CD:プラハのモーツァルト

まるで絵に描いた様にチェコの音がする。

独奏:吉鷹奈津子

采配:武藤英明

楽団:プラハ・ターリヒ室内管弦楽団

作者:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

演目:ピアノ協奏曲第20番、第12番

録音:1996年

柔らかくて、少しくぐもった、円やかで、濃い響き。

東欧の楽団は、人件費の安さから録音製作によく選ばれる。

だから、割り切った演奏も多いのだろうか、何となく二流と見られる事が少なくない。

この録音も、邦人演奏家がそういう理由で手掛けた盤なのかなと思ったのだけれども、どうも全く様子が違う。

きっと、チェコの響きに心底魅せられた日本人なのだと思った。

とてもチェコでモーツァルトな演奏だ。

今は、刺激的な音に溢れる世の中だから、踏み込みが甘くて生煮えの演奏なんて聴こえる向きもあるかも知れないけれども、微温的で普通な演奏をそれなりに聴いて来た経験から言うと、このレコードはとても突き抜けた出来で、よく熟しよく練られたほのかな甘さがあって、上手物だ。

ターリヒ室内管弦楽団の黎明期の録音で、若い演奏家集団のアンサンブルの筈なのに、聴こえて来るのは老舗の味わいで、スタインウェイ社製のピアノまで穏やかな響きを醸し出す。

20番コンチェルトは仄暗くて激情の音楽とされてはいるけれども、一緒に激するのではなくて、静かに呟く様子である。

天真爛漫をそのまま音に乗せた様な12番は、もっと溌剌として若い音楽なのに、やはりこちらもとても穏やかだ。

変わった所は皆無。

誂えの洋服の着心地は、着ている人にしか分からない。

だから、聴いた人だけが解る心地よさ、そんなモーツァルト。

吉祥寺のレコード店で、在庫処分価格でも売れなくて、いよいよ叩き売りされていた中の一枚だったから、今では、殆んど流通もしていないのだろうし、わざわざこれを聴きなさい、と強く薦めるものでもない。

演者、聴き手の数だけ、その人にとっての特別はある筈だから、その特別を大切にするが好い。

そして、密やかに、その特別を教えて貰えたら、どんなにか嬉しい事かと思う。

そんな朗らかで優しい気持ちのするモーツァルトだ。

演者にとっての特別が、確かにこちらに届くのだ。

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