
古代オリエント世界①~メソポタミア文明
古代オリエント世界とは
古代オリエント世界とは、現在の中東地域を中心とした、紀元前3000年頃から紀元前400年頃までの期間に栄えた文明の総称です。一般的にはアレクサンドロス大王の東方遠征(330年)までとされています。
古代オリエント世界には、多くの文明が栄えました。代表的なものに、メソポタミア文明、エジプト文明、アッシリア文明、バビロニア文明、フェニキア文明、ヒッタイト文明などがあります。
メソポタミア文明は、ティグリス川とユーフラテス川の流域に栄えた文明で、世界最古の都市国家であるウルク、ウル、ナッシュ市などがありました。彼らは農業や灌漑技術、文字を発明したことで知られています。
エジプト文明は、ナイル川の流域に栄えた文明で、ピラミッドやスフィンクスなどの巨大な建造物や、ヒエログリフ文字の発明で知られています。
アッシリア文明やバビロニア文明は、メソポタミア地域に栄えた国家で、アッシュールやニネヴェ、バビロンなどがありました。彼らは、戦争や征服によって広大な領土を支配し、文化や宗教に影響を与えました。
フェニキア文明は、地中海東岸に栄えた国家で、商業や航海技術に優れ、アルファベット文字を発明しました。
ヒッタイト文明は、小アジア地域に栄えた国家で、鉄器を使いこなし、アナトリアの神々を信仰していました。
古代オリエント世界は、多様な文明が交流しながら発展してきた歴史を持ち、その文化や技術は現代社会にも大きな影響を与えています。
メソポタミア文明とは
メソポタミア文明は、紀元前3000年頃から紀元前500年頃にかけて、現在のイラクのティグリス川とユーフラテス川の流域に栄えた文明です。

メソポタミア文明は、世界で最初に都市国家を形成した文明の一つであり、ウルク、ウル、ラルサ、バビロンなどの都市がありました。また、農業技術や灌漑技術の発達、文字の発明など、数多くの発明や技術革新が行われました。
メソポタミア文明の社会は、王と神官たちが支配し、人々は農業や手工業、商業を営みました。また、異なる都市国家同士の戦争や貿易など、交流も行われました。
メソポタミア文明の最大の遺産は、クルアーンにも記されている世界最古の文学作品「エヌマ・エリシュ」や「ギルガメシュ叙事詩」、また多くの法律文書や財務文書、芸術作品などです。これらの遺物は、現在でも多くの人々に愛され、研究されています。
メソポタミア文明で栄えた都市国家・王朝
メソポタミア文明で栄えた都市国家・王朝は以下の6つに大まかに分類することができます。
サマール王国時代(紀元前4000年頃 - 紀元前2000年頃) サマール王国は、ティグリス川とユーフラテス川の中流域に位置するシュメール人の都市国家で、ウルクやウル、エリドゥなどがありました。この時代には、農業や灌漑技術、文字の発明が行われました。
アッカド帝国時代(紀元前2334年頃 - 紀元前2154年頃) アッカド帝国は、シュメール人の都市国家であったアッカドが建てた帝国で、シュメール文明を統合しました。この時代には、初めての帝国として文明の発展が進みました。
ウル第三王朝時代(紀元前2112年頃 - 紀元前2004年頃) ウル第三王朝は、ウル市を中心に栄えた都市国家で、数多くの文化的・芸術的な発展がありました。
古バビロニア王国時代(紀元前1894年頃 - 紀元前1595年頃) 古バビロニア王国は、バビロンを中心とする都市国家で、ハンムラビ法典の制定やエジプトとの交流などが行われました。
アッシリア帝国時代(紀元前14世紀頃 - 紀元前612年頃) アッシリア帝国は、現在のイラク北部に位置するアッシュールを中心に栄えた帝国で、征服と支配によって領土を拡大しました。また、文字の普及や建築技術の発達などがありました。
新バビロニア王国時代(紀元前626年頃 - 紀元前539年頃) 新バビロニア王国は、バビロンを中心に栄えた都市国家で、ネブカドネザル2世による築造活動や、エジプトとの戦争、ユダヤ人のバビロン捕囚などがありました。
アケメネス朝ペルシア(紀元前550年 - 紀元前330年)アケメネス朝ペルシアは、紀元前550年にキュロス大王によって建国された古代ペルシアの王朝です。アケメネス朝は、広大な領土を持ち、強力な軍隊を有しており、その統治は強力で厳格であり、また、官僚制度や道路網の整備などの行政改革が進められ、文化や宗教などの多様性も尊重されました。ダレイオス1世は、特に行政や文化面での発展を促し、また建築物や遺跡なども多数残し、ペルシアの歴史に大きな足跡を残しました。

