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【怖れ】人生のほとんどの活動は、無意識の怖れが動機になっているといっても過言ではないでしょう。

『I<わたし>真実と主観性』デヴィッドRホーキンズ著 P261~266

自我(エゴ)を主に支えているものはプライド(無知)、欲求(存続のための)、と怖れ(死の)です。この中で最も根源的なものは怖れです。というのも自我(エゴ)は、自らのとらえる現実は幻想なので、いつか夢から覚めなければならないという弱点を持っているからです。

最も認識しやすい怖れとは、肉体の存続に関するものです。肉体は、人生の中で、確かな現実の最たるものとして信じられているからです。肉体はまた、自らが別個で、ユニークで、個人的であるという何よりの証でもあります。ですから、心(マインド)は主として肉体を存続させることに加え、快適さやステータス、安全性などの設備を調える道具となっています。こうして、生存と成功を手中に収めるための計画と努力に、ほとんどの人は時間とエネルギーを消費しています。自我(エゴ)はこうした手の込んだ労作と自らを同一視しているので、その怖れと防衛たるや、無限できりがありません。

自我(エゴ)の投資はプライドとなって表れ、信念体系と一体化しているので、これも死守しなければなりません。まるで野生に生きる動物のように、常に厳戒態勢をとっていなければならないのです。その他にも大切なものはすべて守らなければならないので、危険はそこかしこにあふれています。自我(エゴ)は休むことなく、領分内で起こるわずかな変化、中傷、侵略のすべてに目くじらを立てるのです。その結果、心は被害妄想にとらわれます。集団的な被害妄想は一国を支配します。長期にわたる冷戦時代のロ〇アもそうでした。

自我(エゴ)の投資によって、数え切れないほどの立ち位置と誤謬(ごびゅう)[誤り]、怖れが際限なく広がっていきます。”わたし”という認識が立ち位置から離れたときに、怖れは退きます。肉体の存続と分離に対する怖れは、自らの人生と命を神に全託したときに縮小します。

日々の際限ない怖れは、いわゆる不安と心配事という、よくある人間の状態の中に含まれています。この状態はあまりにも浸透しているので、”正常”とみなされています。数多くの活動が怖れを回避するために行われています。人生のほとんどの活動は、無意識の怖れが動機になっているといっても過言ではないでしょう。イエス・キリストは言いました。怖れこそが最後に明け渡す、総仕上げの影である、と。

ブッダは、二千五百年前に基本的な怖れを列挙しました。「病苦、貧困、老い、死」です。これらはすべて喪失の怖れであり、わたしたちの生活に浸透しているので、あらゆる活動に影響を及ぼしています。特権、地位、肩書き、名誉、人間関係、若さ、所有物、影響力、権力、愛情、お金、力、スキル、性的魅力、ステータス、快適さ、機会、知能など、喪失の怖れはさらに続きます。

怖れの一般的な傾向を見ると、何らかの価値を見出しているものの喪失、つまり、喜びや満足感を失ったり、生存が脅かされたりすることを恐れていることがわかります。自信は複数の怖れに対抗する一般的な防衛手段であり、この能力は、人生においてたくさんのスキルを苦労しながら身につけていくという方法で増強されます。

ほとんどの怖れは、幸せは外側に存在するという幻想が基盤になっているので、脆弱(ぜいじゃく)です。この脆弱な幻想を克服することによって、大いなる平安が訪れ、怖れで動くことがなくなります。すると人生は優しく、充足感に満ちた、大らかなものとなります。常に防衛的にふるまう代わりに、安心して行動することができるようになります。

怖れは、幸せと喜びの源は内側にあると知ることによって、止めることができます。それは、存在そのものの喜びが幸せの源であるという理解から発しています。それは持続するもので、外部に依存していません。そしてそれは、自己と世界、他者に対する期待や要求を手放すことによって訪れます。「わたしは欲しいものを手に入れ、勝利して、はじめて幸せになれる」という考えは、必ず不安と心配事と不幸をもたらします。

怖れは、人間の条件に生得的[生まれ持った]に備わっている資質を素直に受け入れることによって、除去することができます。それは、自らの苦しみは、人類全体が共有しているものだという、心が安らぐような気づきをもたらします。この認識によって、万物を慈しみ癒すことができるようになります。わたしたちは愛することによって、愛を失う怖れをなくすことができます。愛するかぎり、どこへ行っても愛と共にいるのですから。

生存に関する怖れは、現在生きているのは、すでに「自己」とカルマ的な継承によって決定されているからだと知ることによって手放すことができます。死期でさえ、誕生の時に決まっているのです。(これはキネシオロジーテストによって「イエス」という結果が出ました)。また、この宇宙において、”偶然”のものなどひとつもないことを知っておくとよいでしょう。

「死の時をありありと体験する」という簡単なエクササイズを試してみるのも役に立ちます。未来に行って、避けることのできない自らの最後の瞬間に立ち会い、最終地点にたどり着けたことに感謝します。そこに行くまでに、必要な期間を生きることができたということです。あらゆる怖れは、「自己」を認識することで完全に消滅します。というのも、その状態は完全に不死を知っているからです。人の「真実」は誕生したり死んだり、また変化したりするものではありません。

ここに生存の怖れを除去する深遠な事実があります。つまり、「自己」が一瞬一瞬、わたしたちの命の維持しており、「自己」こそが永遠にパワーの源なのです。自我(エゴ)/心(マインド)/自己は、内側の「神の臨在」が”管理”し、”指導”しているから、生存のためにすべきことができるのです。自我(エゴ)は、自らが生きるためのあらゆる活動をしていると思い込んでいます。けれども、それをなさしめているのは、万能であるフィールドのパワフルな影響力と、生命のコンテクスト(文脈/状況)である、「神性の自己」なのです。

