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ボードゲーム「世界の七不思議」の元ネタに関する世界史的考察


はじめに

先日、「世界の七不思議」をプレイしてきました。
シンプルで短時間でできるにもかかわらず、他のプレイヤーの様子を見ながら試行錯誤するのが楽しいゲームです。

さて、各プレイヤーがプレイすることになる都市は実際にある(あった)都市です。それらを世界史的観点で考察してみようと思います。
なお、ゲームの攻略に関する考察は一切ありません。

そもそも世界の七不思議って何?

以下の建造物のことです。
・ギザの大ピラミッド
・バビロンの空中庭園
・エフェソスのアルテミス神殿
・オリンピアのゼウス神像
・ハリカルナッソスのマウソロス霊廟
・ロドス島の巨像
・アレクサンドリアの大灯台

元々は、古代ギリシアに歴史家ヘロドトスや旅行家のフィロンが提案した建造物です。フィロンは「θαύματα(眺めるべきもの)」と書に書きましたが、これがラテン語に変化して「Septem Miracula(7つの奇跡・驚異)」となりました。これが英語で「Seven Wonders of the World」となり、日本語で「世界の七不思議」と訳されるようになりました。伝言ゲーム感ある。
英語のWonderは「驚かせるもの」「賞賛するべきもの」という意味であり、オカルト的な「不思議」を直接意味するものではありません。

要するに、世界の七不思議とは、古代ギリシア人が「これは必見!」と世に広めた建造物といえるでしょう。これは私の推測ですが、「日本に来たら富士山とか京都の町並みとか見ろよー」くらいのイメージの気がします。

Giza(ギザ)

エジプトの都市カイロの近くに位置する、ピラミッドやスフィンクスで有名な都市です。
首都と直結する地下鉄もあるためか、人口は約430万人とかなり多いです。横浜市や静岡県より遙かに多いです。都会ですね。

ギザの大ピラミッド

古代エジプトのクフ王の墓とされるピラミッドです。
クフ王とは、古代エジプト第4王朝、つまり紀元前2500年頃の王です。日本では縄文時代後期が始まったあたりです。
個人的に、「古代エジプト」ってひとくくりにするにはあまりに長い期間だと思っています。
年表にすると、以下のイメージです。

年表はとるてぃ自作のものです。

ギザの大ピラミッドが建てられた時期は、ツタンカーメンとは約1200年、クレオパトラとは約2500年の間があります。しかし、どれも「古代エジプト」のくくりの中に置かれてしまうので、全部同じ時代だと認識する人も多いと思います。この記事で、古代エジプトと一言で言ってもかなり広い範囲を示すのだと知っていただけると嬉しいです。

さて、何のためにつくられたのか?天文台や日時計だという説は、現在考古学的に否定されています。有力なのは、支配者の遺体を保存するための墳墓なのではいか、という説です。
古代の君主が自分の権力を示すために多くの人民を使って巨大な建築物をつくるのはよくあることなので、その一環だとは思います。
今でも新たな空間が発見されるくらいなので、まだまだ謎がたくさんあるのでしょう。

ギザの大ピラミッドを含むエジプトの古代遺跡は、今も昔も人々のロマンをかき立てています。かの有名なナポレオンも、皇帝になる前にピラミッドに訪れました。彼はピラミッド近くでエジプト軍と戦争をし、圧勝しました。このとき、ナポレオンは「兵士諸君、4000年の歴史が見下ろしている」と発言したそうです。

Wikipediaより

ちなみに、この遠征中ナポレオンがエジプトで見つけたロゼッタ・ストーンは、古代エジプトの文字を解読する大きな手がかりとなりました。こうしたナポレオンの遠征が、ヨーロッパの人々のエジプトへの憧れと研究意欲のきっかけとなったとも言われています。

Babyron(バビロン)

現在のイラクにあたります。
今は遺跡が残るのみですが、古代では大きな都市でした。
「バビロン」は、シュメール語の「神の門」という意味だとされていますが、不明な点も多いです。この通りだとすると、Fateシリーズに出てくるギルガメッシュ王の法具「ゲート・オブ・バビロン」は「神の門の門」という意味になりますね笑
また、新約聖書ではヘブライ語で「バベル」と表記されています。バベルの塔の「バベル」です。バベルの塔のモデルは、バビロンのジッグラトと呼ばれる塔だという説もあります。

Wikipediaより

「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラビ法典を制定したハンムラビ王が黄金期を築いたことがバビロン繁栄の始まりでした。これが前18世紀、今から3800年くらい前のことです。
その後もアッシリアや新バビロニア帝国など、オリエント(ヨーロッパから見て東の地域、今の中東あたり)を支配した国の重要な都市となりました。

