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#6 「わかり合えない」を、わかり合う【週刊自室】

「遊び誘って〜今月は暇だよ〜」

 ポリくんから1ヶ月ぶりに連絡が来た時、僕は正直戸惑った。
 これ以上彼と会話しても否定的感情が募るだけで得られるものは何もないと思っていたし、その気持ちはポリくんからしても同じはずだった。

 最後に彼と会ったのは3月の半ばで、僕と彼は「恋愛の気持ち悪さ」をめぐって衝突した。なんとも青年期らしい話題だと思われるかもしれないが、その実ぶつかり合っているのは3月いっぱいで高校を中退することが決まっている進路未定の18歳と、小学校6年生の頃から不登校を貫いてそのままバイト労働をしている18歳である。
 乱暴に言ってしまえば僕たちはどちらも「マトモな青春」を送ることができなかった人間なのだ。お互い頑張って生きてきたのは確かだけれど、瑞々しさはとうに失われてしまった。
 僕と彼との間で立場が異なったのは、僕が「恋人はいたら楽しいだろうが、そのための努力によって自分を殺すくらいならひとりで楽しく生きていく方法を探す方がいい」と主張した一方で、彼は「恋人が欲しいのに男磨きをせず、あげくひとりで生きていこうとするのは男らしさから逃げているだけだ」と僕を叱りつけたことだ。
 僕はいい加減、彼の「恋愛信仰」ともいうべき絶対的な価値観の提示にうんざりしていた。
 けれど、高校での失恋によって恋愛を諦める方向に舵を切った僕のことが、彼からすれば果てしなくダサく見えているのだろうということは彼の言動からはっきりと分かった。
 彼は、僕を孤独から救い出そうとしていたのだ。

 なぜ彼と僕がそのような非対称の関係性に陥ったのかといえば、それはそもそも僕自身が彼にそういう役割を求めたからだった。

 ポリくんと僕は小学校からの知り合いだった。共通の好きなゲームがあって、僕たちはそれを通じて細くつながっていた。
 彼が不登校になってからは全く会っていなかったが、高校1年生の夏休みに彼が自宅に来訪したことをきっかけに、僕たちは断続的に連絡を取るようになった。
 そして高校2年生の冬にコミュニケーションの不得手によって心を病んだことにより、僕はほとんど学校に行かずに自宅とクリニックを往復する日々を送りはじめた。
 周りの意識が大学受験のモードに切り替わるにつれ、僕の意識は人生の軌道修正への強迫観念と、学生生活からのドロップアウトによる絶望とを行き来するようになった。
 受験勉強に打ち込む友人たちとの精神的な距離を感じながら、僕はこの途方もない孤独を押しつけるようにしてポリくんと遊ぶようになったのだ。
 15歳で就労することを選んだ彼にとっては、大学受験など関係がなかった。僕は、学校を離脱してもなおいきいきとした人生を歩む彼との交流の中にこの閉塞した牢獄から脱出するための鍵があるはずだと信じて、彼に縋ることを選んだ。

 だから、この関係において僕が彼に救われる側であり、彼が僕を救う側であるということはこの時点で決定していた。実際、僕は彼にその旨を確認していた。

 ところが、ポリくんと交流を重ねるにつれて、どうやらこの関係の中に救いはないということが少しずつ分かってきてしまった。
 彼は、僕が最も嫌悪する世界観を生きていたのだ。

 彼の話すことを聞いていると、どうやら彼の中には「男磨きをすることで理想の彼女を手に入れる」という図式に対する終わりのない執念が潜んでいるようだった。
 僕と行動を共にしている時、彼はしきりに筋トレと美容行為(化粧や脱毛を含む)の話をするし、街できれいな女性を見かけると「あの娘めっちゃかわいくない?」と共感を求めてくることもある。今は恋人がいるらしいが、以前は男女2人組を見かけると小さく恨み言をつぶやくくらいには恋人を欲しがっていた。
「俺の顔、彼女いてもおかしくなさそうに見える?」と訊かれたときには参った。あいにく僕はそれを判断する技能を持ち合わせていなかった。

