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似て非なる10・7と9・11――奇襲攻撃を許した指導者をどう見るかで分かれる世論

イスラム組織ハマスとイスラエルとの間で激しい武力の応酬が続いています。増え続ける住民の犠牲、悪化する人道問題、断ち切れない憎悪の連鎖……。テレビやSNSに映し出される惨禍の光景は痛ましく、思わず目を覆いたくなります。
 
パレスチナ自治区ガザを実効支配するハマスが、10月7日にイスラエルに仕掛けた大規模テロ攻撃(10・7)から一カ月。イスラエル側の死者は、1400人以上。最悪の数字です。ネタニエフ首相は、「10倍返し」とばかりに徹底した空爆などで報復、ガザ側でも1万人以上が亡くなりました。こちらも異例の規模です。
 
イスラエル地上軍は、ガザ市を包囲して侵攻を続けています。市街戦が本格化すれば、さらなる犠牲は目に見えています。
 

ガザ空爆を開始してから約一週間で計6000発の爆弾を投下(イスラエル空軍のXより)


9・11のアナロジー
 
こうしたなか、ハマスの奇襲攻撃を「9・11」になぞらえる発言がイスラエルやアメリカで相次いでいます。あれは、イスラエルにとっての9・11だ、というのです。

メモ 9・11(米同時多発テロ) 2001年9月11日、イスラム過激派アルカイダの実行犯グループによってハイジャックされた旅客機4機が、ほぼ同時にニューヨークの世界貿易センタービルと首都ワシントンの国防総省などに突っ込んだ自爆テロ。日本人24人を含む約3000人が犠牲になった奇襲攻撃は、アメリカの「安全神話」を崩し、世界中に衝撃を与えた。

イスラエルもアメリカも世界最高水準の軍・情報機関を擁しながら、非国家の武装テロ勢力による奇襲を事前に探知できず、前代未聞の犠牲を出しました。ネタニエフ首相によれば、その数は、アメリカとの人口比を勘案すると「9・11の20回分」に匹敵します。
 
9・11がアメリカ国民に与えた衝撃は計り知れません。あのとき、わたしは、新聞社のワシントン特派員として、アメリカ国民の恐怖、痛み、苦しみ、怒りを目のあたりにしました。

9/11翌日の各紙朝刊一面


 
だから、9・11のアナロジー(類比)は理解できます。あれだけ凄い不意打ちをくらえば、だれでも人間の「原始的な感情」が引き起こされると思います。込み上がる怒りと復讐心に任せて激しい報復に突き進めば、対テロ戦の泥沼から抜け出せなくなる――。アメリカと同じ間違いを犯すな、というバイデン大統領の警鐘もその通りだと思います。
 
しかし、10・7と9・11は、実は、似て非なるものです。
 
奇襲テロ攻撃を許してしまった指導者の責任を国民はどう捉えているのか? 両国の世論に着目すると、今回の10・7と9・11は、好対照をなしているように見えます。
 
イスラエルの地元紙によれば、国民の8割以上がネタニエフ首相に責任があると見ています。別の調査では、彼の支持率は急落し、「戦争が終わった時点で辞任すべき」も過半数に達しています。政権の失態を批判する声は日増しに強くなり、情報機関の長や国防相は「情報分析にミスがあった」などと責任を認め、謝罪し始めました。
 
一方、9・11当時の(子)ブッシュ米大統領の場合、支持率は9・11を境に51%から90%に急上昇。その直後に限れば、大統領の資質を問題視する声は聞かれませんでした。むしろ、ブッシュ氏の指導力を肯定的に捉えていたようです。ピュー・リサーチ・センターの調査でも、テロ対策で「政府はよくやっている」が88%と出ました。
 
2人とも前代未聞のテロ攻撃を許すドジを踏んだ。その責任はとても重い!国民の安全を守ることが首相や大統領の最も基本的な責務だからです。それは、民主主義の存立条件とも言えます。国民が不安に駆られ、恐怖で震えている限り、個人の自由を開花させることはできません。
 
それなのに、なぜ、イスラエルと9・11当時のアメリカでは、指導者に向ける国民の眼差しが逆方向なのか? その理由と背景を探ってみました。


兵士の犠牲を伴う地上戦で強まる国民の不安
 
まず、今回は、人質を捕られた衝撃が大きい。9・11のケースとは異なる点です。
 
前例のない230人以上が拉致され、人質としてガザ地区側に連れ去られました。ネタニエフ首相が掲げる二つの政治目標――イスラエル軍の激しいガザ空爆+地上軍侵攻による「ハマスの根絶」と「人質の解放優先」ーの両立は難しいです。無事を祈る家族や親族のネタニエフ批判が激しさを増すのは当然の成り行きだと思います。
 
