観察
しとしとと、雨が降る。
春に柔らかな芽を出し、これから陽を浴び成長していく木々にとって、恵みの雨。
夏の厳しい陽射しに負けないよう、秋に実りを付けられるよう、作物にとっては潤いの雨。
でもそれは、人間には少し厄介でもあるようで…。
この地に生きる者たちは、朝から忙しなく動いていた。
「智則大変だ!冬師殿が雨漏りしてる!!」
書物や巻物などが大量に置かれた部屋に駆け込んできたのは、…確か隠岐秋房(おきのあきふさ)殿と言ったか。
短く切り揃えられた濃い茶の髪が、本人の慌てようを表すかのようにあちこち跳ねている。
この季封と呼ばれる地で、兵達を取り纏める役職に就いているらしい。
細身ながらも鍛え上げられていることが身のこなしから判る。
「打ち上げられたお前の木刀が天井に刺さった、とかじゃないのか。」
「それで壊れる程度の天井じゃないってことぐらい知ってるだろ!」
「冗談だ。…それにしても冬師殿もか。」
頭が痛むのか、一つ溜息を吐きながら額に手を遣る彼は、言蔵智則(ことくらのとものり)殿。
吊り気味の眦(まなじり)からは、利発そうな印象を受ける。
秋房殿が武を担うなら、智則殿は政を担う。一見正反対の二人だが、幼馴染であり親友でもある彼らの息はぴったりだ。
互いに気の置けぬ仲、間に流れる空気からは遠慮など感じられない。
確かこの二人と、あともう一人が幼馴染である筈だが、そのもう一人――彼女はここにはいないようだ。
「冬師殿、も?ってことは他にもどこか雨漏りしてるところがあるのか?」
「ああ。厩と倉庫、あと書庫でな。」
「多いな…」
「この長雨の所為だな、さすがに一週間も続くのは異常だ。これ以上降られると作物に被害が出る。」
「作物も心配だが、書庫の雨漏りはやばいだろ、空疎が。」
「書庫の雨漏りを最初に発見したのが空疎殿だったからな、さっき叱られたよ…。だが書庫の方はもう直したから問題ない。」
「そうか…。しかし、まさか季封宮が雨漏りするとはなぁ…」
「早く止んでほしいものだが、その気配が一向にないな。まぁ勢いが強くないのがせめてもの救いか。」
しとしとと降り続く雨。
空は見渡す限りに灰色の雲を広げ、確かに晴れる様子を見せない。
人々は不安気に空を見上げては、空と同じように顔を曇らせ屋内へ引っ込んでいく。
倉庫を覗くと、逞しい胸元を大胆に晒したカミが雨漏りを直していた。
近くには板を何枚か抱えた人もいる。
「…よーし、こんなもんでどうだ。」
「ありがとうございます胡土前(こどのまえ)殿!助かりました!」
「いいっていいって、こんぐらいならお安い御用だ。なんなら遣り方教えてやろうか?」
「おお、是非お願いいたします!」
「じゃあ次の現場で教えてやるよ。覚えたら他の奴にも教えてやるといい。」
「はい!」
陰鬱とした雰囲気を纏う人々が多い中、このカミの周りは明るい。
大人の余裕、というものが成せる技だろうか…。胡土前殿というようだ。
胡土前殿たちは笑いながら倉庫を出ていく。恐らく次は厩へ向かうのだろう。
厩…動物好きの彼女は、厩にいるのかも知れない。
私も胡土前殿に憑いて行こう。
湿気と少しの熱気、それと馬の濃い臭い、藁の臭い。辿り着いた厩の中はそれらが混じり合い、籠り、長居したいとは言えない空気だった。
「すげえ湿気だな…」
「た、大変です胡土前殿!!雨漏りの規模が大きくなって一部水浸しに…!」
「うわっ、こりゃひでえ。」
この雨に屋根が耐えられなかったのか、それとも長年の傷みが限界に達したのか、厩の最奥、少し天井が低くなっているその場所からは絶えず水が流れ落ちていた。
不幸中の幸いと言うべきか、その馬房は今は使われていないようで、馬はいない。
「応急処置はできるが、なるべく早めに直さねえと屋根全体が腐るな。」
「雨はいつ上がるのでしょう…」
「さあなあ。鴉の野郎に“雨雲吹き飛ばせねえのか”って言ったら、“ふざけるな”って一蹴されちまったしな。何でも一面ずっと雨雲に覆われてて、吹き飛ばそうとしてもキリが無いらしい。」
「空疎(くうそ)殿でもどうにもできませんか…」
「まあそう落ち込むな。止まねえ雨は無ぇし、今は古嗣(ふるつぐ)がいつ止むのか占ってる頃だろうしよ。」
「明日にでも止んでくれればいいのですが。」
そんなことを喋りながら、彼らは屋根に上り、雨漏りを修繕していく。
胡土前殿は応急処置、と言っていたがそれは見事な手際で、鍛えられた大きな身体に反しその手付きは繊細だった。胡土前殿に教わる宮の人間も飲み込みが早く、技術を瞬く間に習得していく。
恐らく、胡土前殿は人にものを教えるのがうまいのだろう。
カミと人のふれあい。
良いものが見れたなと、少し微笑ましく思いながら厩の中を探す…が、彼女は見付からない。
気を取り直して再び宮へ向かう。人の多いところにいれば、何か情報が掴めるかも知れない。
「空疎、君の方はどんな結果になった?」
通り過ぎようとした部屋の中から知っている名前が聞こえてきて、足を止める。“空疎”とは、先程胡土前殿と一緒にいた人間が言っていた名前ではなかったか?
