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日本のいじめに対する一考察

はじめに
お久しぶりの投稿になります。
なぜ、今回このような記事を書こうかと思ったのは、札幌いじめ自殺事件や他にもいじめによる自殺のニュースを聞くようになり、自分も過去にいじめを受けた時がありそれについて、素人ながらも私の知りうる限りでお話したいと思ったからです。

被害者に対する処置
日本では、いじめの被害者に対してのメンタルヘルス的な処置であったり、もしくはその学校から転向するなどが多く行われているように感じます。確かに被害者の方というのは、一番精神的・肉体的に疲弊している状況にあるので、カウンセリング等のメンタルヘルス的処置を行うのは、正しいと言えるでしょう。
まず、いじめを根絶するというものは非常に難しいと言って過言ではないでしょう。これは、学生だけでなく大人でも行われている行為であるからよく分かると言えます。2019年に発覚した神戸市教師いじめ事件では、子供を監督する立場である教師が、いじめをおこなっていて大変問題になりましたが、これは氷山の一角に過ぎないでしょう。やはり、いじめという物を根源から断つのは難しいと実感させられました。

加害者に対する処置
今現在、日本ではいじめが発覚した際には加害者側には生徒指導的な処罰が下るのが、定石となっています。しかし、私は加害者にこそ精神的なケアが必要なのではないでしょうか。特に、現在ではいじめ=悪というのは常識と言って過言ではない社会にも関わらずいじめを行ってしまっているのは、加害者側に何か問題があるのではないのでしょうか。精神的未熟・親子関係・何かストレッサーになっているもの、それらを対処しない限り問題の根絶にはならないのではないのでしょうか。
これを、実践している国は数多くあります。特に、欧米圏の先進国ではこのような事はよく聞く話です。いじめに、重い軽いをつけるつもりはありませんが、一過性のいじめで学年が変われば終わるというように被害者の傷が少ないような状況であれば、まだいいのですが、もし自殺や自殺未遂などをしてしまった場合には、加害者側には重い責任がのしかかる事になります。そうなれば、加害者・被害者とも未来を失ってしまいます。それを防ぐためにも、いじめを発見次第、両者に対しカウセリングを行うなどのメンタルヘルス的処置や、距離をとらせるなどの処置が必要になると思います。

求めるもの
今現在、日本では被害者に対する救済処置と言ってもいいような事しか行われていません。しかし、加害者をも何かしらの精神的ケアの必要性を感じます。
これからの教育現場では、一校につき最低一人の精神ケアの資格を有する人材を配置することや、教師に対する管理・観察の強化などが必要になるのではないかと考えます。しかし、今現在の教師というものは所謂ブラックと言われても仕方がない重労働な仕事になっています。それを解決するために、人員の増員・専門員の設置などを行い教師の教育にさける時間を増やすべきではないでしょうか。

結ぶに
私の意識していることの中に、完全な悪はほぼ存在しないというものがあります。人は、誰が悪いかと言うことにこだわりたがります。しかし、詳しく話を聞くと悪い事をしたと思われている人にも以外な事情があるかもしれません。被害者の方は、納得がいかないかもしれません。けれども、片方を断罪するだけでは問題の根本的な処置にはなりません。両者に対する処置・ケアこそが大事なのだと感じます。


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