生命は、絶えず存在するそのものの「源」によって生かされています。わたしたちがビタミン剤を服用するのは、「自己」の要素と作用が生命に活力を与えるためにそれを引き寄せたからであって、このようなことは効果があるまで続きます。既定の生命維持期間が終わると、「自己」は肉体の代わりに「霊(スピリット)」の生命を維持します。

生命自体は終わりがありません。形が変化するだけです。生命の「源」と本質は神であり、消滅することはありません。わたしたちは自らの源をなくすことはできません。死とは、言うなれば連続小説の一章の終わりであり、小説自体は、自我(エゴ)である著者が最終的にその源にすべてを明け渡したときに終焉そを迎えます。

「自己」は、あたかも内面に存在する祖母のようなものです。孫がレインコートを忘れたり、請求書を払い忘れたりしないように、いつも見守ってくれているのです。神は呪いではなく、愛です。怖れは想像の産物です。

調べてみると、ほとんどの人生の活動は肉体の生存を確保するためのものであり、教育、健康、成功、所有物、家、車、お金、ステータスといった高度なテクニックが駆使されています。しかし、こうした努力はすべて終わりのない呪縛となり、際限のない不安の源となっています。

対外離脱や臨死体験をしたことがある人はみな、肉体を持つことによる絶え間ない存在の不安から解放された、自由と平安の深遠な感覚の衝撃を覚えています。また、意識レベルが600に到達したとき、同様に生存にまつわる不安感から解放されるという経験をします。このレベルでは、自己を肉体と同一視しなくなり、肉体は完全に自律的になります。

怖れを克服できるかどうかは、自我(エゴ)が自己を立ち位置や身分、肉体と同一視するのを止められるかどうかにかかっています。それを超越できれば、自我(エゴ)は幻想の死と直面せざるを得ません。幻想である仮のアイデンティティこそが、存在を支えていたのです。経験することのできる唯一本物の死は、自らが自らの存在の創造者であるとする幻想を神に明け渡すことですが、最後の瞬間が訪れるまで、それを体験的に知ることはできません。

自我(エゴ)は、意識できる存在を失うことを恐れますが、最後の明け渡しが意味するのは、”大いなる未知”に直面するということです。ですから最後の一歩には、多大な勇気と信仰と、偉大な師が伝えた真理への確信が必要になります。すると自我(エゴ)の核は「神性の恩寵」と顕在によって崩壊するので、怖れの最後の一片さえも消滅します。


「怖れ」いかがだったでしょうか。

死期でさえ、誕生の時に決まっているのです。(これはキネシオロジーテストによって「イエス」という結果が出ました)。また、この宇宙において、”偶然”のものなどひとつもないことを知っておくとよいでしょう。

同じような言葉を聴いたことはあると思いますが、これを腑に落とすのと、落とさないのでは、大きな違いがあるのは分かります。

途中に、長期にわたる冷戦時代のロ〇アもそうでした。とありましたが、この冷戦時代からロ〇アを取り戻したのが、プー〇ン大統領であることは知っていますか。今現在、プー〇ン大統領は、ウ〇ライナの悪党の成敗をしていることを知っている人は、まだまだ数少ないと思います。メディアは、全く逆の報道をしています。悪党の手下だからです。NATO、WHO、いろいろありますが、いわゆる経済フォーラムとか、世界のお金持ちが「グレートリセット」などの未来目標を決めていますが、彼らが動物脳(本能)=自我(エゴ)が肥大化した富裕層の悪党だということを知っておかないと、今回の話も理解できていかないでしょう。

怖れは、人間の条件に生得的[生まれ持った]に備わっている資質を素直に受け入れることによって、除去することができます。それは、自らの苦しみは、人類全体が共有しているものだという、心が安らぐような気づきをもたらします。

この文章は、富裕層の悪党も、僕らも、同じように、みんな動物脳(本能)=自我(エゴ)の資質が備わっていることを素直に受け入れましょうということです。すべては自動操縦の動物脳(本能)=自我(エゴ)が苦しみを生んでおり、みんな同じように、人類全体が共有しています。共有しているからこそ、一人ひとりの内側で気づいて、外側に翻弄されないことです。動物脳(本能)=自我(エゴ)の影響に気づかないと、肥大化した人たちとたたかうことになります。動物脳(本能)=自我(エゴ)は本当の<わたし>=「自己」ではありません。

人類の集合意識が体験する必要があるので、2万5千年ほど、ずっと奴隷化状態の地球でした。これもすべて必然であり、すべてはベストタイミングで、素晴らしい未来を今ここに創り出すために、われわれはこのタイミングで生まれてきたのです。

壮大すぎて、動物脳(本能)=自我(エゴ)は認識できないので、愛が基盤の気づいている心の立ち位置の「自己」で捉えないと理解できません。

生命自体は終わりがありません。形が変化するだけです。生命の「源」と本質は神であり、消滅することはありません。わたしたちは自らの源をなくすことはできません。

動物脳(本能)=自我(エゴ)で怖れの幻想をつくっていることを素直に認めて、ライトワーカー=万物の霊長類の長(おさ)=救世主の役割を、喜びで思い出していきましょう。

すべては必然ベストタイミング。

すでに地球上に情報としてある智慧を先に理解して、自分ではない人に愛で伝えることができるかが、啓蒙です。

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