行ってしまった最終列車をホームでずっと待っている。

いつもより1駅手前で降りて、ゆっくり帰ろう。
そう思うことが、心の余裕なんだと思う。

自分の人生のモットーは「どんなときも、心に余裕を、顔に笑顔を」

「よく笑っていていいね」と初対面のときに言われたの、地味に嬉しかった。
持病でこの世を去られたのが残念だ。落ち着いたら、お墓に手を合わせに行きます。

どんなに忙しい時でもにこにこしている人が身近にいた。
不思議だったから聞いてみた。「どうしてそんなに笑っていられるの?」
「特に意識してないけど、イライラしても忙しさは変わらないでしょ。」と。

仲良くなってから色々とお話をした。
わかったことは、苦労の多い人生だったこと。
その苦労を笑顔で隠しているようだった。

苦しいときほど、よく笑うといいと思う。
起こっている顔やイライラしている顔は、見ていて不快だ。
不快というか、幼稚に見える。

話を冒頭に戻そう。

人に言われた何気ない一言って地味にココロに残る。
特に自分が気にしてる部分に触れられたときなんて。

それを感じたとき、人の容姿を褒めることが苦手になった。
本人がコンプレックスと感じているとこを褒めると逆効果だとどこかの雑誌で読んだから。
知らず知らずのうちに「気を使う」を習得してしまったのかもしれない。

ビジネス書には、ネクタイを褒めるとき「いい柄のネクタイですね」ではなく「ネクタイのセンスいいですね」と褒めれば商談がうまくいくと書いてあった。
褒める対象を「モノ」から「ヒト」へ、ということらしい。

うん。それでいい。

今では「センスがいいね」が口癖だ。

どうだろう。
少しは「気を使えるオトナ」になれただろうか?

自分の性格を意図的に湾曲させている。
それが社会で生きる人間の宿命で、相補性を望むリリンの宿願たる願いだと理解して、今日も生きている。


貴方は明日、どんな貴方になっているだろうか?


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