その批判を増幅しているのが、9・11当時にはなかったSNSです。逃げまとう女性の髪を引っ張って車やゴルフカートに押し込んだり、銃片手に若い男性を引きずり回したりする動画がSNSに大量に拡散。残された者は生きた心地がしないでしょう。
 
第2に、いまイスラエルが直面しているハマスの脅威は、9・11直後にアメリカが立ち向かったアルカイダの脅威より深刻で危険だ、という点が挙げられます。
 
アメリカ国民のほとんどが9・11までアルカイダの存在を知らなかったが、ハマスの設立は1987年。長年、イスラエルの存在を否定し、武力で崩壊をめざすテロ組織として国民に恐れられてきました。ハマスの意図と能力を見せつけた10・7は、国民の多くにホロコーストの記憶を呼び起こしたのではないでしょうか。
 
しかし、ネタニエフ首相は、9・11直後のブッシュ大統領のように、軍事作戦で国民の不安を和らげることに成功しているとは言い難いです。当時のアメリカの軍事作戦は、アルカイダをかくまうアフガニスタンのタリバーン政権の転覆を目標に掲げていました。作戦はトントン拍子に進み、わずか2カ月で政権は崩壊し、後ろ盾を失ったアルカイダは東部の山岳地帯への敗走に追い込まれました(それからが大変でしたが!)。
 
この間に限れば、米軍の投入は限定的で、大規模な地上軍の展開には至りませんでした。そもそも、タリバーンとアルカイダは一枚岩の関係ではなかったし、「代理戦争」の形をとったことも無視できません。米軍は、地元の反タリバーン勢力「北部同盟」を活用し、その蜂起・進軍を小規模の特殊部隊と空爆で支援しただけです(それに「実弾」=現金も)。
 
今回、イスラエルがガザ地区で本格的な地上作戦を始めれば、数万人規模の地上軍の投入が必要になるでしょう。イスラエルには北部同盟のように、ハマス壊滅を武力で支援してくれる代理勢力は存在しない。自分たちより地形に詳しい敵、仕掛け爆弾、自爆……。民間人の死傷とともに、イスラエル兵のかなりの犠牲も避けられない。今後もネタニエフ批判が収まる気配は見えません。
 
異なるテロ対策のルール――戦争と法執行
 
もう少し鳥の目で見てみましょう。
 
ネタニエフ首相もブッシュ大統領も奇襲攻撃直後に相手に宣戦布告をしましたが、ブッシュ氏の宣言は、良くも悪くも画期的と受けとめられています。9・11以前のアメリカでは、テロ対策のルールとして「法執行アプローチ」が当然視されていたからです。
 
FBIや検察など司法当局が中心になってテロ容疑者を逮捕・起訴し、有罪判決に持ち込むことにしのぎを削っていました。裁判で立件するため、証言を引き出し、証拠を固めることに日々追われていたのです。
 
米軍司令官からCIA職員、政府の役人、議員、市井の人びとに至るまで「テロは犯罪」と思い込んでいました。その意識は強烈で、テロリストの殺害を想像することすらできませんでした。
 
このため、9・11でテロ集団が国家並みの暴力を放ったことにみなが驚愕したが、法執行ルールに縛られていたブッシュ政権への批判は巻き起こりませんでした。
 
かたや、ネタニエフ首相の場合、宣戦布告は、多くの国民にとって当たり前過ぎて、ほとんど注目されませんでした。イスラエルのテロ対策の重心は、9・11当時からすでに「戦争アプローチ」に激しく傾いていたからです。
 
戦争であれば、自衛権の行使だから、ハマスの殺害をためらう必要はない。民間人の犠牲が過度でない限り、敵を見つけ次第射殺してもかまわない。ハマス幹部らを狙う標的殺害は、いまも軍や治安当局の十八番です。ちなみに、イスラエル最高裁は2002年に対テロ標的殺害は合法である、という見解を示しています。

戦争ルールでハマスとずっと闘い続けてきたネタニエフ首相は、対テロ戦の戦略・戦術を熟知しているプロ中のプロのはずだ、と誰もが思っていたに違いない。この文脈のなかでの「インテリジェンスの失敗」は、単なる不注意ではなく、もはや怠慢でしかない。そんな憤まんが国民のネタニエフ批判の根底にあるのではないでしょうか。
 

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