CD:グラウンのヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲

ヨハン・ゴットリープ・グラウン(1703-1771)という作曲家の事も、ヴィオラ・ダ・ガンバというヴィオール属の楽器の事も、知っているという前提で書いたら、不親切か知ら?

グラウンという人は、バロック音楽の終焉と次の古典派の時代の幕開けとを体現した様なドイツの作曲家、ヴィオラ・ダ・ガンバは、バロック音楽の時代に隆盛を極め古典派時代には廃れてしまった、チェロに似ているけれどもギターの様にフレットのある楽器。

バロック音楽は、パッヘルベルのカノンみたいな音楽の時代、古典派は、所謂クラシック音楽、ボッケリーニのメヌエットみたいな音楽の時代。

それじゃあ、大雑把過ぎるかな?

ピゼンデルやタルティーニに師事し、フリーデマン・バッハにヴァイオリンを、フランツ・ベンダには作曲を教えた人だと言ったら、その凄さが分かって貰えるだろうか。

ピゼンデルやベンダが分かる人には、今更、グラウン兄弟(弟も著名な音楽家だった)の事なんて常識だろうけれども。

逆に、タルティーニも知らない、フリーデマンがセバスチャンの長男とも分からない、となると、取りあえず聴いてみよう、という言うしかない。

そんなグラウンのヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲は、正に、この時代のこの地域の音楽を象徴する様な作品で、過去と未来が激しく交錯する、ゆく年くる年感満載のコンチェルト。

なんて書くと、どんだけドラマチックな激しい音楽なんだと思われそうだけれども、例えば、ハイドンとモーツァルトの音楽に余り違いを感じない耳で聴いたら、ただのクラシック音楽だし、バッハとワーグナーの違いも定かでない人には、ただの音楽、という作風。

だから、グラウンの音楽に、無限のドラマを感じなさい、と言うつもりはない。

誰にも、その人にとっての一大事があるのだから、その中にグラウンが居らねばならぬ道理はない。

端的に言うと、グラウンのヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲は、そういう音楽。

前期古典派の音楽は、シンプルで耳辺りが好くて心に深く留まる程のものじゃない、という音楽がとても多い気がするのだけれども、そんなステレオタイプの中に収まりながらも、臓腑をちょっと揺さぶる雰囲気がある。

今回は、クリストフ・コワンのアルバムで聴いた。

まぁ、この手の音楽が好きな人でコワンの名前も知らないなんて輩は皆無だろうから、今更、何も言うことないのだけれども、予想通りの好い演奏。

取り分け、イ短調の方の協奏曲が好かった。

そして、曲によっては、やっぱり、ただのプレ・クラシックの音楽にしか聴こえなかった。

詰り、私の耳はそういう程度の耳です、という話。

音楽を語るという事は、作品を計るという事ではなくて、作品によって自分の耳の程度を暴くという事だと思う。

だから、今の自分には、グラウンのヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲が、この程度に聴こえたという事の方にこそ、客観性がある。

自分の知らない世界について知ろうとする時に、他人の意見をどの程度参考にするかは、人それぞれだと思うけれども、私の場合は、かなり参考にする方だ。

そして、参考にする為には、先ずは、その先達のあり様を探る所から始めねばならない。

褒めているとか、貶しているとか、そういう結果は、本当の所、余り大事じゃない。

その人の立ち位置が、今の自分とどのくらいシンクロするのか、或いはしないのか、それこそが、効率的に新しい世界から自分のお気に入りを掴み取る近道だ、という事を、膨大な回り道をして、やっと少しだけ解って来た。

そして、その先達について理解するには、ダイレクトにその世界を知る事よりも、時には骨の折れるものだという事も。

近道も、結構、険しい獣道だったりする訳だ。

王道も邪道も、案外、コンクリートロードとは限らない。

だから、ここで本当に言いたいのは、グラウンの音楽の魅力ではなくて、グラウンの音楽にもっと人生を掻き乱される様になる為には、この先、どんな出会いが必要なのか、そのヒントを誰か下さい、という事。

今、貴方の耳には、どの様な音楽として、グラウンのヴィオラ・ダ・ガンバ協奏曲は届いていますか?

私には、ヨハン・ゴットリープ・グラウンの音楽が、18世紀のドイツを代表する様な、特筆すべき大天才とは、残念ながら思えていない。

そういう判断が早計ならば、次の一手は何でしょう?

或いは悪くない見立てだったとしたら、グラウンの時代に活躍した、真に聴くべき大天才は誰でしょう?

私には、ハイドンという作曲家はもう別格中の別格で、大バッハもやっぱり大才中の大才なのだけど、この間の時代を代表する大天才が誰なのか、正直、見当が付かない。

ただ、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器が好きで、しかも、その衰退期の時代の音楽が好物だから、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器が最期の輝きを放ったとびきりの瞬間に出会したいと思うのだけど、それが、居そうで居ないのだ。

カール・フリードリヒ・アーベル?

それなら、やっぱり、ヨハン・ゴットリープ・グラウンだ。



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