1.サマール王国時代
サマール王国時代は、メソポタミア文明の初期の時代にあたり、紀元前4000年頃から紀元前2000年頃にかけての期間を指します。この時代には、ティグリス川とユーフラテス川の中流域に位置するシュメール人の都市国家が発展しました。
サマール王国は、ウルやウルク、エリドゥなどの都市国家を中心に成立しました。当時のサマール人は、農業や灌漑技術、商業などの分野で高い発展を遂げていました。彼らは、灌漑用の運河や排水路を建設するなど、豊かな農業生産を実現しました。
また、この時代には文字の発明も行われました。最初に発明されたのは楔形文字で、最初は経済取引や物品管理のために用いられ、後に宗教的な文書や史料の記録などにも使われるようになりました。サマール王国時代の文化的な遺産は、後のメソポタミア文明や近東文明に大きな影響を与えました。

この時代の後期には、周辺の都市国家との争いが激化し、サマール王国はアッカド帝国に征服されました。しかし、その後もサマール文化は継承され、その影響は後のバビロニアやアッシリア帝国にまで及びました。
2.アッカド帝国時代
アッカド帝国は、古代メソポタミアの王国で、紀元前24世紀にアッカドの王シャル・カリ・シャリから成立しました。アッカド帝国は、当時存在した最初の帝国の一つで、広大な領土を支配し、文化的・政治的・軍事的な発展を遂げました。
アッカド帝国は、シュメール人の都市国家を征服し、彼らの文化と融合しました。そのため、アッカド帝国はシュメール・アッカド文明とも呼ばれます。アッカド帝国は、エジプト文明やインダス文明とも交流があり、当時の国際的な交流において重要な役割を果たしました。
アッカド帝国は、シャル・カリ・シャリの死後、息子のナラム・シンによって拡大期を迎えました。彼は、西方の領土を征服し、地中海まで領土を広げました。また、彼は軍事・行政・文化的な改革を行い、中央集権化を進め、大きな官僚機構を作り上げました。

しかし、ナラム・シンの死後、アッカド帝国は急速に衰退しました。農業の衰退や不作による飢饉、内部分裂などが原因で、紀元前22世紀には、ガッティ・ガルと呼ばれる都市国家がアッカドを滅ぼし、アムル人の支配が始まりました。アッカド帝国は短命に終わりましたが、その後の文化や政治・社会制度の発展に多大な影響を与えたとされています。
3.ウル第三王朝時代
ウル第三王朝は、紀元前2112年から紀元前2004年にかけて、メソポタミア南部のウルを中心に存在した王朝です。この王朝は、シュメール文明後期の最後の王朝であり、ウル第三王朝時代は、シュメール文明の最後の黄金期とも言われています。
ウル第三王朝の初代王は、ウル=ナンムという人物で、彼は多くの都市国家を征服し、ウルを中心とした強力な王国を築き上げました。また、彼はシュメール人の神々を崇拝することで、国内の統一を図ったとされています。
ウル第三王朝は、芸術や建築、文学、科学技術の分野で高度な発展を遂げました。彼らは、シュメール人の遺産を受け継ぎながらも、自らの文化を発展させ、特に彫刻やレリーフ、装飾陶器などの芸術品は、非常に高い評価を得ています。また、ウル第三王朝は、数学や天文学、医学などの分野でも発展を遂げました。

しかし、ウル第三王朝は、紀元前2004年にエラム王国によって征服され、滅亡しました。この時代の終焉は、メソポタミア史上の転換点となり、バビロニアやアッシリアの王朝が台頭するきっかけとなったとされています。
4.古バビロニア王国時代
古バビロニア王国は、メソポタミア南部に位置し、紀元前18世紀から紀元前16世紀にかけて存在した王国です。この王国は、アムル人の王朝によって建てられ、バビロン市を首都として栄えました。
古バビロニア王国は、ハンムラビ王によって最盛期を迎え、彼は「ハンムラビ法典」と呼ばれる法典を制定したことで知られています。この法典は、商業法や婚姻法、刑法などが規定されており、当時の社会制度や法律に関する貴重な資料となっています。また、ハンムラビ王は、周辺地域を征服し、古代メソポタミア史上最大の王国を築き上げました。

古バビロニア王国は、ハンムラビ王の死後、内紛や周辺の勢力との戦いによって弱体化し、紀元前1595年には、フルリ人の侵攻によって滅亡しました。
古バビロニア王国は、文化や芸術、建築などの分野でも発展を遂げ、バビロン市には、ハンムラビ王が建てたザビュラ宮殿や、イシュタル門、バビロンの空中庭園など、多くの優れた建築物が残っています。また、文学分野でも、叙事詩「ギルガメシュ叙事詩」が書かれた時期でもあります。
古バビロニア王国は、メソポタミア史上、重要な時代のひとつであり、多くの文化遺産を残したことから、現代でも世界遺産として観光地となっています。

5.アッシリア帝国時代
アッシリア帝国は、紀元前9世紀から紀元前7世紀にかけて、メソポタミア北部に位置していた強大な帝国でした。首都はアッシュルからニネヴェに移り、アッシュルバニパル王の時代には、ニネヴェが最盛期を迎えました。
アッシリア帝国は、征服と破壊を得意としており、周辺の国々を次々に征服して領土を拡大していきました。また、軍事技術の発展により、兵器や戦術においても常に最先端を行っていたため、強大な軍事力を誇りました。

