院なんか行かなくていい。早く教員になって現場に出ろ!とまではいいません。
こんにちは。久しぶりに記事を書きます。
今年度は、新しい学校へと赴任して1年目。専門の日本史のコマは1つもなく、地理のみを担当しています。これは結構辛いよ!来年からは地理必修ですよ!全国の高校地歴公民科の先生!
まあ、地理のことについては、時間があればどこかで書きたいと思います。今回は、ただ最近ふと考えたことをつらつらと書くだけです。
今年度は、そこそこ重たい研修がある年でもあります。
課題研究といって、自ら課題を設定して授業の実践を行い、その結果を考察したり、新たな課題を発見したりするのが主な内容です。
この夏休みを利用して先行研究をとりあえずいろいろと漁って模索していたわけですが、教員生活6年目にして、ここまで教育に関する論文を読んだのは初めてでした。(恥ずかしながら。)
研究主題のキーワードが「思考力」とか「知識の概念化」とか、かなり抽象度が高いものだったので、なかなか論文を読んでもいまいちピンとこないというか、具体的にどういうこと?っていう感じになりがちでした。一応「思考力」とか「知識の概念化」といったことは以前から興味はあったのですが、実際、理論を理解するのは難しいものです。
さて、実は私、地歴公民科(日本史)の教員ですが、大学時代の専門は、教育学でも、日本史学でもありません。考古学です。
この前、たまたま考古学(というかほぼオカルト)に関するYouTubeの動画がオススメかなんかにでてきたので、なんとなくその動画をみながら、なんとなく考古学生だった頃のことを思い出していました。
大学生の頃、よく先生が
「実物に触れなさい」
とか
「モノとじっくり対峙しなさい」
とか
「とにかく現場で調査(発掘)しなさい」
などと言っていたことが思い出されてきました。
私の認識では、考古学はとにかく実物をよく見て、触れて、感じて、考えることで新たな知見を得ていく学問だと思っています。二次的・三次的な資料ではなく、とにかく一次資料。「ホンモノから分かること」こそが考古学では重要なんですね。
ですから、論文よりも実際の遺跡や遺物を生で見る。発掘の報告書よりも発掘の現場に行く。文字からでは得ることができない何かを実際に行動して得ることこそに価値がある。そう教わってきました。
話を戻します。
教育もそういうものなのではないかなと。
ホンモノと対峙する。現場で何かを得る。
それはつまり教育では、
生徒と向き合うこと、生徒との関係こそが最も重要。
ということなんじゃないかなと。
教育学に関して、理論を否定するつもりは全くありません。教員が教育の専門家としての誇りをもつには専門的な理論を身につけることは必須でしょう。
でも、最も大事なことは、理論だけでは決して理解できず、生徒を通してしか理解できないんじゃないかなと感じます。
生徒たちは教員から様々なことを教わりますが、教員も生徒たちから様々なことを学ぶんですね。
これまでも、生徒の関わりについて反省することもありましたし、「授業失敗したなー」って思うときは生徒の表情がそれを教えてくれました。卒業式で立派な姿を見たり、卒業後に会いにきた生徒と話をしたりする中で、「自分のやってきたことが間違いじゃなかったな」と思ったこともあります。
私は大学院に行かず、学部卒で教員になりました。高校の先生は院卒の人も結構いますが、院で勉強するより現場で生徒と向き合った方が勉強になることもあるんじゃないかなと思います。