日常から離れて
パリ行きの飛行機内で書いている。
私はこれまで17年携わってきた菱刺しの仕事で、海外の展示会へ出展できるという機会をいただき、それに挑戦してみたのだ。
本来ならもう少し早めに原稿を済ませる予定だったのだが、出張支度であれは持ったか、これも必要かと、せかせかとしてしまい、執筆が進まなかったのだ。
22年ぶりの海外行きで、しかも仕事ときたら事前準備をいくらやっても不安だ。
もちろん仕事なので子どもたちはお留守番。子は宝、とてもかわいいし、命より大事と思っている。子どもを置いて行くなんて母親失格と言われそうだ。
しかし、それぞれの子たちの予定を把握して、弁当やら送迎やらして世話を焼いていると、彼らの中ではそれが当然になっていく。慣れ合い、それは親子間だけではなく夫婦間でも、はたまた会社内などでもあり得るかもしれない。
お互いこの機会に成長してみようと考える。急に頼る存在がいなくなったら自分の頭を使ってどうにかするしかないだろう。遅刻しそうな時は何を最優先するのか、母親がいない夜をどう感じるのか、朝はきちんと起きれるか。そういう体験をさせてみたかった。失敗してもその経験が、自立して一人暮らしする時に役立つのではないかと思う。必要な機会かもしれない。
私が出発する朝、家族のみんなの顔がこわばっていた。おなかも減らないけど、子どもたちにしっかり朝ご飯を食べようと常日頃言っているので、私も取りあえずは食べるが、なんだかそわそわ。別れ際に子どもが「なんか緊張するね」と言った。言われてみて初めて気づいた。みんなこのしばしの別れに緊張している。ご飯も喉を通らないほどに。
そうだ、その昔、旅は命懸けだったはず。
交通手段も増え、道中も快適になった現代さえ、日常から離れる旅というものはドキドキする。
思えばここ数日、やり忘れていたことを片っ端から片付けた。その一つが大豆の脱穀だった。ここ数年、空き地では大豆を育てている。痩せた土地でも良いし、そんなに手をかけなくても良く育つと義父から教えてもらった。毎年雑草をかき分けて10月に収穫し、いつものことだが、その時期は忙しいので、逆さにして乾燥させる。そして雪が降ってから脱穀する。
それが今回は年が明けてからとなった。幸いにもウソみたいに暖かい日だった。ブルーシートを敷いてリンゴ箱の上で手づちを使ってはたいたり、一つずつ割ったり。衣服も手も土ぼこりで汚れた。
真っ白な大豆の収穫量は1㌔ほど。大変な作業だが、大豆の命は無駄にできない。これで次はみそを作るのだ。土から育ったものが口に入るまでの一通りを流れを子どもたちと一緒に体験してみたいと思う。何事も経験して知識が豊富になると、物や人へのありがたさが分かると思うからだ。
慣れ合ったり、安全安心ばかりだったりする中では、感動や感激、ドキドキの振れ幅が少ないのかもしれない。久しぶりの海外行き。パリでの非日常は私に何を教えてくれるのだろう。自分にできることを精いっぱいやってみようではないか。
(やまだ・ともこ=南部菱刺し作家、青森県伝統工芸士、八戸市在住)