そっと部屋の中を窺うと、真っ黒な装束と近寄り難い雰囲気を纏ったカミと、その反対に鮮やかな紫の衣と華やかな印象を纏う人間がいた。
カミの方は不機嫌そうに腕を組み眉を寄せ、対する人間の方は目は真剣そのものだけれど口元に笑みを絶やさない。
「晴れることのない雨…加えて何か危険が迫っている、と出た。」
「僕の方も似たようなものだ。外れていて欲しい、と思ったけど二人して結果が同じだと不安になるね。」
「ふん、貴様程度の術者が我と同じ結果を出すとはな。」
「迫る危険…お姫様に関係無いことだといいけど。」
「玉依姫に迫る前に我が打ち払ってくれる。」
「抜け駆けは許さないよ、空疎。僕だってお姫様を守りたいんだから。」
一方は見ているこちらが震えそうな眼光を発し、一方は穏やかな笑みを崩さない…。
こわい。何だかこの二人こわい。二人の間に火花が見えそう。
今までの話を統合すると、不機嫌そうなのが空疎殿、終始にこやかなのが古嗣殿、ということだろう。
お姫様、というのは当然玉依姫のことだろう。空疎殿もそう言っているし。
彼らも玉依姫の側仕えなのだろうか?
こわいけどもう少し話を聞きたいなと思っていると、廊下の奥から誰かがやってきた。
「玉依姫に危険が迫っていると言うのは本当か!」
私が姿を確認するより速く、その者は部屋の中に滑り込む。
勢いよく現れた闖入者を、二人は驚きと呆れが混ざったような表情で迎えた。
「貴様…どこから湧いて出た。」
「幻灯火、君いったいどんな耳してるんだい…」
「耳は良い方だ。」
「いや、そういうことを聞きたいんじゃなくてね。」
「ちまき片手に言うことでもなかろうよ。」
ちまき片手に現れた闖入者は幻灯火殿というらしい、どうやら彼もカミであるようだ。
幻灯火殿はちまきを咀嚼しつつも玉依姫に迫る危機が気になるようで、部屋の中をぐるぐると歩き回る。
そしてどこから取り出したのか、二個目のちまきを食べ始める。
「ふぁふぁおいひえにへまういえん…まふぁふぁひょうえいふぁ…?!」
「食べながら喋るでない!汚いだろうが!!それに朝廷は季封に不可侵を約束した、そうすぐには掌を反すまい。」
「えはふぁふぁりょりょにへまういえんふぉあ、いっふぁいふぉういうおおあんふぁ。」
「幻灯火まずは落ち着いて座って、食べながら話すのは行儀も礼儀も良くない。」
「どういうことも何も、そもそも我らは玉依姫に危険が迫っているとは一言も言っていない。」
「…空疎は何で通じてるんだい?」
それは私も思う。空疎殿は何故幻灯火殿の言っていることが解るのだろう…
カミ同士、通じるものがあるのか。それなら私にも理解できて良い筈なのだけれど。
幻灯火殿はちまきを食べ終えたようで、今は落ち着いて座っている。
こうして見ると、儚げな雰囲気に輝く銀髪、優しさを湛える金の瞳と、永の時を生きるカミを感じさせる風貌であるのに、落ち着きをなくすとああも変わってしまうものなのか。
「玉依姫に危険が迫っているのではなかったのか?」
「危険が迫っているようだ、とは言ったが玉依姫に迫っているとは言っていない。」
「というより僕たちは元々、この雨がいつ止むのか占ってただけだからね。そうしたら雨は暫く止まないししかも何か危険が迫ってる、って結果が出たのさ。」
「玉依姫が危ないではないか!」
「ええい落ち着け!座れ!話が進まぬであろう!!」
「でもこの危険って何のことだろうね?」
「うむ、それについては我も占ってみたのだが…どうも判然とせぬ。」
「空疎の占いでも判らないのか…困ったね。」
「占う為の要素が欠けているのか、それとも空疎を上回る何者かの力が及ぼうとしているのか…」
「聞き捨てならんな、我を上回る者などそうそういる訳なかろう。」
「そうか?少なくとも私はお前より弱くはないぞ。」
「ちまき狂いの狐が…我が風に切り裂かれるが良い!!」
「二人とも落ち着いて、そんなことしたらお姫様が悲しむだろう?」
「空疎、休戦だ。」
「仕方あるまい、応じてやる。」
……何だか、喧嘩っ早いカミが増えたなぁ。でも喧嘩の種が玉依姫ということは、それだけ姫が愛されているということなんだろう。
以前の玉依姫の周りには、秋房殿と智則殿しかいなかった。儚く寂しげに笑い、どこか人を遠ざける雰囲気を持っていた玉依姫。それが今やこんなに賑やかだ。
何故か私自身、少し嬉しく思う。
「空疎、古嗣、先程から何か視線を感じるのは私の気の所為だろうか。」
「やはり幻灯火も気になるかい?殺気は感じないから放っておいたのだけど…」
ああしまった、察知されてしまった。見付かる前に去らないと。
私がその場を去った直後、突風が部屋へ向かって吹き込んだ。あと一瞬でも離れるのが遅れていたらあの風に絡めとられていただろう。
風……あの風を扱ったのは空疎殿だろうか。それならば彼に尋ねれば彼女の行方も掴めるかも知れない。
でも彼はこわい。鋭い眼光に他者を下す高圧的な態度、私など相手にもされないだろう。
でももしあと数日探しても見付からなければ、彼に訊いてみるとしよう。
しとしとと、雨が降り続く。
気吹(いぶき)姫、いったいどこへ行ってしまったのですか。
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