カウンセリング序説~人間学的・実存的アプローチの一試み~
金子書房出版 小林純一著1979年3月初版。
我が家にあるのは、1999年3月の第10版。
懐かしすぎて、本がパリパリしています。この本は、私が新卒入社して直後、産業カウンセラーの資格を取得中に、先輩からの勧めで購入した本。専門書は高額なので、基本的に図書館で借りて読んできましたが、この一冊は手元に置いておきたくて、頑張って買ってみました。
ベンチャー企業に勤め、法人営業をする傍ら、週末には積極的傾聴訓練を受けている新入社員(産業カウンセラーの資格取得の講習会に通っていたのは3年目でしたけど)って、どうよ?と自分突っ込みしていましたけど、睡眠時間3時間生活はそのころから10年以上、産後は睡眠1時間とかでしたから、よく生きているな~っと、カウンセラーでありクライアントである自分に自虐的になっていたり。
懐かしずぎる、この一冊。
本の内容について紹介するのも疲れるので、割愛しますが、要するに、カウンセラーも単なるクライアント(病人)にすぎないわけでして、人間が人間を救うことは絶対にできません。
『カウンセラーは、社会、コミュニティ、周囲の人々の理解者でなければならず、変化の心理的援助者でなければならない』という著者の序文の一言が、今も心に刺さっています。
人生の旅路はまだまだ続きます。テクニックとしてのカウンセリングには意味はなく、人間存在そのものとしてのカウンセリングにこそ、本質的意味を感じながら、「究極的に人間を育てること」に挑戦中です。
親は、カウンセラーでもあり、給食作りの管理栄養士でもあり、医食同源を是とする医者でもあり、家族経営を担う経営者でもあり、オールマイティのすべての人間性で勝負(しなくていいのですけど)する、おバカな生き物だなあとつくづく感じています。
今日も平和な一日を過ごしたいです。私自身がややADHDなので、マルチタスクが苦手です。
しかし、現実には、狭苦しい賃貸4LDKに元不登校児中1長男、ADHD小学5年生次男、まだまだ未開発なASD傾向小2長女、完全アスペルガー夫とがひしめき合っている。。。誰か何とかしてください。
※写真は、次男が幼稚園の時、右足首骨折して2カ月ほど引き籠っているしかなかった頃、ひたすらウルトラマン折り紙に没頭した時の記録写真。折ったのは私。次男と長男は、折り紙を一瞬で破り去るか、水に投じるか、投げ捨てるかのどれか。1歳児の妹の口に入らないように(誤飲で死にます)コーティングした方がいいかな~とか考えつつ、ワンオペで未就学児三人全部見てました。(旦那は3カ月海外出張で不在。ありえないよね。使えないね。)・・・三途の川賽の河原で、積んだ石を積んでは崩されまた石を積むかのような、あるいは、牢獄でひたすら穴を掘ってはまた埋められ、また掘るかのような、意味のない(かのように感じる)単純作業をひたすら繰り返す、エンドレスな苦行をどうやって楽しめばいいのか誰か教えてほしかった。。産後鬱でした。流産もしたしね。笑えない日々でした。笑ってたけど。カウンセリングは役に立ちませんでした。親はなくても子は育つ、というのは欺瞞です。(毒舌すみません)