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ロシア留学記②準備期間と入国後のカオス
約1か月の語学留学について書こうと思ったら、ほとんどが愚痴になってしまいました。心優しい気持ちでお読みください。
前提はこちらから。
開始3日前に決まった渡航
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(Государственный институт русского языка имени А. С. Пушкина)
さっそくクラスやロシア語について語りたいところではあるが、それまでの道のりが波瀾万丈だったのでちょっとだけグチらせていただきたい。留学記①を読んですでにこの冗長さに飽き飽きしているマジョリティのあなたには、あまりおすすめしない。
まず、手続きをちゃんとしてくれと声を大にして言いたい。手続き関連は、さながら実らない恋のように、胸を締め付けられるような不安が伴った。これはやや盛っている。
渡航前を簡単にまとめると、1)選考の結果が全然来ない、2)指示に従ってメールをしても返信が来ない、3)ゆえに日程が確定せずビザが発給できないという3つに帰結する。
とはいえ、エージェントの旅行会社さんと、過保護な親もびっくりであろう頻度での電話とメールを経て、なんとかビザを(申請の翌日発給のためかなりいいお値段で)確保し、航空券を購入できた。
高い。時は金なり。ちょっと違う。
とりあえず日本は「大変恐縮ですが」「お世話になっております」の文化を今すぐ消し去ってほしい。
正直、渡航5日前くらいまでは諦めムードだったし、最終的に参加が確定したのは渡航の3日前である。授業を抜け出して電話したり、郵便局に走って入金したりしたのは、今となってはいい思い出だ。
そんなミゼラブルな私を助けてくれた旅行会社さんには、お仕事とはいえめちゃくちゃ感謝している。届け。
モスクワに到着、束の間の安堵
いずれにせよ、アブダビ経由でモスクワには無事着いた。これで万事OKと思いきや、ちゃんと苦しんだ。もう少し、もう少しだけお付き合いいただきたい。一生のお願いだから。
大学には無事着いた。運転してくれたお兄さんは、終始スマホをいじってると思いきや徐に口を開き、「日本の平均月収は?」と突然聞いてきた。
「最初の質問がそれかよ」という言葉を飲み込んだが、別に日本語なら吐いてもよかったかもしれない。
SIMカードを買っていなかったため翻訳を使えず、なんとかがんばって答えたけど、何かを誤解された気がしている。ごめん日本。
いずれにせよ、無事大学には着いた(2回目)。とはいえ、寮の担当からのメールは返ってきてないし、オリエンテーションがあるのかどうかも知らなかった。
ひとまず、リストに名前があることを祈りながら、受付に向かった。書類やらなんやらを渡す。お姉さんの表情を見るに、どうやらちゃんと認知されているようだ。安堵で胸を撫で下ろす。
すると、次の一言。
「PCRの結果を出してください」
おーっとぉ、、? どうやら、陰性証明がないと寮に入れないらしい。そんなことは一言も言われていないぞ、たぶん。
嫌な汗が背中を走る。構内にはWi-FiがあったのでGoogle翻訳を使えばいいのに、我を忘れた私は律儀に辞書を引きながら、恥を捨ててこれからの流れを念入りに確認した。
どうやら、PCRの結果待ちの3日間ほどは隔離部屋に入れてもらえるらしい。とりあえず受けて来てねと、英語が苦手で申し訳なさそうにしているお姉さんを見て、英語というリンガフランカの卓越性を感じた。
胸を弾ませ、いざ旅路へ
こういうわけで、PCR検査が受けられる場所を探す旅が始まった。と言いたいところだが、そもそも私にはお金がない。まずは手持ちのドルをルーブルに替えねば。そのあとSIMカードを買って電波を手にしたらPCRに向かおう。そんな計画を立てた。
ちなみに、経済制裁の影響で、VISAやMasterCardは使えない。送金も困難なため、すべて現金で持ってきた。お金関係は税関関係でかなり揉めたが、その話は割愛する。
生活が落ち着いたあと、現地の銀行で口座を開設してデビットカードを作った。
話を初日に戻そう。Wi-Fiが使えるうちにと、出発前に、両替ができてSIMカードが買えて、なんならPCRが受けられる都合のいい場所を探した。どうやら、駅の近くの大きいショッピングセンターで全部できそうだ。ありがとう大量消費社会。
若干の不安と、ようやくそれから解放されるという淡い期待を抱きながら、道順を覚えて私の夢見るパラダイスへと歩を進める。ちなみに私は、前述のように、記憶なしに歩き始めると文字通り大惨事に陥る程度の方向音痴だ。がんばれおれの海馬。
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高校野球部の練習に何も知らないまま初めて参加したときのような、形容しがたい不安を抱えながらも、なんとか救いの地へたどり着いた。
よし、まずは両替だ。とりあえず入口付近にいた警備員さんに聞いてみる。