バビロンの空中庭園

あくまで伝承上の建物であり、詳細は判明していません。
伝承によると、新バビロニア帝国の皇帝ネブカドネザル2世(治世紀元前605 - 562年、ユダヤ人のバビロン捕囚で有名)が建てたとされています。彼が異国出身の妻の感傷を癒やすために、庭園を立てたといいます。
存在を証明する考古学上の証拠も文書史料も残っていません。場所の確定もできていません。伝承以外全てが謎の遺跡です……。

Ephesos エフェソス

現在のトルコ共和国イズミル県の中に存在していた古代都市です。
ギリシア人の都市として有名ですが、元々は世界最古の貨幣製造で知られるリュディア人が住んでいたとも考えられています。
古代では、狩猟・貞潔の女神アルテミスを信仰することで有名な都市でした。こちらについては後ほど説明します。

紀元前2世紀になるとローマの支配下に入りました。クレオパトラとアントニウスが共に滞在した場所としても知られています。

エフェソスは、比較的早くキリスト教が流入した地域としても知られています。後に、キリスト教の公会議の舞台としても活躍しました。高校で世界史を学習した方は、「エフェソス公会議」という用語でエフェソスを覚えたのではないでしょうか。イエス・キリストに神性があるか否かを論議した公会議です。

アルテミス神殿

現在のアルテミス神殿。残骸を積み上げただけで原型はとどめていない。(Wikipediaより)

先述の女神アルテミスを祀った神殿です。
何回か破壊や火災されており、現在は復元した風景しか見ることができません。
最初の神殿は、紀元前700年頃につくられましたが、すぐに遊牧民族によって破壊されました。その後リュディア王により建設されるものの、約200年後に放火で焼失しました。そして前323年に再び建設されましたが、ゴート人襲撃の中262年に略奪・破壊されたと言います。
その後は、先述の通りエフェソスの人々の大半がキリスト教に改宗してしまったために関心を失い、再建されることは無かったといいます。

Olympia(オリンピア)

古代ギリシア語読みで言うと「オリュンピア」です。
名前からも分かる通り、かつて古代オリンピックが行われた場所です。オリンピック、という名前はこの都市の名前から取られています。現在でも遺跡が残っており、観光名所になっています。
古代ギリシアでは、神に捧げる競技祭典が他にもありましたが、その中でも一番大きかったものがゼウスに捧げるオリュンピアの大祭でした。起源は前8世紀頃だとされています。
しかし、ローマ帝国によってオリュンピアの祭典は幕を閉じます。392年にキリスト教を国教化したローマ帝国は、394年に異教神殿破壊令を出します。当時ローマ帝国の支配下にあったオリュンピアも例に漏れず、競技祭典自体が廃止されてしまいました。

ゼウス神像

ゼウス神像想像図(Wikipediaより)

オリュンピアには、かつてゼウス神像があったと言われていますが、現在は残っていません。
パルテノン神殿建設総監督としても有名なフェイディアスがこれを建てたとされています。紀元前5世紀頃に建てられたゼウス神殿の中に収められていました。かなり大きなもので、ローマの地理学者ストラボンは「もし、ゼウス像が立ち上がったら、屋根を突き抜けてしまうだろう」と称したといいます。
長年その存在を証明するものがあまりありませんでしたが、1958年、フェイディアスの工房が発見されました。ただ、そこから半世紀以上たった今、どれだけ研究が進んだかは分かりませんでした……。

Halikarnassos(ハリカルナッソス)

上記の地図の「ボドルム」の位置にあった、古代ギリシア都市です。現在はトルコの領土内に含まれています。

この都市の建設の経緯は定かではありませんが、ギリシア人により建てられたことは確かなようです。
この地で生まれた有名人として、ヘロドトスがあげられます。人類最古の歴史書とされる『歴史』を執筆した人物です。
また、アレクサンドロス大王がオリエントを支配していた帝国、アケメネス朝ペルシアと戦った場所としても有名です。この時のアレクサンドロス大王の包囲作戦による被害は甚大で、ローマの政治家キケロの見た時代には既に廃墟だったといいます。

ところで、ファイナルファンタジーⅤに「ハリカルナッソス」というボスが出てきます。このボスのイメージが強かったので、ハリカルナッソスが地名だと知ったときは大変驚きました。

マウロソス霊廟

マウロソス霊廟の模型(Wikipediaより)

