始めてみて、そこから考える #38
Hisaと申します。
最近、母親と話をしているとこんな話題に。
「最近の子は、何か新しいことをしてみようとしても、面倒くさいからやだ~って言って何もしないのよね。だから、あんたはやりたいことがあるならまず挑戦してみなさい。」
ごもっともでございますお母さま。
今の子供たちがどの世代のことを言っているのかわからないが、
確かに、やりたいことがあるのならとりあえず挑戦してみるに越したことはないと思う。
自分も過去を振り返ると色んな事に挑戦してきた。
そろばん教室に通ってみる
英会話塾に通ってみる
野球部に入る
卓球部に入る
軽音楽同好会に入り、ギターを弾く
水泳を習ってみる
ライブをしてみる
バイトをしてみる
恋愛をしてみる
車で1泊5日の旅をしてみる
作詞・作曲してみる
動画編集してみる
などなど。
これ以外にもたくさんのことを試しては、いろんな経験をしてきた。
自分がやってみたいなーということはとことんやってきた。
確かに「なんでも挑戦」という言葉はものすごく前向きにさせてくれる言葉で重要ではあるが、それとは裏腹な部分も隠れていると思う。
それは「器用貧乏」になる点だ。
器用貧乏とは
器用貧乏とは、
という意味で掲載されている。
なんでもやります屋さんであるがゆえに、
中途半端にものごとに手を突っ込んで、それでいて深掘りをあまりしない。
飽きやすいがゆえに、何にでもちょっかいを出してしまうのがこの器用貧乏さんの特徴ともいえる。
検索したときに、
「確かに自分は器用貧乏なのかもしれないな...」と思うところがあった。
特に何かに大成したわけでもなく、自分が興味を持ったものにとりあえず突っ走ってみる。そんな感じでいろんなことに「触れて」はきたが、「突き詰めた」ことがあまりないのである。
それを社会人になってそこそこ立った今、痛感している。
「このまま何も成し遂げられずに終わるのだろうか...。」
そんな悩みを抱えながらも、
いろんな経験をした中で何かしら続いたものはあったんじゃないだろうかと思った。
過去を雑巾のように絞りに絞った中で、
自分は「英語」「音楽」「料理」というものが上がってきた。
「英語」は、小さいころから塾に通わせていただき、
今でも英語に対して苦手意識はない。むしろしゃべりたい方だ。
「音楽」は、高校からギターを習いだし、
なんやかんやで社会人になっても自分で音楽を作ったり演奏したりしている。
「料理」は幼稚園の頃から親の手伝いをしていて、暇なときがあったら料理をしていた。バレンタインの時は、自分から作って男女に渡したときもあった。
そんなことを思い返してみると、
今でも好きで続けているもの・これからも続けられるものが見つかってくるものである。
色んな事に挑戦してきた結果として、
自分が本当に好きなもの・得意なものを見つけることができ、
それについて真剣に向き合っていこうと覚悟を決め、続けていった先に大きな成果というものが待っているのだと思う。
そういった意味では、
自分は小さいころからいろんなことに挑戦してきてよかったのかもしれない。
やり続ける中で自分の向き不向きが分かるようになってくるため、
最終的に向いているものを突き詰めればいいのだと気づいてくる。
ここまで書いてきた中での結論としては、
【若いうちはとことんいろんなことに挑戦して、自分にとってはまるものが見つかったらそれを突き詰める。】
なのではないだろうか。
これは歳を重ねれば重ねるほど、悩み・苦しみ・もがくことになる。
だから「若い」時こそ行動あるのみなのである。
こんなことを書いてはいるが、
自分も世間から見たらまだまだ若い部類に入る存在なので、
これからもこつこつ自分の突き詰めるものを磨いていこうと思う。
いや~人生長いね。
Hisa