 僕には一時期、彼が恋愛至上主義の価値観に苦しんでいるようにさえ見えていたけれど、どうやらそうでもないみたいだった。
 彼は、この価値観を楽しんでいる。
 僕にはとうてい為し得ない芸当だが、彼は恋愛というドグマに殉ずることで幸福になる道を選んだのだ。
 その世界においてはジェンダー規範が絶対的な正しさを定義する。男性は男らしくあることによってこそ肯定され、彼らは魅力的な(聖母かつ娼婦としての)女性と番うことによってこそ磐石の幸福を獲得できるものとされる。
 というのはやや冷笑的な言い方だが、ともかく男は男らしくあることで幸せになれるし、そこから逃げるのは「男じゃない」ということだ。
 彼はいつも僕をloftやドラッグストアのコスメ売り場に連れて行き、「せうりく(僕)も化粧しなよ」などと僕に「男磨き」を勧めた。ほんとうに耳に障る言葉だ。
 一緒に遊ぶくらいなのだから僕も彼の趣味に付き合うべきだということはわかっているつもりだったが、僕はクリニック通いになってからしばらく自分の容姿と格闘していた時期があって、もうこれ以上見た目に凝るのはこりごりだった。
 僕は毎回「今は生きるので精一杯だから......」などと適当に言い訳した。でもそれは、彼からすれば「逃げ」でしかない。

 僕が外見至上主義を克服しようとする一方で、彼は外見至上主義を内面化していた。
 僕が恋愛至上主義を捨て去ろうとする一方で、彼は恋愛至上主義を味方につけていた。
 これは、僕たちの生存戦略の違いだ。

 そういうわけで、3月の日に意見がすれ違った時点でてっきり僕はポリくんに愛想を尽かされたものだと思っていた。
 ポリくんに僕は救えないし、僕もポリくんに救われたくはない。
 これ以上僕たちが会って言葉を交わしたところで、お互いに何にもいいことがないのだ。
 しかし、ポリくんは1ヶ月経ってまた僕に連絡を取ってきた。
 まだ僕のことを見捨てていないということなのだろうか。
 ならばあとはもっとぶつかり合うだけだ。
 僕はまた彼と会うことにした。
 僕はもう今のひとり気ままな生活に満足してしまっているから、ポリくんが僕を救う必要はない。むしろ僕がふたたび孤独な状態に陥らないためには、僕と彼との繋がりは邪魔であるとさえいえる。なぜなら、ポリくんは僕が孤独であるという前提の上で僕を救おうとしているからだ。
 僕は最後に、彼と互いの思想を確認し合おうと思った。


 当日の朝にLINEでポリくんと集合時間を確認した時、僕はもう嫌気がさした。

「ヘアセットしてきなー?」

 以前ならお洒落のために夜帰ってきたあと頭を洗う面倒さを受け入れるのは容易だった。でももう今の僕にとっては、身だしなみというのは「ラクな範囲で自分を楽しむ」程度のものでしかない。人に言われて髪の毛を固めるなんて、信じられない(仕方ないのでセットしたけど)。

 昼過ぎにポリくんと対面し、まずは僕の要望で藤沢へと出発する。
 出かける先はいつも会ってから決めた。僕としては一日中近所を散歩して駄弁るだけで満足なのだが、彼は賑やかな場所で楽しいことをするのが好きなので、いつも列車でどこかへ行く羽目になる。
 僕が藤沢を選んだのは、駅の近くにある藤沢名店ビルに行ってみたかったというだけのことで、たいした動機はない。

「つまらなかったら申し訳ないけど、僕は(ポリくんにとっての)つまらないものが好きなので」
 ポリくんに断りつつ、ビル内の有隣堂と近くにあるジュンク堂を巡る。
 本屋は比較的静かな場所だし彼は興味がないだろうが、僕は賑やかな場所にいるとありえないほど心が荒んでしまうので許してほしい。
 ポリくんは最近韓国語の勉強に熱心ならしく、単語集を開きながら楽しげにその話をしてくれた。
 僕も僕で、最近関心を持っていることについて彼に話してみることにした。話せば絶対にこじれることは分かりきっていたが、いまさら彼と無難な時間を過ごすくらいならこじれるほうがマシだ。

