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どこに幸せの源があるのか|『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著

幸せの源に関する部分を抜き出してみました。

そこで、あなたが今の状態に幸せを感じられなければ、状況が変化して欲しい物が手に入ったとしても、まだ幸せを感じられない可能性があることを知っておいたほうがよいでしょう。今を幸せに感じられなければ、未来においても同じです。というのも、どこに幸せの源があるのか、発見できていないからです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P251

卓越性他にぬきんでてすぐれていることの喜びとは、内的に報われるものであり、真の成功はプライドではなく、感謝によってもたらされるものです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P252

ほとんどの怖れ意識レベル100は、幸せ意識レベル600は外側に存在するという幻想が基盤になっているので、脆弱ぜいじゃくです。この脆弱ぜいじゃくな幻想を克服することによって、大いなる平安意識レベル600が訪れ、怖れ意識レベル100で動くことがなくなります。すると人生は優しく、充足感に満ちた意識レベル200以上、大らかなものとなります。常に防衛的にふるまう代わりに、安心して行動すること意識レベル200以上=パワーができるようになります。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P263

怖れ意識レベル100は、幸せ意識レベル600以上喜び意識レベル540の源は内側にあると知ることによって、止めることができます。それは、存在そのものの喜び意識レベル540幸せ意識レベル600以上の源であるという理解から発しています。それは持続するもので、外部に依存していません。そしてそれは、自己自我・動物脳と世界、他者に対する期待や要求執着することを手放すことによって訪れます。「わたしは欲しいものを手に入れ意識レベル125、勝利して、はじめて幸せ意識レベル600以上になれる」という考えは、必ず不安と心配事と不幸意識レベル200未満=フォースをもたらします。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P263

霊的な献身者にとって喪失を埋めるものは、喪失がより大きな自由をもたらしてくれるという気づきです。執着は拘束であり、自我エゴの束縛です。手放すことは、はじめは苦痛を感じるかもしれませんが、いずれ執着は、幸せの源は外側にあるという幻想を手放すプロセスの中で神に明け渡さなければならないのです。幸せや喜びの本当の源は「自己」本当の自分であり、自我エゴ/自己自我・動物脳が同一化しているものではありません。よく観察すればわかるように、要求を満たすと自我エゴの喪失の苦しみが緩和しますが、それに続く沈黙の内に体験する幸福感は「自己」本当の自分が発するものであり、自我エゴの収穫によるものではありません。心地よさの源は、物や行動や出来事そのものにあるのではなく、自我エゴの苦痛が鎮まったときに感じられる、「自己」本当の自分の臨在なのです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P267

これがあらゆる自我エゴの獲得の後ろに働くメカニズムです。自我エゴの狂おしいばかりの欲求と叫びが鎮まったときに、内側の「自己」本当の自分の心地よさが体験できるのです。マインドの犯す誤りは、幸せの源を”内側”ではなく”外側”に求めることです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P267

わたしたちはこれまでずっと思考を愛し、大切に扱ってきました。思考のためなら言い訳もし、それをかばい続けてきました。また、嫉妬心さえ起こすこともありました。思考を賛美したかと思うと、次は罪悪感と自己自我・動物脳嫌悪から自らを裁き、軽蔑しました。けれども、どのみちわたしたちは自分自身に心酔しているのです。そして、人生というドラマのパレードの中で、自己自我・動物脳像はどんどん美化されていきます。愛するものを手放すのは、喪失の怖れをもたらします。自己自我・動物脳にとって、愛する対象はすべて幸福の源のように映るのです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P82

次の革新的な問題は、わたしたちが感情的な愛を手放したくはないということです。愛そのものというよりは、愛の対象への執着を手放すことができないのです。わたしたちは、愛の対象を失うと哀しみがやってくると思っています。しかし実際は、執着心が哀しむのであって、それは愛の対象が喜びの源であると思い込んでいることに起因しています。哀しみとは”外側”にある幸せの源泉を失ったという幻想から生じています。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P82

しかし、幸福感をよく観察してみると、それが内側にあるものだということに気づきます。確かに外側のものが誘発したかもしれないが、幸福感は内側から生じる喜びです。つまり、幸せの源は内側にあり、心が欲する結果が得られたときの、好ましい状況の中で放出されるものなのです。内面をつぶさに観察すると、あらゆる事象は、もうすでにそこにある内的な特性を刺激しているにすぎないことがわかります。そして、喜びの源は内在しているので、失われることがないことに気付けば、怖れは減少します。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P83

「真実」から見れば、思考は”外側”のものです。驚くべきことに、思考こそが真の幸福感を得る妨げとなっているので、これは完全に捨て去ってもよいものなのです。

I<わたし>真実と主観性真実度999』デヴィッドRホーキンズ著 P83

今回が173記事目です。届け君の本当の自分へ

「2つの心」見える化


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