モチダ ヨウヘイ

能力が低い歴史学研究者。

モチダ ヨウヘイ

能力が低い歴史学研究者。

最近の記事

追記:村上春樹さんの文章の「上手さ」を、具体例をあげて分析してみます

どうも、モチダです。 なにやら、前の記事が色々騒がれているようです。 モチダとしては、かなりたくさんある村上春樹さんの作品をいきなり読むのはなかなか大変ですし、ちょっとした文芸評というか、ブックガイドみたいなものになるかと思って、「切り口」を書いてみたんですが、ある種の方々の琴線に触れたようですね。ありがたいことです。 最初に書いておきたいのですが、私はできる限りネット上で他の方の作った文章や画像を引用したくないです。youtubeのように広告収益があるのであればよいの

    • 村上春樹の文章の「上手さ」を、短めに論じてみます

      最初に: 具体的な文章を引用した追記がありますので、よろしければ、こちらもご参照ください。 どうも、モチダです。 最近、こんなものを読みまして。 わりと賛否両論というか、村上春樹さんらしい騒ぎになっているな、と思って、興味深く読みました。 ちなみに私は一応研究と論文が本業(の一つ)であり、文章を書くことが仕事となっている人間の一人です(悪文ですが)。そして、村上春樹さんの20年来のファンでもあります。 そして、既に色々まとまられている通り、村上春樹さんはこういった

      • 「沈黙は賛同」を(無条件で)称賛するべきではない

        ご無沙汰しております。モチダです。仕事に追われて、なかなか文章を書けていないのですが、どうしても書きたいことがあったので久しぶりに短文を書きます。 最近、こんな記事と投稿を読みました。 正直に言うと、私個人としてはどちらも(後で詳しく述べますが)全く肯定する意見ではありませんが、お二人ともご意見は自由だと思いますし、多様な言論の存在は許容されるべきだと思います。 ですが、これに対して、特にインターネットのリベラル・左派寄りの方々から大きな批判が出ていないことが私にはとて

        • 浅沼優子氏の再返答と公開質問について②(モチダより)

           ①の続きです。  次に、反論②について。  まず、「知性」といういい方はよくなかったですね。ごめんなさい!今後、「知識」に変えます。今すぐ直すのは証拠隠滅みたいなので、1月ほどしたら前述した投稿を修正します。ご指摘ありがとうございます。これ、やってはいけないミスですね。すごく反省しています。  ※注記ですが、現在は一カ所だけ書き間違いを修正しています。  ですが、基本の論点は変わりません。まず、質問に答えましょう。私が「到底無理なことが明らかな「宿題」を課すことによ

          浅沼優子氏の再返答と公開質問について①(モチダより)

           tweetを見たので、最初に追記します。私はあなたに喧嘩をうっていませんよ。ただ、私が愛する東南アジア島嶼部の華人社会の人々を、「人種」暴力の再来から守りたいだけです。勝ち負けはモチダと浅沼優子氏の論理ではなく、差別の被害者を減らせるかどうかです。  今朝、浅沼優子氏の新たな投稿を読みました。大変誠実にお応えいただいた解答だと思います。私もすぐに返答します。返答は二つに分けます。  まず、誤解を解くために、既に書いた内容を繰り返し、私の立場を明言しておきます。 ①モチ

          浅沼優子氏の再返答と公開質問について①(モチダより)

          前記事について、少しだけ追記します。

            追記があります。併せてご確認ください。  持田です。はてなブックマーカーなどで、多くのご意見をいただき、嬉しいです。少しだけ、釈明をさせていただきたいと思います。  まず、何故私がこの記事を書いたのか、について。  私は授業で東南アジア島嶼部の華人社会史を講義しており、その中で華人に対する差別構造というものがいかに制度的に創出されたのか、それが現代社会にどのような悲劇を生み出しているのか、我々はそれとどう向き合うべきなのか、といった点を重視しています。  ですが、

          前記事について、少しだけ追記します。

          浅沼優子氏の小沢健二氏への批判について、ちょっとだけコメントします

              説明と追記があります。併せてご確認ください。  初めての投稿となります。  私は、シンガポール華人(中国系移民)の社会史の研究を行っている歴史学者の持田といいます。専門は、イギリス植民地統治下のシンガポール・マレーシアにおいて「人種」・「ネイション」というフィクショナルな政治的カテゴリーが人為的に創出されていった過程、およびそれが中国本土の政治的ナショナリズムと結びついていった過程などを、実証的に議論する、というようなものです。あまり頭はよくないのですが、何とか

          浅沼優子氏の小沢健二氏への批判について、ちょっとだけコメントします