アッシリア帝国は、君主制を中心とした中央集権国家であり、王権は絶対的なものでした。君主は、神の代理人としての性格を持ち、宗教的な権威も併せ持っていました。また、行政や財政、宗教などの分野においても、効率的な統治を行っていたため、政治的な安定を保っていました。
アッシリア帝国は、文化的な面でも発展を遂げ、特にアッシュルバニパル王の時代には、図書館が設立され、古代文明に関する多くの知識や文学作品が収集・保存されました。また、彫刻や装飾品などの美術品も優れたものが多く残されています。
しかし、その一方で、アッシリア帝国は周辺の国々からの反感を買い、しばしば反乱や攻撃を受けることになりました。最終的に、内部の政治的混乱や反乱、そして外敵の攻撃によって、紀元前612年にニネヴェが陥落し、アッシリア帝国は滅亡しました。
6.新バビロニア王国時代
新バビロニア王国は、紀元前7世紀にバビロニア地方に興った王国で、首都はバビロンに置かれていました。この時期には、カルデア人の王朝が台頭し、その中でも最も有名な王としてネブカドネザル2世が挙げられます。
新バビロニア王国は、軍事力や政治力に優れ、周辺の国々を征服して領土を拡大しました。ネブカドネザル2世は、バビロンの再建を進め、エキバタナ、スーサ、テーベなどの都市を征服しました。また、バビロンの壮大な王宮や神殿を建設し、文化・芸術面でも発展を遂げました。
新バビロニア王国の最も有名な出来事の一つは、ネブカドネザル2世によるユダヤ人のバビロンへの強制移住であり、この出来事は「バビロン捕囚」として知られています。また、この時期には、法律の体系化が進み、ハンムラビ法典以来の法律が改められました。

しかし、新バビロニア王国は、アケメネス朝ペルシア帝国によって滅ぼされました。紀元前539年に、ペルシアのキュロス2世によって征服され、バビロンはペルシアの支配下に入りました。
7.アケメネス朝ペルシア
アケメネス朝ペルシアは、紀元前550年にキュロス大王によって建国された古代ペルシアの王朝で、紀元前550年から紀元前330年までの約220年間続きました。アケメネス朝は、当時の最大勢力であったメディア王国を征服して領土を拡大し、その後も多くの地域を征服して広大な領土を持つ大帝国となりました。

アケメネス朝の王たちは「大王」と呼ばれ、その統治は強力で厳格でした。王たちはロイヤルロードと呼ばれる高速道路網を整備し、情報や物資を迅速に移動させることができるようになりました。また、官僚制度を整備し、各地の総督(サトラップ)を任命して統治を行いました。
アケメネス朝では、宗教や文化の多様性を尊重し、各地の言語や文化、宗教を尊重する政策が取られました。また、ゾロアスター教を国教として採用し、支配層や官僚たちの信仰を統一することで国家の統合を図りました。
アケメネス朝の中でも最も有名な王はダレイオス1世で、彼は行政や文化面での発展を促し、その統治は卓越したものでした。ダレイオス1世は、ペルセポリスなど多くの建築物や遺跡を残し、ペルシアの歴史に大きな足跡を残しました。

しかし、アレクサンドロス大王の侵攻により、アケメネス朝は滅亡しました。しかし、アケメネス朝は、古代オリエント世界の中で最も強力で影響力のある帝国の一つであり、その文化や宗教、行政制度はその後の西アジアに大きな影響を与えました。
まとめ
古代メソポタミア文明は、現在のイラク地域に位置し、紀元前4000年頃から紀元前539年まで存在した文明です。この地域には、ユーフラテス川とティグリス川が流れ、農業や灌漑農業が発展しました。メソポタミア文明は、都市国家や王朝の興亡を経て、多様な文化・芸術・科学技術を発展させました。
古代メソポタミア文明の中でも、特に有名な都市国家としては、ウル第三王朝、バビロニア王国、アッシリア帝国などがあります。これらの王朝は、多様な文化・芸術・科学技術を発展させたほか、周辺地域の征服や文化交流を通じて、広く影響を与えました。
古代メソポタミア文明の特徴としては、文字の発明や都市国家の成立、灌漑農業の発展、神殿・宮殿建築の発展、法律の体系化などが挙げられます。また、数学や天文学、医学などの分野でも、多くの知識や技術が発展しました。
古代メソポタミア文明は、多くの問題や謎も抱えていますが、人類史上重要な文明の一つであり、現代の世界にも多大な影響を与えています。
最後に
古代オリエント世界、特にメソポタミア文明は侵略や王朝の移り変わりが多くて大変ですよね…
ですが、とてもロマンがあって歴史を勉強している気分になれる時代だと思います。
次回は古代オリエント世界②エジプト文明について書こうと思います。お楽しみに。