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当たり前にできることがみんなの当たり前ではないということ

月曜朝10時。駅のカフェでモーニングをしている。

4週連続で月曜日にこの店に来ている。今日で4日目。3日の壁を乗り越えたので堂々言わせてもらう。これが月曜日のモーニングルーティーンだと。

ただ今日はいつもと違って、このあと仕事はない。
帰省するのです。

月曜日、ましてやゴールデンウィーク明けのこの日に、仕事ではない優越感たるや。連休中は地獄みたいな勤務だったけど、やっぱり物事は裏返しだな。

とはいえ、本当は仕事をしているはずでした。連勤で溜まった疲れが爆発して仕事中に泣いてしまっていたので、店長に休ませてほしいとお願いしました。だいたい1週間くらい休みます。

休むって言ってもあの忙しさに戻ることができるのか?と思うし、家に帰っても涙が止まらないので、ああ、もういなくなりたい、もう何もかもどうでもいいと言う気持ちでまさに絶望でしたが、1日ベットで仕事のことなど考えずにのんびりしていたら、だいぶ回復しました。人間の生命力。本当にすごい。

それでいつもより楽しみな帰省ですが、カフェの中にいる人を見ていると、ノートパソコンをしかめっ面で覗き込んでいる会社員らしき女性がいて、大変そうだなと思った。

そして周りの人たちを見回してみると、スマホを見てニヤニヤしていたり、落ち着いた感じで普通にコーヒーを嗜んだり、落ち着いたトーンでお喋りをしているおばあちゃんたちがいたり。今日は女性客が多い。

ストレスを抱えていそうだったり、イライラしてそうだったり、つまらなそうだったり、嬉しそうだったり。

私ってこう言うのを読み取る力にたけてるのかもしれないとおもった。

カフェでもめっちゃ使える能力。

ただ、そういうのを読み取ろうとしなくても感じ取ってしまうので、いいお客さんのなら伝染していいのですが、悪態をつく客の場合はそれに飲み込まれてしまうのです。

だから、接客業で人と話すことはとても向いているし、人との関わりが持てて、社会の役に立って、直接笑顔にできる。その反面、毎日この生活は辛いなぁと改めて痛感しました。

自分が当たり前にできることは、他の誰かにとっては努力のいることだったりする。どんなことにも言えると思う。

これをいかせて、なおかつ自分が健康で幸せに生きれる選択をしていきたいと思った。

さあ、ゆっくりしてくるぞ〜

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