ロシア留学記⑤ノヴゴロドとカリーニングラード
前々回、前回とサンクトペテルブルクでのお話をしました。
ペテルブルクでの3日間を経て、次の日はノヴゴロドへ、次の週末はカリーニングラードを巡りました。ここでは、その時の思い出をつらつら書いていきます。
ノヴゴロド
時は月曜日の朝。
クラスメイトは教室でロシアの衣服について学んでいるところだろう。彼らの中で私は、帰りの電車を逃して路頭に迷っている可哀想な日本人という認識になっている。
マトリョーシカでいうと下から2番目くらいの罪悪感を抱えながら、私はノヴゴロド行きのバスに乗った。
ノヴゴロドっていうまち
さて、少々ノヴゴロドという街について触れさせていただこう。
ちなみに、ロシアには他に「ニジニ・ノヴゴロド」という大都市がある。これと区別するために、「ヴェーリキー・ノヴゴロド」(大ノヴゴロド)と呼ばれることも多い。
さて、ロシア語で「新しい街」を意味するノヴゴロドという街。
非常にややこしいのでごく単純化すると、9世紀半ばに、ルーシ (※) の起源とされる国家が建設された。リューリクを首領とするヴァイキング(ヴァリャーグ人)が、スラヴ人を支配するという構造のものだ。彼らは同化しながらその後南下し、キエフ・ルーシという統一ルーシの国ができた。
この地域は13世紀にモンゴルの侵攻に遭い、「タタールのくびき」と呼ばれる、200年以上のモンゴル統治時代に入る。その後、モスクワ大公国が自立し、その後のロシア帝国につながるという流れだ。
(参考:和田春樹編『ロシア史 上』(山川出版社、2023年)
(※) ざっくり、「ルーシ」というと民族や文化(ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人の東スラヴ文化)、「ロシア」というと国家を指す。現代ロシア語でも、「ロシア語」「ロシア人」と「ロシア連邦」「ロシア政府」を指す形容詞は異なる。前者はРусский(ルースキー)、後者はРоссийский(ラシースキー)。
ロシアの起源を歩く
そんな歴史的な街ノヴゴロド。
バスから降りると、のどかな雰囲気が広がっている。モスクワやペテルブルクと比べると田舎って感じがしていい雰囲気。お年寄りがベンチにたくさん座っていた。
サクサク進もう。この都市に来た目的は一つ。
クレムリンに行くことだ。
ちなみに、「クレムリン」とは、単純に「城塞」を意味しているため、ロシアには数多くのクレムリンがある。その最も有名なものが、「モスクワのクレムリン」ということだ。
モニュメントを見たり城壁の上を歩いたり、歴史に浸った。「背景知識があると、世界がよりカラフルに見える」なんてポエミーなことを考えながら。
雰囲気ものんびりしていてとても心地よかった。日差しは強いが、日陰にいれば涼しい。
汚い話で恐縮だが、私はいつも通りお腹を壊していた。
しかし、クレムリン内のトイレはしっかり60ルーブルを請求してくる。払ってたまるか。ピンと閃いた私はすぐさま博物館に向かった。チケットカウンターをガン無視して、地下へ向かう。そう、建物内のトイレは無料のことが多い。
ついでに重い荷物も預けて一石二鳥。少しだけ胸が痛む。
おかげさまで、アイスクリームを食べたい欲求を抑えることができた。お財布には優しい。腹痛も悪いことばかりではない。
捨てる神あれば拾う神あり。一神教的世界観とは馴染まないかもしれない。
再び深夜特急
ノヴゴロドから寝台列車に乗って、モスクワへの帰途についた。
2段ベッドの下では、15歳くらいの女の子が電話をしている。
ちょこっと覗いてみると、目に涙を浮かべ、窓の外へ千切れんばかりに手を振っていた。
その視線の先には同年代の子がいる。
「あなたと過ごした日々は一生忘れない!いつかまた会えるってきっと信じてる!ズッ友だよ!」
一言も聞き取れなかったが、たぶんこんな感じの会話をしていたはずだ。
そんな光景を見て胸が暖かくなり、幸せな気持ちで床に就いた。歳をとったなと思う。
明朝、寝起きで脚を下に出していたら、彼女の頭を蹴ってしまった。本気で申し訳なく思っている。
カリーニングラード(旧ケーニヒスベルク)
次の週はカリーニングラードに飛ぶことにした。
旧ソ連が第二次世界大戦後にドイツから獲得し、今は飛び地となっている。
旧名はケーニヒスベルク。かのエマニュエル・カントを輩出した街である。モスクワからは飛行機で3時間弱だ。まあまあ遠い。
憧れの空港泊
この旅のハイライトは、行きの空港だ。
なぜなら、なんとなく一回やってみたかった空港泊をしたからである。
カリーニングラードへの便は早朝かつ、空港までは慣れない道のりだった。飛行機を逃したらシャレにならない。
ロシアに来ているという事実に酔って何でもできる気になっていた私は、迷わず経費削減と体調クラッシュの道を選んだ。
金曜夜、シェレメチェヴォ空港に到着。モスクワには4つの空港があるが、その中で最大のものだ。出入国もここだった。
まずは体を横にできる場所を探しに歩き回る。
歩きながらコンビニで18ルーブルで買った水を飲もうとしたら、開けると同時に暴発した。炭酸水だったらしい。
穏やかな雰囲気なご夫婦の顔に浮かんだ、「驚き:哀れみ:嘲り=1:2:3」くらいの表情は忘れられない。
チェックイン前だとあまり多くのスペースはない。長椅子やいい感じの床があれば最高だが、肘掛けのない椅子でも十分だろう。
と思っていたが、寝る人が溢れないための対策だろうか、そんなものはなかった。肘掛け付きの椅子は腐るほどあるのに。
しょうがないので、恥を捨てて体を折りたたみ、防犯も兼ねてカバンを枕に横になった。
図示するとこんな感じになる。
割とよく眠れた。左を下に1時間、右を下に1時間くらい。
チェックインができる時間になったので、ゲートをくぐる。
中には、背もたれが倒れたタイプの椅子があった。僥倖である。
最終案内で目が覚めて大焦りするくらいには、よく眠ることができた。
ロシアの西端にて
カリーニングラードに到着。
街に出ると、なんとなく東ヨーロッパ感のある路面電車が走っている。
その日は聖堂に行ったり、カントの博物館に行ったりした。
カリーニングラードのホステルはとてもきれいだった。
シャワー室でシャンプーかと思って勝手に使ったものは整髪ジェルだった。髪がガシガシになった。
写真と共に軽く振り返ろう。
さて、いつのまにか5本も書いてしまいました。当初の予定は全部で3.4本なのですが。
次は、「ロシアの中の日本」みたいな話題で書こうかなと思っています。
そのあと、たぶんラストです。