大航海時代の始まり1 世界4大スパイス
コショウ・クローブ・ナツメグ・シナモンの4つは「世界4大スパイス」と称される。珍重されているとか世界で多く使われていると説明されたりするけれども、たいてい大航海時代によって世界を変える要因となったことから一般にそう呼ばれる。
また「4大」ではなく「3大」という呼ぶ場合もある。つまり厳密に定義されてはない。おおよそ上記の4つのうち3つが書き手によって任意に選ばれている。3大の場合コショウ、クローブ、ナツメグがやや多い印象がある。3大でもクローブとナツメグは外されることは少ないようだ。何が4大か3大かその内容は基本的には書き手による。
コショウ・シナモンとクローブ・ナツメグは原産地域が異なる。コショウとシナモンは主にインド洋のインド沿岸やスリランカなどで分布した。
一方クローブ・ナツメグは南シナ海でモルッカ諸島で局地的に採れた。クローブはフィリピン群島に近いモルッカ諸島(マルク諸島)の北部に位置するハルマヘラ島の西海岸沖合いに浮かぶ小さなテルナテ・ティドーレ島などでしか植生しなかった。ナツメグはさらに限られハルマヘラ島を南下したセラム島の更に南方のバンダ諸島にしか植生しなかった。
モルッカ諸島のセラム島を挟んで北方にクローブ、南方にナツメグが植生した。コショウ・シナモンと比べるとかなり限定されたのである。当時ヨーロッパではクローブとナツメグの原産地は知られず入手が困難なこともあり、特に珍重されたスパイスであった。ちなみにセラム島の南西に位置し隣接するアンボン島がポルトガルや後のオランダの商業活動の重要な拠点となる。
コショウ(胡椒)はインド南部のカリカット、コチンなどマラバール海岸で広く産出し、古代からインド地方の重要な輸出品であった。紀元前4世紀の初め頃、古代ギリシアの植物学者テオフラストゥスは『植物誌』の中でコショウと長コショウについて記している。ヨーロッパでは、古くからコショウは貴重品であり、紀元1世紀のローマの博物学者大プリニウスは1ポンド(約500 g)の長コショウの価値は15デナリウス、白コショウは7デナリウス、黒コショウは4デナリウスと記録している。
シナモン(肉桂)は紀元前の古代エジプトでも記録された。スリランカ産のシナモンが運輸され王様に献上品として届けられたり、オリエントの産品としての記録が残るという。やがて、エジプトだけでなくヨーロッパ各地に知られる香辛料の種類も増え、紀元1世紀頃には海、陸のシルクロードを経てヨーロッパに香辛料が流入し始め、とても貴重で高価なものとして取引されていた。
クローブ(丁子)は紀元前3世紀、漢王朝の皇帝に謁見するものは口臭を消すために口に含んで噛む必要があった。紀元1世紀までにローマ世界へと到達し、大プリニウスによって記述された。クローブは、ヨーロッパには中国商人が絹などと共にセイロン島経由でもらされ、6・7世紀頃には貴族の間で珍重されるようになった。古くは原産地でチョウジの価値が把握されておらず、そのため中国商人たちが原産地を秘匿したまま交易商品として取り扱っていた。
ナツメグ(肉荳蔲)は中世までそれと確かめられる記録はない。クローブ同様原産地は不明のままでヨーロッパに渡るまで大変な労力を要したため、大変高価なものだった。13世紀末のイギリスでは、1ポンド(約454g)のナツメグで羊3頭、14世紀末のドイツでは7頭の牝牛と交換できたと伝えられている。ナツメグの皮から取れるメースは当時ヨーロッパでは別のものだと考えられており、ナツメグと違うものとして取り扱われた。
ヨーロッパで産出せず貴重品であったこれらのスパイスは大航海時代を切り開くヨーロッパ人の経済的動機であった。
これを実現する上でも重要なもう一つの動機があった。伝説上のキリスト教国国王プレスター・ジョンの存在である。ポルトガルのエンリケ航海王子もジョアン2世も、アジアのどこかにあると語られたプレスター・ジョンの伝説を信じていた。それはスパイス以上に重要であったかもしれない。プレスター・ジョンの協力を得れば、イスラムを挟撃することが可能である。そして、プレスター・ジョンの領地の向うにあるインドに到る貿易ルートを拓けると期待した。
参考
『胡椒 暴虐の世界史』マージョリー・シェファー 著 栗原泉訳 2014
香辛料 ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/香辛料
香辛料 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh07-023.html
世界4大スパイス「ナツメッグ」は秋におすすめ!
https://office-freedom.com/herballife/herb_spice/nutmeg/
つづく
初稿2023/12/16 No.1010101.01