CD:ベートーヴェンの交響曲を全曲聴く

ベートーヴェンという作曲家がいる。

それなりに名の通った人なので、聴いたことがある人も多いかも知れない。

とても可憐で優美な音楽を書く人だ。

代表作は、プロメテウスの創造物、三重協奏曲、弦楽三重奏曲、など。

代表作とまでは言えないけれども、交響曲という形式にも9つの作品を残しており、一部の人達の間では、今でも大変な人気がある。

今年は、生誕250年の年との事なので、その交響曲を番号順に聴いてみた。

何れも、所謂ベートーヴェンという人のイメージとは随分と異なった作品群でこあるけれども、真心のこもった音楽だ。

どの録音で聴くかによっても、随分に印象の変わる音楽だとと思う。

今回は、今から10年ほど前に、カナダのフランス語圏の若い音楽家と学生によって編成されたオーケストラの実況録音で聴いた。

時々下手で、屡々上手。

そんな演奏で、特に4番が水を得た魚となっており、交響曲の中では最高傑作とされる8番も広々としていて心地好い。

一方で、3番、7番は、もともとベートーヴェンの筆が鈍いらしく、パットしない音楽だと思った。

9曲中、恐らく、今日、最も蔑まれている5番は、時に運命と渾名される事もあるのだけれども、改めて聴くと大変に立派な音楽で、緊張と弛緩、凝縮と解放の見本市。

演奏もそれに真正面から取り組んでいて、心から素直に嬉しい音楽だった。

最後の9番は、とても色彩豊かな音楽で、音の重なりの美しさが全て、といった趣のある音楽。

画家に例えるならモネだろうか。

今回聴いた録音は、確かに一流の演者によるものでこそないけれども、色の移ろいの妙は卓越していて、やっぱり、ベートーヴェンの音楽をやるには、フランス語の語感が必須なのかな、と思わされた。

処女作の1番は、ベートーヴェンの交響曲の中では最も格調高い音楽で、大人の味わいがあるものだけれども、ここは演奏者の若さが勝っていて、浮き足だって前のめりな演奏が、ベートーヴェンの本性を炙り出す。

続く2番は、センチメンタルな音楽で、一見、ユース・オーケストラに最も填まった音楽で、演奏もそれに少しも違わない。

それなのに、ちょっと肩透かしに感じたのが、自分でも意外であったのだけれども、こういう音楽は、練達の大人が臆面もなく演じた方が、感傷的に響くのかも知れない。

田園交響楽(6番)は、これだけ別の演奏団体ではないかと思うくらい熱量が低くて、とても観念的な音楽に聴こえてしまったので、ベートーヴェンを聴いているというよりは、格調高い古典作品でも聴かされている様な気分になり、やや退屈だった。

改めて、9曲を聴いてみると、ベートーヴェンにとって、交響曲という器は、必ずしも居心地の好いものではなかった様に思う。

まるで戦場じゃないかと。

そこに刻まれているのは、果敢に挑んで勝利した歴史なのか、はたまた敗北した歴史なのか。

何れ、ベートーヴェンという作曲家が、今日余り評価されない一因は、交響曲にありそうだ。

心から素直に楽しめる音楽ではなくて、ベートーヴェンに同情せずには聴けない気がした。

そういう不完全さは、個人的には嫌いではないし、寧ろ、美しく愛しい。

人類の歴史の片隅にひっそりと咲く徒花。

ベートーヴェンの交響曲というのは、きっとそんな音楽なのだろうと思う。

いたいけだ。

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