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23で結婚したい女は時代の化石



「23歳で結婚したい」と語ると、時代遅れを感じるのは気のせいでしょうか。


私の母は短大を卒業後、23歳で結婚し、25歳で私を産みました。
同級生のお母さんたちと比べると若い母。
「ひーちゃんのママきれい」
そういわれるたびに誇らしかった。
小学校の頃から、母と同じように若くして結婚し、若いママになることが夢でした。

ところが大人になるにつれて、若くして結婚することがどれほど大変か、身に染みて分かっていきます。
国立大学を卒業したときすでに私は22歳。社会人一年目という不安な経済状況で結婚できるのか、ましてやほんの数か月前までは、結婚を考えるような相手もいませんでした。
大学入学後、この目標は
「10年付き合った人と23で結婚することが夢だった」「だけど現実をみて2歳繰り上げて25にする」と、ひとつのネタになりました。笑いになるほど、私の世代では「若いうちに結婚すること」は非現実的なものなのです。
そして非現実的なものになる理由は時代にあります。

社会学を専攻すれば、一度はジェンダー学やフェミニズムについて学びます。
「女性の社会進出」「家事や育児は女性だけの仕事ではない」「女性自身も良妻賢母好きをやめてみる」
社会学生として、一人の女として、「働きたい女性が働ける環境」になり、「子育ては両親2人がするもの」になるのは望ましいことだと思いました。自分が歩むかもしれない道を支えてくれる福祉や制度ができることを嬉しく思いました。

だけど一方で、仕事よりも家庭を持ちたい自分がどこか否定されているようにも感じていました。
「女性の社会進出」は「女性は結婚や子育てよりも仕事をしろ」と言っているわけではありませんが、世の中で話題にあがるのは仕事をする女性たち。いわゆる「良妻賢母」が「素晴らしい」ともてはやされる場面はもはやみられないどころか否定される時代。

若くして結婚するという夢がネタになるのは、
仕事より家庭に憧れる女性は時代に反しているからだと思います。時代に反しているこの夢は、非現実的で、めずらしくて、おもしろいのです。

「多様性」を大事にする世の中で、今まで生きづらかった人の声が届くようになりました。社会がよりよくなるための一歩です。
でも、「多様性」は自由に見えてとても危ない言葉だと理解している人はどれほどいるでしょうか。
その主張で紡がれる言葉は、誰かの気持ちを否定していないか、その発信者以上に第三者が考えるべきだと思います。


否定されたような気持ちになったのは、「若くして結婚する」ことが現実味を帯びたからです。
大学に入るまでに、私の夢には「23で結婚すること」以外に「やりたい仕事を死ぬまですること」が追加されました。
現在の恋人ができる前は、「仕事」に比重が置かれていたし、今も現在進行形で第一志望の会社に入るべく就活中です。
でももし第一志望に内定をもらえなかったら、新社会人の彼についていく道も考えだしました。
なぜその道が誕生したのかは、話が反れるのでここでは書きませんが、言いたいのは、
新卒入社せず彼についていくことは時代に反しているし、それ故同世代の友人からの共感力はゼロだし、そうなるとこの道を考えていること自体が否定されているような気分になるということです。

そもそもバリバリ出世キャリアが欲しいわけでもないし早く結婚したかったし、仕事は山ほどあるけどこんなに大切に想える人はこの先出会う保証はない。それに私の場合、彼についていったところで「やりたい仕事」が断たれるわけではない。「男で選んで後悔しないか」と言われたこともあるけど、自分で決めた道なんだから、後悔しないように生きるしかないと思ってる。

(実際それを言った友人には「ひそかはどんな道選んでも後悔しないように頑張れると思うけど」と言われて少しホッとしました。)

こんなふうに、自分の中で「ついていくこと」への整合性は取れているけれど、どうしても拭えない時代遅れ感。



「人生でいちばん、好きな人となら、幸せになれますか?」
『隣人の愛を知れ』(尾形真理子)の帯に目が留まりました。去年買った本を読み返しました。
幸せになれるかなんて考えるんじゃない、幸せに「なる」努力をするんじゃないか、と、少しの憤りを感じながら。

「結婚が前提の女の人生なんて、化石みたいな価値観だと知っている」

一度目に読んだときには全く響かなかったセリフ。
私の夢は、やっぱり、時代遅れか。
この章のサブタイトルが「わたしを含め、すべての人に幸福を」である以上、作者の尾形さんはこのセリフを吐いた女性を肯定しているはずだけど、それでも「結婚が前提の女の人生」を否定されたような気持ちになりました。

モヤモヤした気持ちを抱きながら読み進めました。
一度目に読んだときはこんな気持ちにならなかったのに。むしろ、登場人物それぞれの価値観や尾形さんのワードセンスに「深いなぁ」なんて感心し、わくわくしていたのに。
本ってそのときの自分の状況によってメッセージが変わるのでおもしろいですね。

最終章、このモヤモヤは同じ人物のセリフで晴らされることになります。

「好きだと思える自分になればいい。」

これは、会話相手の
「なりたいと思えたなら、あきらめるのは勿体ないじゃないですか」
を受けての彼女の考えです。

どちらのセリフにも、ハッとなりました。
時代遅れに捉えられても、私がなりたいのは、彼の隣にいて好きな仕事をする私。
この先どんなことがあるかは予想できないけど、自分のことを好きでいられる自分でいられるのなら、どんな選択をしても間違いはないと思いました。



「23歳で結婚したい」私は時代遅れかもしれないけど、それでも、それがなりたい私なのだから否定されたような気分になる必要ない。
これが、いったんの私の結論です。

ご一読ありがとうございました!

あとがき
本を読んでモヤモヤが晴れるのは、覚えの限り2回目。
本を読む心の余裕があってよかったー
この本、本当に言葉の紡ぎ方が素敵で。
一回目、二回目通して付箋を貼った文は
「思えば年齢も、性別も属性も、生きる本質に比べたら、取るに足らない要素なのだ。それぞれが懸命に生きていると知れば、気にする必要などないのだ。」
と、上記で書いた後半二つの文。
今回新たに付箋を貼った文は、
「一緒にいて楽しい人、気が楽な人、安心できる人なら、たくさんいる。だけどどんなときでも、隣にいることが嬉しいと思う人は、この世界に直人しかいないのだ。不機嫌な態度にやるせないときも、手を繋いで眠るときも、その嬉しさは困ったことに変わらないのだ。」
いくら彼氏でも2日連続で会うとか無理だ、と思っていた私が今の人とは半同棲状態。本当の恋を知った(笑)今の私だから印象に残ったんでしょうね。







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