仙を抱きしめると、霞月は歌仙を解放した。

「主…」
「前田くんのところに行く前に一つだけ教えて。どうやって帰ってこれたの?」
「遠征部隊が助けてくれたんだ」

 遡行軍の猛追を躱す為、橋の下で凍れる川に身を浸しつつ隠れていたところを愛染が見付けたのだと云う。途中現れた遡行軍は前田の指揮の元、短刀と脇差の数名で打ち破り帰城を果たした。

「帰城後は当然ここに直行だったよ、半日前まで僕もそこに寝かされていたんだ。それにしても、まさか主の隣で眠る日が来ようとは思わなかったな」
「はんにちまえ…って私どれだけ寝て…」
「この話で衝撃を受けるのはそこなんだね、主。――そうだね、二日くらいじゃないかな?僕が戻ってきたのが昨日の早朝だからね。ああそうだ、前田が君に謝りたいと言っていたよ」
「前田くんが?何だろう」
「呼んでこようか、僕も彼に用事があるからね」
「それならみんなを呼んでもらっていいかな、言いたいことがあるんだ」
「解った。少し待っていてくれ」

 歌仙は傍にあった行燈に火を灯すと霞月に寝ているよう促した。
 部屋を去ろうとするその背に、霞月が呼び掛ける。

「歌仙。……ありがとう、帰ってきてくれて」
「君は僕の主で、僕は君の初期刀だからね。君がいるところに僕はいるよ」
「ありがとう、かせん」

 照れたように笑う霞月に笑みを返し、歌仙は前田のところへと向かった。
 その遠ざかる足音を聞きながら、霞月はもう一度ありがとうと心の中で呟いた。
 今度は、みんなに。自分が眠っている間も必死に動いてくれたみんなを慰労しよう。謝罪と感謝を伝えよう。そのあとはおいしいご飯を食べながら――
 行燈の灯に微睡む薄闇の中、霞月は皆がいることの幸せを噛みしめ、目を閉じた。

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