雨で始まる映画、ラストシーンはだいたい晴れてる。

将来、まかり間違って映画監督をやることになったら、エキストラやモブキャラにもすべて名前をつけてエンドロールで流して、観客を困惑させたい。「こんな人出てたっけ。。?」「この人はだれ?」

昔から、「教師A」とか「通行人B」とか「警官C」といった表記に違和感を覚えていた。
実写なら演じる人が、アニメなら吹き込んだ声の人がいるのに。
名もない役を演じるのは、少しだけ虚しくないのかなって考える。

幼稚園の劇で「木」の役のような、虚しさが。

だから命を吹き込む役には、名前を授けたいと思う。きっと。
そしてその小さなこだわりに気付いてほしくて、エンドロールにクレジットする。

サブスクライブサービスに加入してから、エンドロールまでちゃんと見ることが減ってしまったと反省している。
演者の本当の名前、携わったスタッフ、関連会社、ロケ地、使った機材なんかもわかるときがある。
作品に没頭して世界観に飲み込まれたとき、現実に引き戻してくれるがエンドロールだと思ってる。
そして現実世界に引き戻されるときのギャップが激しいほど、作品に引き込まれていて優れた作品であったと思っている。

そんな作品を作れるようになりたいと常日頃思っている。
このnoteだって、少しだけ自分の考えを誰かに引き込めるように頑張っているつもり。

話を膨らませよう。

演劇を見に行ったときの、カーテンコールが好きだった。
ステージ上の人が、カーテンコールだけは「役者」から「演者」で登場する。悪役で大層、憎たらしいと感じていたあの人が笑顔でお辞儀をしていると、演者として好きになる。

やり直しが効かない舞台の上で、何時間も役になるのは素晴らしい。本当に。

舞台という非現実と日常という現実の狭間にいるのが、舞台で言うカーテンコールで映画で言うエンドロールだと思う。

椎名林檎もアーティストとしては珍しく、ライブの最後にエンドロールを流すことがある。そんな彼女が好きだ。

話を最初に戻そう。

すなわち役として、名もなき役はひとつもなく、誰かが命を与えていることを最後に表現したい。
それが人で言う「名前を与える」ということなのだろう。

そして自分の人生のエンドロールの最初に出てくる名前は、生涯愛した人でありたい。


もちろん、最後に出る総監督の名は、自分だ。


貴方の人生のエンドロール、最初に出てくるのは誰かな?


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