テストステロン〈男性ホルモン〉を知る/人類生命学(動物脳)
我々人間は、快楽を得ようとする生き物です。快楽とは、本当は、喜びのみ(セロトニンやエンドルフィンなど)から得ることができるのですが、ネガティブやストレスからの密かな快楽が簡単に取りやすいので、そちらを無意識に、そして優先に得ることをやっています。
ネガティブから密かな快楽を得るという驚くべきおかしな機能を持っているのは、脳の中の一部の動物脳(本能)です。その動物脳(本能)のエネルギー源のひとつが、テストステロンです。テストステロンは、例えば、命を脅かすこと(バンジージャンプ、危険な山登り、暴力をふるう喧嘩)で、一気に上昇するような機能を持つようです。上昇すると下降するときもあるのがこの世界のしくみであり、そのようなテストステロンの飼いならし方ではなく、常に必要最小限のテストステロンをキープしておくことが大事だという事を、まず知っておくことが必要だと思います。
テストステロンが、人類に大きな影響を与えている真実が下記です。
『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著P256
好ましくない行動を引き起こす動機について考察してみるのも役に立ちます。そこにはたいてい怖れが潜んでいます。喪失の怖れ、支配に対する怖れ、欠陥や失敗、あるいは地位を失うことへの怖れなど、すべてそうです。また、衝動的な理由や、真偽を識別することのできないといった、行動するうえでの情報不足もあるでしょう。これらはすべて、いわゆる”人間の弱さ”に分類されるものです。仮説である道徳的観点から言えば、その”弱さ”に屈することはあるまじき行為です。しかし、意識が進化しても聖人になったり、健全な脳や優良な遺伝子が得られたりしない場合は、誰に責任があるのでしょうか?古い動物の脳で、生きるために貪る嗅脳(きゅうのう)でしょうか。それとも両親や社会、あるいは、パブロフの条件付けを行うメディアでしょうか。良識を持たずに生まれ、何をしても許されると思うような人々のDNAや遺伝子プールに責任があるのでしょうか。テストステロン(訳注:男性ホルモンの一種。第二次性徴の発現を促す。)は、数々の過ちを人生にもたらすので、真っ先に責められるべきでしょう。(去勢した男性は、普通の男性よりも九年以上長生きするという臨床実験もあります)。道徳の荒廃を招き、悪を増長させるメディアも然りです。
相互作用する要因の万華鏡の中で、一体わたしたちはどこに責任を追及すればいいのでしょうか?誰が責任を負って、自らの過ちを悔いて、嘆き悲しめばいいのでしょうか?行動ひとつを取ってみても、それを分解していくと、そこに決定要因は何ひとつ見いだせないことがわかりますし、表向きはその行動をとった”本人”さえも存在していないことがわかります。しかし、心(マインド)は次のように言うでしょう。これはすべて罪悪感を押し流すための合理化ではないのか?わたしたちはどこかで苦しんだり、悔んだりすることによって、よい人間になることができると信じているのです。
些細な行動ひとつに含まれる複雑な要因を見ても、唯一全知全能の神のみが裁くことができることがわかります。「汝、裁くなかれ」という霊的な格言もここから来ています。虚栄心こそが自我(エゴ)に、他者や自分を裁くことができると思わせているのです。
高い次元の真理を伝える文献の中に、神が罪悪感の影響を受けたり、それによって神の苦痛が和らぐと記しているものはひとつもありません。歴史上の聖人や賢者は、罪悪感の代わりに「罪」という言葉を使って、それが無知から生じるものだと述べています。彼らは、ある特定の行動は魂を不快な領域に落とし込む一方で、美徳の実践は死後、高次元の領域に導くと教えています。彼らは単に事実を述べているだけで、そこに脅かしたり、怖がらせたり意図はありません。
過去の過ちは慈悲と責任を伴って見なければなりません。それが唯一過ちを正す方法です。省みるときは、必ずその行動を起こした意図を確かめると同時に、罪悪感と後悔の違いを認識しなければなりません。後悔はたいてい、結果が望ましくなかった場合に起こるものです。本当の罪悪感は意図に対して生じますが、後悔は好ましくない結果に対して起こります。
人類生命学を学習することで、あなたの意識の中の愛と平和は具現化されます。是非とも、覗いてみてください。すべては無条件の愛の無償情報です。
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