 僕の最近の関心事は、身の回りのさまざまなコンテンツが「かわいい女の子」イメージに侵食されつつあることだ。
 アニメや漫画はもちろんのこと、小説や実用書のカバーにもかわいい女の子の姿が現れることが多々あるし、ネット上には女の子のかわいさを売りにした画像や動画が溢れている。
 まるで「女の子がかわいければもうそれでいい」と言わんばかりだ。
 「かわいい女の子」が氾濫するこうした光景は、正直言って退屈でしかない。「かわいい女の子」イメージの提示によって、数々の繊細な問題が暴力的なまでに有耶無耶にされている気がしてならない。

「やたらいろんなものにかわいい女の子が使われてるのってどうしてなんだろう?」

 僕はポリくんにそういう話をしてみた。
 反応は非常に彼らしいものだった。

「それはね、マーケティングを勉強すればわかるよ」

 もうすっかり理解していたことだが、ポリくんにとっては「かわいい女の子」がこの社会の支配的概念であるというのは何ら不思議でないことであって、「売れるから女の子を使う」という以上のことは考えるだけ無駄なのだ。
 なぜなら、彼は自分自身がかわいい女の子を好いていることに対して何の葛藤も抱いていないからだ。
 彼はそれほどまでに純粋に恋愛という主題を指向していた。僕は不器用者の一人として、幸福に対する彼の器用なアプローチに素直に脱帽した。
 不透明な話を続ける僕に、ポリくんは痺れを切らして言った。

「一旦結論を出そう? せうりくは女の子が好きなの? 嫌いなの?」

 僕は考えた。これはそんなに簡単な問題じゃないはずだ。けれどもそうやって物事をやたら複雑化して苦しみたがる僕の癖は、彼にとってはバカらしいひねくれでしかない。
 僕は世界の複雑さを悩むのが好きだ。
 彼は世界の単純さを歓ぶのが好きだ。
 悩むのが好きとはなんという倒錯だろうか。それに比べてポリくんは遥かに賢い。
 僕は否定と肯定の内なる応酬に苦悶しながら、なんとか結論を出した。

「僕はね、多分、ポリくんのことがあんまり好きじゃないんだと思う......」

 それは、僕なりの、精いっぱいの折衷案だった。

 僕にとってポリくんの価値観はとうてい受け入れられないものだけど、彼は自分自身の幸福をほんとうに真剣に考え抜いた末にその解釈にたどり着いたんだ。僕が彼の世界観にちょっかいをかけることは絶対に許されない冒涜行為であるし、何より自分自身の幸福を真摯に考えることを重要視しているのは僕も一緒だった。
 僕とポリくんは、究極的には同一の目標に向かう仲間だ。
 だから僕たちは、これ以上互いを否定するべきではない。
 ひとり閉じこもってきた僕には、彼と健全に対話する方法がわからない。それでも僕は、彼と和解したかった。だから、僕のようなひねくれた人間にはポリくんの持つたくましい思想が理解できないということを、僕なりの言葉で伝えるしかなかった。
 僕はとても不安だった。でも、彼は優しかった。

「あっはは、やっぱそうだよね、何もかも違うもんね、俺ら」

 ポリくんは、僕の出した答えを笑って受け入れてくれた。
 僕は、彼に許された。
 僕は、彼を許した。

 僕たちは互いに、わかり合えないことを、わかり合った。

 僕たちはその後、横浜に行った。コスモワールドに行きたいというポリくんの要望を叶えるためだった。
 祝日のテーマパークなど、混雑するに決まっている。
 それでも僕は耐えることにした。もう二度と、彼とは遊べないだろうから。

 僕らは1時間並んで観覧車に乗った。ちょうど夕暮れの頃合いで、柔らかな夕陽が街の空気をじんわりとつつみこんでいた。
 僕たちは透明な箱の中で、すなおな幸せを噛み締めた。


 僕には、大嫌いな友人がいる。
 彼とは趣味が合わず、価値観が合わず、思想が合わない。
 もう二度と、関わりたくもない。

 だから彼は、僕のたいせつな友人だ。

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