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秋、ポーランド、シナゴーグ【クラクフひとり旅】
人の声だけが響く石畳の街。
中世からの風景をそのまま残すような旧市街。しかしその静けさの中に、様々な時代の記憶が重なり合っています。
2024年10月29〜31日。ポーランドの古都、クラクフを訪れました。
これからも旅に行く予定はそこそこあるので、気が向いたタイミングで振り返ってみようかなと思います。歴史をやっている人間として、少しばかり歴史を紐解きながら。
なお、写真は原則として筆者撮影。それ以外の画像はクリックすると出典サイトに飛びます。
秋のクラクフ旧市街
クラクフはポーランド南部に位置する古都です。14世紀から16世紀にかけてポーランド王国の首都として栄えました。
世界遺産に登録される旧市街には、ヨーロッパ最大級の中世広場があり、歴史的建造物が数多く残されています。人口80万人ほどの街は、年間1000万人以上の観光客が訪れる人気の観光地となっています。
まず感じたのは、その静けさ。
そこには、人の声しかありませんでした。
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旧市街は都市の中心ではあるのですが、私のイメージしていた都会の喧噪がない。エンジン音も、電車の走る音も、工事の音も。まるで時が止まったかのように、中世からの風景をそのまま残すように。客引きの数はえげつなかったけど。
飲み屋街から少し歩くと、石畳を踏む足音と、行き交う人々お話し声だけが、肌寒い秋の空気をそっと震わせています。
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中央広場を囲うレストランにはテラス席が多く設置されていました。白い息を吐きながら談笑している人の多さに驚きます。テラス席の横では、若いミュージシャンがおしゃれに弾き語りをしていました。
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何かを主張したいというよりは、彼らの存在を無視することはできなかった。
少し路地裏に向かうと、いっそう静かになる。空気が冷たくなったようにも感じる。石畳を歩く足音は自分が独占している。
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乾いた足音が、歴史を感じさせてくれる。
ちなみにこのすぐ近くにあるヤギェウォ大学(クラクフ大学)では、コペルニクスが学んだとされています。そんな歴史ある大学のeduroamが繋がったときの感動はひとしおでした。
ヴァヴェル城:栄光と苦難のポーランド史
朝イチで、ヴァヴェル城に向かいます。
中央広場から南へ15分ほど歩くと、モロに中世を感じさせる城が見えてきました。10世紀から歴代のポーランド国王が居城としたこの場所は、今では博物館として一般公開されています。
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中には、絵画、王室の装飾、歴史的資料などが豊富に展示されています。
簡単に、ポーランドの歴史と共に展示を見てみましょう。
複雑な歴史を単純化しまくっているのですが、悪しからず。
ポーランドは10世紀ごろに国家として成立し、ヴァヴェル城はその象徴として築かれました。リトアニアと合同した14世紀から16世紀にかけての「黄金時代」には、ポーランドはヨーロッパ最大級の国家となります。この時代、クラクフは首都として栄え、このヴァヴェル城で歴代の王たちが政治を行いました。
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下の図解を見るとわかりやすいですが、かなりでかいです。
あえて話をややこしくしますが、以下の図は「リトアニア」視点のものです。
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ちなみに、今の地図はこんな感じ。比べるとその大きさがわかります。
また、ウクライナのかなり多くの部分は、一時期ポーランド=リトアニアの下にありました。これもまた、ウクライナの歴史を複雑にしている要素です。
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16世紀後半からは、「選挙王政」という歴史上特異な制度も始まります。
世襲ではなく、貴族たちの投票で新しい王を選ぶというものです。
これについては、もう少し私自身も調べてみたいなと思っています。
絵画をはじめとして、選挙王政については厚い展示があったので、ポーランド史で重要なものとして捉えられているのが窺えました。
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そんなポーランド=リトアニアは、17世紀には、ヨーロッパへ拡大してきていたオスマン帝国の侵攻を食い止める重要な役割を果たします。オスマン帝国は、猛烈に語弊がありますが、今のトルコを中心とした帝国です。
というか、ここまできているオスマン帝国がデカすぎます。ヨーロッパ史を中心に学ぶ人々はオスマン帝国についてはあまり目を向けませんが、この頃の力関係は圧倒的にヨーロッパ諸国<オスマン帝国です。
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教科書や資料集に載っているやつで興奮しました。
絵に書かれているように、1683年、ポーランド王ヤン3世ソビエスキの率いるキリスト教連合軍が、オスマン帝国によるウィーン包囲を撃退。
この勝利により彼は「ヨーロッパの救世主」と称えられ、その時の戦利品であるトルコのテントは今もヴァヴェル城に展示されています。
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「救世主」であったポーランドも、近代、18世紀末にはロシア、オーストリア、プロイセン(のちのドイツ)によって分割され、123年もの間、国家としての独立を失ってしまいます。「ポーランド」という国が地図から消えてしまうのです。
第一次世界大戦後の1918年に独立を回復するものの、第二次世界大戦ではナチス・ドイツとソ連の侵攻を受けました。戦後は社会主義体制下に置かれ、1989年の民主化を経て、現在のポーランドに至ります。
ポーランド出身で記憶の研究をしている留学先の先生によると、現代における社会主義の記憶などは、ワルシャワに行くとより感じられるらしいです。そのうち行きます。
もう少し、歩いてみましょう。
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カジミェシュ地区:もう一つのクラクフ
中央広場からさらに南へ15分ほど歩くと、街の雰囲気が変わってきます。
ここはカジミェシュ地区。14世紀、ポーランド王カジミェシュ大王が開いた地区です。
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カジミェシュはかつて、ヨーロッパ有数のユダヤ人居住区でした。当時のポーランド・リトアニアは宗教的な寛容さで知られ、多くのユダヤ人が移り住んできたそうです。
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シナゴーグというのは、ユダヤ教の礼拝堂です。キリスト教で言えば教会に相当します。
礼拝だけでなく学習や集会の場としても使われ、ユダヤ教徒のコミュニティの中心となっていたようです。礼拝の際は、古代エルサレムの神殿があった方角に向かって祈りを捧げます。
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中でも注目すべきは、15世紀に建てられた「オールド・シナゴーグ」です。ポーランド最古のシナゴーグとして知られ、現在は博物館としてユダヤの伝統や文化を伝えています。この通りには、他にも異なる時代に建てられたシナゴーグが並び、かつての賑わいをどことなく感じました。
第二次世界大戦中は、この地区はナチス・ドイツによってユダヤ人ゲットーとされ、多くの人々が強制収容所に移送されました。
その跡も色濃く残っています。
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映画「シンドラーのリスト」(スティーブン・スピルバーグ監督)の舞台となった工場も、この地区のすぐそばにあります。オスカー・シンドラーの工場は現在、博物館として当時の記憶を伝えています。
映画を見ていない人はぜひ一度。
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その後は、飛行機のためにダッシュで空港に向かいました。
カジミェシュ地区ではお昼に「ザピエカンカ」というポーランドのストリートフードを食べました。辛くて唇が剥けそうでした。メニュー選びには気をつけましょう。
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おわりに
旅の記録を書いたことがないのでよくわからなかったんですが、よくわからないなりに記憶を辿ってみました。
クラクフの街を歩いていると、時代の重なりを肌で感じます。その感覚を少しでも共有できていれば嬉しいです。
情報の取捨選択がなかなか難しく、省いたところもあるので、そちらは番外編「裏」として書こうと思っています。
それでは、また次の旅にて。