「あの、ど、ドルをルーブルに、、替えたいんですけど、ど、どうやったらできるんでございます?」(できるだけ雰囲気に忠実な訳)
すると、恰幅のいい厳格そうなおじさんは、怪訝な顔しながらたぶんこんな感じで答えた。
「両替するなら銀行だ。ここに銀行はない。だからできない。」
「さっさと帰れ」という下の句が付きそうなほどに素っ気ない答えだった。当時の心境による脚色込みで。
もう少し聞きたかったが、当然、私に深掘りする勇気はない。他に当たろう。その後、警備員さんや周りにいるおばちゃん、ロシア版Uberをやってる兄ちゃん、少し外へ繰り出して、散歩しているおじいちゃんや日陰で休んでいるカップル、、、「下手な鉄砲も」メンタルで聞きまくったが、どうにもわからない。ひとえに語学力不足。
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モスクワは地上の横断歩道より地下通路の方が多い。
致命的だったのは、この日が日曜日だったことだ。銀行は基本的に閉まっている。そして少なくともこのすぐ近くにはない。それが羞恥心と引き換えに手にした、なけなしの情報だった。
途方に暮れていても仕方ないので、警備員の若いお兄さんがこっちに行ったらいいと言っていたような気がした方向に歩き出してみる。
投げやりな気持ち、これはこれで楽しんでいる自分、そしてガチの不安がないまぜになった複雑な思いを胸に、銀行探しの旅が始まった。こんなはずじゃなかった。
それっぽいが銀行はなかったり、休日だったりした建物を十数個は覗いただろうか。全然見つからねえ。
高校球児だった過去は見る影もない、運動不足の一般男性(21)の脚は抗議を始める。
もう少し歩いたら違う方向に行ってみようかと思った矢先、極限まで研ぎ澄まされた銀行探知アンテナに、Банк (bank)という看板が引っかかる。
何を思ったか、私は走り出した。暑いのに。
果たして、それは銀行であった。掲示板が光ってる。営業中だ!
暗い、長いトンネルを抜けた先にあったそれは、私には炎天下に輝くかき氷にしか見えなかった。
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だらだら書きすぎたので、さすがにここからは巻いていこう。
なんとか念願のルーブルを手に、来た(とても長い)道を引き返し、店でSIMカードを手に入れた。
よし、ようやくPCRの時間だ。お金と電波を手にした全知全能の私は、スター状態でクッパと対峙する気分でYandex map(ロシアで便利な地図アプリ)を開く。
すると、なんということでしょう。日曜日はお休みじゃありませんか。
ということで、2キロほど先のクリニックまで歩くことになった。努力も虚しくロシア語が通じず受付で失望され、自分は言語で困っている人がいたらできるだけサポートしようと胸に刻みながら、なんとかPCRは受けられた。
ちなみに、鼻詰まりとくしゃみに苦しんでいたので、陽性の疑いはちょっとあった。あったらどうしようかと。結果的には無事陰性でした。
やっとの思いで大学へ
死線をくぐり抜けた私はどや顔で受付に戻り、隔離部屋とはいえ、なんとか住まいを確保した。うれしい。
その日は現地で博士論文を執筆中の方とジョージア料理を食べた。感慨深すぎて泣きそうだった。
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さあ、一夜が明け時は7月31日。プログラムの開始日だ。
その朝、私は大学構内で途方に暮れていた。
何をしたらいいのかさっぱりわからない。
指示がない。指定されたメールからは返信が来ない。誰かに聞くにも、基本的に何を言ってるのかわからない。
勝手に仲良くなったと思っている受付のお姉さんに泣きつくと、留学生用のオフィスを教えてくれた。
行ってみるとびっくり、オフィスには誰もいない。もう開いているはずなのに。メールアドレスがドアに貼ってあったので、ええいままよと急いでメールを送る。DeepLには感謝してもしきれない。この場を借りて感謝申し上げる。I love Germany.
すると、10分でメールが返ってきた。とりあえず20分後にオリエンテーションをやるから来いとのこと。
3割くらいは理解できた気がする説明を経て、プレイスメントテストを受ける。思いの外できた。目の前で採点され、軽く面接をしたら、授業中の教室に連れて行かれた。どうやらここが私のクラスのようだ。
優しそうな先生と、もう2人の生徒。
到着遅れの生徒も到着し、先生と私を含め7人のクラスで、およそ1か月の授業をつけることになった。
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ようやく留学生活本番だが、ここからは何事もなく順調に進んだので、特に書くことはない。
普通に授業(90分×3コマ)を受け、放課後は街に繰り出して楽しんだ。週末はペテルブルクやカリーニングラードまで足を延ばした。
それらについては、他のnoteを参照されたい。あといくつか書く予定です。