LP:流れよ、我が涙~デラーのダウランド
1977年、デラー晩年、65歳の折の録音。
カウンター・テナーは、今でこそ当たり前となっているけれども、全てはアルフレッド・デラーから始まった、と言ってもいいくらい、決定的な存在だ。
音楽界において、20世紀の後半に最も飛躍的に進化した技巧は、ファルセットであったかも知れない。
今では、あらゆる分野の声楽家が、当たり前の様にファルセットを使いこなしている。
女王蜂を聴いても、凛として時雨を聴いても、その声の魅力は、とても中性的なんて言える様なものではない、確立された芸術品だ。
多くの日本人にとって、カウンター・テナーとの決定的な出会いは”もののけ姫”であったと思うのだけれども、米良美一の声と比べても、デラーの声はやや不安定で、中性的な異質さの強いものである。
だけれども、65歳にして、これ程にファルセットをこなせる歌手は、今後もそうは現れまいとも思われる、驚異的な記録でもある。
伴奏を務めるロバート・スペンサーとコンソート・オブ・シックスも、所々、苦しい場面もあるのだけれども、それすら、古雅な味わいと聴かせてしまう、恐らく、最後の世代だ。
ダウランドの音楽は、英国の音楽が最も輝いていた時代の末期に当たる。
この後も、英国は長いこと、音楽産業の中心地として世界に君臨し続ける事にはなるのだけれども、パーセルの死をもって、自前の大作曲家を輩出する事が久しく出来なくなってしまう。
英国音楽が再び栄光を取り戻すのはエルガー以降で、決定的な復活はブリテンという大才の出現と、ビートルズの登場、20世紀になってからという事になるだろうか。
ダウランドの代表作は”流れよ、我が涙”は外せない。
ビートルズの如何なるレコードよりもヒットした、と言ってもいいくらいに、17世紀にはヨーロッパ大陸中でポピュラーとなった作品で、作曲家本人は勿論、様々な作曲家が編曲して、色々なヴァージョンが残されている。
ただ、レコードを通じてダウランドの音楽が本格的に聴かれる様になったのは、ビートルズが活躍した時代と同じか、それよりも少し後の事だから、聴きようによっては、ダウランドの方が新しい音楽とも言えなくもない。
LPにして3枚組、今ならCDで2枚組となっているし、そもそも、配信で聴く人の方が多いのだろう。
正直に言うと、デラーの声は、昔から苦手だったから、レコードを買う積りはなかったのだけれども、もう需要がないのか、酷い値で売られていたのが哀れで、ついつい買ってしまった一組。
やっぱり、器楽だけの作品の方が、より心を打つ。
ダウランドの歌曲のアルバムには、もっと純度の高いものが幾つもあるのも承知している。
それでも何だか、時代の空気感みたいなものが、ちょっと懐かしくて、結局、全部通して聴いてしまった。
デラーの歌声を拒絶する何物もまた、無かったのだ。
ダウランドの音楽は、17世紀の初頭のものには違いない。
けれども、晩年のデラーの音楽としては、確かに、20世紀の音楽だった様に思う。
それも、録音された80年頃ではなくて、60年代くらいの味わいの、残り香がある。
それがレコードのサウンドというものだ、というのはオーディオ界隈に任せておくとして、デラーという人の声、歌い回しは、20世紀のど真ん中をずっしりと背負っているのだな、とつくづく思う。
恐らく、デラーがいなくとも、カウンター・テナーの復活劇は、他の才人によってきっちり演じられたに違いない。
それが、時代の色であったから。
デラーは、時代を切り開いた名歌手だ。
だけれども、それは同時に時代に選ばれた名歌手という事でもある。
90年代も最後の年くらいに、バッハ・コレギウム・ジャパンの公演に参加していた、米良美一の歌声を聴いた事があった。
あの頃は、絶頂期だったから、ソリストの中でも、一人だけ突出した歌い振りで目立っていたのを、今でもよく覚えている。
それは、圧倒的というべきなのか、足並みを乱していたというべきなのかは分からないけれども、兎に角、彼は寵児であった。
そして、ハイトーンを売りにする歌手の演奏家としての寿命は、残酷な程に短い。
その点、デラーは、意外にも低音の人であったのかも知れない。
すっかり枯れた、少し不安定な声ではあるけれども、ダウランドの郷愁を歌うのに、然したる不足もなさそうだった。
否、デラーの前には、ダウランドの方こそ若過ぎるのだ。
デラーの全盛期はどんな声であったのだろうか。
その圧倒的と言われた美声を聴かずして、デラーを語ることなど、到底許されまい。
モノラル期の名盤を、探さざるを得ないだろう。
何時だって、お買い得品は、結局、高く付くものだ。