マウロソスとは、前4世紀にハリカルナッソスを含む周辺地域を支配していた王の名前です。先述のアケメネス朝ペルシアの知事でしたが、実質自分の国としてこの地域を支配していました。ハリカルナッソスを要塞都市にしたのもマウソロスです。
彼とその妻であるアルテミシアの遺体を安置するために建設されたのが、このマウロソス霊廟です。
アレクサンドロス大王によるハリカルナッソス攻略にも耐え抜いたこの霊廟でしたが、地震によって次第に柱が崩れていきました。
そして聖ヨハネ騎士団がこの地を侵略した15世紀、要塞建設のためにこの霊廟の残骸を資材として使いました。今日でも、要塞跡の壁に残骸が見られるそうです。
こうした経緯で、現在は土台などが僅かに残る程度です。
しかし、この霊廟のデザインは後世にも受け継がれ、モデルとしている建物が多くあります。日本の国会議事堂もその一つのようですが、参考資料が見つかりませんでした……。どなたか教えてください……。

Ródos(ロドス島)

上記の地図にあるポイントが指す島がロドス島です。ロードス島とも言います。
場所は今のトルコに近いですが、ギリシア領の中に入ります。
地中海上に浮かぶこの島は、古来より交易の要所として使われていました。

ギリシア人の歴史で言うと、紀元前16世紀にはミノア(クレタ)文明の人々が到来したと言います。ミノタウロス伝説で有名な文明です。
しばらくはギリシア人の領土でしたが、戦争による疲弊のため、先述のハリカルナッソスのマウロソス王により侵略されました。しかし、すぐにアレクサンドロス王がアケメネス朝ペルシアを撃破したことで、ロドス島はマケドニア王国領となりました。
その後はローマに侵略され、ローマ帝国領となりました。ローマ帝国分裂後も、東ローマ帝国領となりました。この時代で有名な出来事が、聖ヨハネ騎士団による占領です。この騎士団が都市を中世ヨーロッパ風に建て替え、騎士団長の館など今日にも残る著名な遺跡を残すこととなりました。ちなみに、聖ヨハネ騎士団はマルタ騎士団と名前を変え、現在も活動を続けています。日本人も一人だけ叙任されています。いいなあ……かっこいいなあ。

巨像

ロドスの巨像の想像図(Wikipediaより)

紀元前3世紀頃に建てられたとされる、太陽神へーリオスをかたどった彫像です。現在、実在を示す遺跡や残骸など考古学的史料はありませんが、文書は残っています。

その大きさは、ニューヨークの自由の女神像に匹敵するほどの大きさだったと言います。現代のニューヨークのような高層ビル群はありませんから、相当目立ったのでしょう。

建造されたのは、マケドニア王国アレクサンドロス大王の死後、後継者により戦争が起きた頃のことです。ロドス島は、エジプトを領有するプトレマイオス1世に協力しました。ロドス島は敵に包囲されるものの、健闘し勝利を収めました。
この勝利を祝い、太陽神への感謝としてこの巨像を建てたと言います

Alexandria(アレクサンドリア)

現在のエジプト第2の都市です。人口は約520万人と、北海道全人口より少し少ないくらいの人口です。都会ですね。
名前の由来はマケドニア国王アレクサンドロス大王からです。彼が東方遠征を行った際、各地に自分の名前を冠したアレクサンドリアというギリシア風の都市をいくつも建てました。その第一号であり現在最も有名なのが、このエジプトのアレクサンドリアです。
マケドニア王国が分裂した後も、ローマ帝国やイスラーム各王朝の重要な港町として栄えました。
現在では世界的企業の支部が置かれたり化学事業が進出したりと、めざましい発展を遂げています。

大灯台

アレクサンドリア湾岸のファロス島にかつて存在していた大灯台です。しかし、今は残っていません。

建造されたのは、プトレマイオス朝の時代だったと言います。プトレマイオス朝とは、アレクサンドロス大王が支配したマケドニア王国が分裂した後にできた、エジプトを中心とする王朝です。この王朝の最後の王が、有名なクレオパトラです。
プトレマイオス朝はアレクサンドリアを首都としました。しかし、船から見たときの目印がなかったため、初代王プトレマイオス1世は灯台を建てさせました。
存在した当時の灯台の高さは約134mもありました。資材は大理石を用いていました。

かなり長い時代海を照らし続けた大灯台ですが、地震により崩壊してしまいました。1323年のことでした。

この大灯台があったファロス島から、ヨーロッパ各地の言語ではファロスが「灯台」示す語の語源となりました。
フランス語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語などに影響を与えています。

終わりに

現在残っている世界の七不思議がピラミッドだけが寂しいですね……。それが逆にロマンをかき立てるのでしょうか。

いつも通りボードゲーム自体に全く触れない説明になってしまいました笑
ただ、「世界の七不思議」をプレイしていてモデルとなっている都市を知らない人が大多数だったので、せっかくなら知った上でプレイしたら楽しいだろうなあと思って執筆しました。
この記事で少しでも「世界の七不思議」のプレイが楽しくなってくれれば、と思います!

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